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2006年 12月 07日
一部のネット右翼によれば、日本の左派陣営(いい言葉が見つからない)は帰化者を含めた在日朝鮮人に支配されているらしい。恐らく、ナチスのプロパガンダを意識しているのだろうが(余りにも荒唐無稽すぎて大して広がっていないように見えるが)、私の印象では、むしろ日本の左派陣営には在日朝鮮人が少なすぎるように思われる。文化人は確かに見かけるが、端的に言って、現役で活躍しており、カミングアウトしている在日朝鮮人の社民党員や日本共産党員を聞いたことがない。
これは本当に印象論で本来ちゃんと実証すべきなのだが、海外のニュースを読んでいてよく思うのは、海外の左翼政党や左派の政治家には、移民などのマイノリティ出身者が多いことだ。近現代史を振り返っても、ドイツの社会民主党の理論家などユダヤ人ばかりである。確か、ワイマール共和国期のドイツ国内におけるユダヤ人の人口比率は、大体0.5~1.0%(奇しくも戦後の在日朝鮮人の人口比率と近くて、以前本で読んだときに非常に印象深かった)だったはずだ。民族的には少数派にもかかわらず、左派陣営に多くの人数を供給する(民族団体をつくるから、ではなく)ということは、それほど珍しくないように思われる。 以前にも少し触れたが、戦前から戦後直後の日本もそうだった。その時期、日本共産党に朝鮮人党員が多かったことは有名である。金天海のように、戦後直後の日本共産党中央委員会の政治局員だった人間もいる。戦前の労働運動関係の資料を見ていて、地方の労働争議の指導者に朝鮮人の名前を見かけることは珍しくない。以前にも挙げた梶村秀樹「解放後の在日朝鮮人運動」(『梶村秀樹著作集 第6巻』)でも触れられているが、戦後直後から朝鮮戦争停戦ごろまでの日本共産党の運動の展開に、在日朝鮮人が果たした役割は大きかったと言える(むしろ、共産党の運動にエネルギーを費やしたおかげで、在日朝鮮人運動側が、米軍と日本政府の在日朝鮮人弾圧に有効に対処できなかった面も少なくないと思うのだが)。 この関係が、1955年の朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)の発足やその手前あたりで切れる。前回のエントリーにも挙げたように、共産党の規約に「国籍条項」が入ったのもそのあたりではないかと思う(要調査)。 なぜこんなことを書いているかというと、戦後の左派の大勢の、在日朝鮮人問題に対する無理解の背景に、こうした歴史的な点、左派陣営(特に左派政党)に在日朝鮮人が少なかったことが、因果関係の因とも果ともなり絡んでいるのではないかと最近考えているからである。無論、戦後直後の左派が在日朝鮮人問題に理解があったかというと非常に疑問であるが、その時期の無理解がその後の状況を生み出したともいえる。 これは半分冗談だが、左派陣営が、戦後の一時期をのぞき政権を取れなかったのは、在日朝鮮人のエネルギーを汲み取れなかったことも関係していると思う。 左派陣営に在日朝鮮人が少なかったことは、現在の日本の左派の言説にもかなり大きな影響を与えていると思う。例えば、左派ジャーナリズムは「言論の自由」の擁護には熱心だが、マスコミなど、言論表現による少数者(在日朝鮮人だけではない)への差別や攻撃に対して、少数者の人権をどう守るか、については驚くほど無関心だ(先進国で唯一、人種差別禁止の法がないこととも絡んでいる)。この辺が、私が日本の大抵の社会派ジャーナリストを全く信用できない点である。 よく指摘される日本共産党の官僚体質、閉鎖性も、在日朝鮮人党員がほとんど消えたことは影響を与えているように思われる。1950年半ばから60年代前半にかけて、花田清輝、中野重治をはじめ、キャラクター性、自主性のある人間を党が除名していったが、時期的に近いのも興味深い。また、共産党の部落解放運動への唖然とさせられるバッシングも、こうして形成された閉鎖性のなせるわざだと思う(私はこれが気持ち悪くて『しんぶん赤旗』購読をやめた)。 労働組合や市民運動、特に中高年中心のものに感じる閉鎖性にもつながる「歴史性」ではないか。無論、在日朝鮮人の一部の民族団体もその幣を免れていないが。
by kollwitz2000
| 2006-12-07 03:42
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