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2010年 03月 24日
朝鮮総連の高校無償化排除への日本での反対論を見るにつけて、それらに一定の敬意は払いながらも憂慮せざるを得ないのは、有力な反対論のほとんどが、在日朝鮮人社会の形成の歴史的経緯・必然性に触れていない点である。反対論の主な論拠は、外国人の教育権の擁護、差別禁止といった、一般的な権利論であり、それら自体はもちろん重要な論点であるにしても、植民地主義の問題はほぼ全くといっていいほど触れられていない。日本の任意の反対声明を、韓国の「真実と未来,国恥100年事業共同推進委員会声明」と比べてみれば、そのことは明らかであろう。
念のために言っておくが、私は、植民地主義の問題が触れられていないから駄目だ、と言っているのではない。私は、反対声明の表明等の行為については一定の敬意を払っているし、この問題を、外国人の一般的権利の侵害として捉えること自体は、もちろん間違っているわけではない。 だが、以下に述べるとおり、反対論においては、在日朝鮮人社会形成の歴史的経緯、植民地主義の問題も言及されるべきだと私は考える。また、歴史的経緯についてほとんど触れられていないという事態が、意図的(「戦略」的)なものであるならば、それは極めて問題である。 歴史的経緯に触れずに外国人の一般的権利の問題として捉える反対論が、仮に意図的な(「戦略」的な)ものであるとするならば、そこでの意図(「戦略」)は、次のようなものであるはずである。 「在日朝鮮人社会の形成が、日本の侵略と植民地支配の結果である以上、在日朝鮮人の民族教育権は保障されて当然、などと言えば、そのような歴史的経緯に関心がない人には主張が伝わらない。そうではなくて、外国人一般の問題、今後の国際化の問題として捉えれば、歴史的経緯に関心がない多くの人からも共感を得られるだろう。だから、歴史的経緯の問題は言及せずに、外国人一般の問題、今後の国際化の問題として特化させた方がよい」 だが、こうした「戦略」は、何重にも間違っていると私は考える。 まず確認しておかなければならないのは、日本人がそのような「戦略」を企てる権利はない、ということである。上の「戦略」を、(在日)朝鮮人が企てるならばまだ分かるが(間違ってはいるが)、それを日本人が企てるならば、それこそ在日朝鮮人の歴史的経緯を否定する行為である。こんなことはわざわざ言うまでもないことではあるが、「在日」に関する問題に関心を持つ日本の左派の一部(多く?)は、この辺の感覚が完全に麻痺しているから、「善意」でこれに類することを平気で唱えるので、あえて記しておく。 また、上とも絡むが、二つ目の問題点は、こうした主張が、在日朝鮮人が直面している問題を外国人一般の問題としてのみ描くことで、在日朝鮮人を、侵略と植民地支配という歴史的経緯によって日本に定住することになった存在と捉える表象が、日本社会において弱まることである。ネット上の左右の争いや知識人レベルではいざ知らず、社会的な大きな争点として、朝鮮学校の問題が取り上げられることなどほとんどないのであるから、こうした決定的な時点での言説は、それ以外の時にはほとんど関心を持たない多くの人々に対して、大きな影響があると私は考える。 高校無償化排除問題の件で本質的な問題である「普遍的権利」とは、外国人としての民族教育権だけでなく、植民地支配の結果として宗主国に定住せざるを得なくなった民族が、宗主国の国民と同等の社会的・文化的権利、生活権を享受する権利を有する、という権利である。それが実定法で規定されているかどうかは基本的に関係ない。「普遍的権利」を問題にするならば、後者をも問題とすべきである。 三点目として、外国人一般の問題に還元した方が支持を得られる、ということは恐らくないことである。 JNN世論調査(3月5日)や、FNN世論調査(3月20~21日。Q6)の結果を見ると、高校無償化から朝鮮学校排除に賛成する人の方が多いが、反対している人も多い。では、反対している人々の多くは、外国人の権利の擁護という観点から反対しているのだろうか。ここは見解が分かれるところであろうが、以前、教育基本法改悪反対の論理の件で述べたように(「「思想・良心の自由」による反対論の陥穽」)、大多数の大衆は、そのような抽象的権利に基づいて政治的判断をしないと私は思う。むしろ、朝鮮学校や朝鮮学校(卒業)生との交流や接触、在日朝鮮人の歴史的経緯への一定の配慮などに基づいて、排除に反対している人の方が多いと思う。支持を得られないから抽象的権利を主張すべきでない、とは私は全く思わないし、むしろ逆に、支持とは無関係に抽象的権利を擁護するよう主張すべきと考えているが、「戦略」として抽象的権利の擁護が有利だと考えるのは間違っていると思う。 そもそも、在日朝鮮人を外国人一般として説明しようとするならば、大衆レベルでは、「外国人といっても、あいつら、言葉も文化も日本人と変わらないじゃないか。じゃあ、帰化して「民族教育」など捨てろ。「民族教育」などと、外国人としての権利などと言うならば、「特別永住」資格(「在日特権」)を捨てろ」という反発を引き起こすことになるだろう。歴史的視点抜きには、こうした反発の論理には対抗しがたい。私は、外国人一般の問題に還元するという論理は、ある程度リベラルな知識層にしか訴求力がないと思う。そして、そうした人々は、恐らく初めから排除に反対しているだろう。 四点目として、外国人一般の問題に還元した方が支持を得られる、という主張が、日本における「拉致問題の解決」論の本質(「「拉致問題の解決」の本質」ではない)への理解を決定的に欠いていると思われる点である。 周知のように、朝鮮学校の排除を推進する人々は、タテマエはさておき、拉致問題の進展のための強硬姿勢の顕示の必要性を主張している。では、こうした人々やその主張を支持する人々に対して、それは「拉致問題の解決」につながるどころかむしろ遠ざけるものであること、日本の「国益」に反することを説得的に示せば、こうした人々は朝鮮学校も無償化の対象にしよう、と言うようになるのだろうか。そうはならないだろう。 「拉致問題の解決」に向けて強硬姿勢を主張する論者たちやそれを支持する人々(一部の右派だけではなく、国民の少なくとも半数以上である)の言動、そしてそのような言説に支配されている<空気>は、そのような強硬姿勢が、植民地支配責任とそれをめぐる戦後補償という問題を葬り去り、道徳的・倫理的な引け目や罪悪感を払拭してくれる、という(無意識的な)心情によって支えられている。念のために言っておけば、植民地支配責任の免罪のために拉致問題を利用する人々が問題、ということではない。そもそも日本における拉致問題に関する言説の構図自体が、植民地支配責任の免罪のためにこのような状態になっているのである。 「拉致問題の解決」への強硬姿勢を主張する人々、支持する世論は、植民地支配とそれに関連する問題への日本の責任について、一般的にはほぼ完全に否定するか、一切言及しないかのどちらかである。だが、これは、彼ら・彼女らが問題の所在を理解していないことを意味しない。そうではなくて、植民地支配の問題が極めて重要であるがゆえに、日本人も、「拉致問題の解決」に向けた強硬姿勢を手放さないのである。和田春樹や太田昌国は、この関係性を全く理解していない。「拉致問題の解決」および日朝国交正常化に向けた、「国益」重視の日本の「ハト」派による、強硬姿勢一本槍に比較すればより合理的と思われる立場(経済協力方式。私は支持していない)が、大衆的な支持をあまり得られない理由も、ここに帰着する。インテリ(左右を問わず)や政策決定者、マスコミ、富裕層らにとってみれば、植民地支配などというものは大昔の、大した問題ではなく、経済協力方式で済むならば適当に謝るなどしておけばいいではないか、ということであろうが、特に「下層」の日本国民にとっては大きな問題なのだと思われる。植民地時代の朝鮮に渡った人々や、日本で在日朝鮮人と接触のあった人々は、中産層から下の階層の人々が多い。こうした体験や語り継がれる記憶、祖父母らを正当化したいとする衝動は、思われているよりも広範かつ強力に存在していると思う。 朝鮮学校に対する戦後一貫した日本政府の差別的取り扱いは、日本国内において、自律的な形で在日朝鮮人社会が成立・発展することを阻止するために行われたものである。日本政府の政策決定者が愚かにも排外主義に感染していた、ということではない。これは排外主義に基づいた「合理的」施策なのであって、この差別的取り扱いの結果として、朝鮮学校の発展は阻止され、民族教育を受ける在日朝鮮人が減少し、孤立化していった結果、在日朝鮮人の全般的同化が既成事実化したのである。もちろん朝鮮学校や朝鮮総連自体の問題は山ほどあるだろうが、大枠としては上記の通りである。その意味では日本政府の施策は「成功」したのである。アイデンティティや脱アイデンティティがどうたら、などと自分語りを行う在日朝鮮人(女性)知識人たちに萌える日本人リベラル・左派は、本来日本政府に感謝してしかるべきである。 在日朝鮮人(社会)が可視的な形で層として日本社会に存在することは、日本人の歴史認識にまつろわない異物が層として存在することを意味するから、それらの人々を、帰化させるか、自分から「日本への愛」を語るなど媚びる存在に化させるかすることが、日本国家・日本社会の戦後一貫した欲望または必要性だったと私は思う。そのような背景の下で、戦後の朝鮮学校への差別的取り扱いは維持されてきたのである。「拉致問題」言説の前景化が、植民地支配責任の問題や贖罪感等を払拭させたことにより、日本国家・日本社会は、、在日朝鮮人(社会)が可視的な形で層として日本社会に存在することを阻止しようとする欲望と政策を、正当化させることができるようになったのである。したがって、高校無償化問題において、朝鮮学校を差別しないということは、在日朝鮮人(社会)が可視的な形で層として日本社会に存在することを阻止したい人々(念のために言うが、国民の過半数以上である。リベラル・左派の一部も含む)にとってみれば、歴史の進歩への逆行と映るだろう。 ひょっとすると、、外国人一般の問題に還元した方が支持を得られる、という主張も、上に近い認識を前提として出されたものなのかもしれない。植民地主義について語ることは逆効果だ、と。だが、排除を支持する大多数の人々の潜在的な欲望は、日本人の歴史認識にまつろわない異物が層として存在することを否定し去りたいというものであって、恐らく「拉致問題の解決」とは何の関係もない。したがって、この枠組みの下では、橋下府知事のような言いかがりを延々とつけられ、まつろう存在であることを証明させられるものとなるだろう(そして、その「証明」の強要には際限がないだろう)。また、前述のように、外国人一般の権利という抽象的問題と、北朝鮮という「不法国家」の関連団体に便宜を図ることを天秤にかければ、大衆は後者をより重要だと見なすというであろうから、効果を期待することは難しいだろう。 また、朝鮮学校排除を支持する大衆に対しては、国連等の海外からの批判は、あまり有効ではないだろう。それは、日本国民が近年「内向き」になっているから、といったよく言われる理由よりも、むしろ、この問題が、植民地支配責任の否認という(無意識的)衝動に支えられており、国民としての歴史的アイデンティティに関わるものであるからである。 したがって、排除に反対する側は、外国人一般の抽象的な権利だけではなく(繰り返すが、それを主張することを否定しているわけではない)、在日朝鮮人の民族教育権の根拠となる歴史的経緯を強調し、植民地支配責任の否認という<空気>に対抗することで、その<空気>に感染している周辺の人々(コアの層は、何があっても排除支持の立場を変えないだろう)を立ち止まらせるべきだと思う。問題の本質的な焦点は、拉致問題の進展の可否ではなく、戦後一貫した、より構造的なものである。 歴史的経緯に触れずに外国人の一般的権利の問題として捉える反対論が、意図的な(「戦略」的な)ものではなかったことを願うとともに、今後は、高校無償化からの排除を受けないことが、在日朝鮮人の歴史的経緯に基づいた当然の権利によるものであることを(も)、強調していただきたく思う。
by kollwitz2000
| 2010-03-24 00:00
| 在日朝鮮人
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