アウトプットできない派
フリーソフトウェア・プロジェクトへの参加とアウトプット主義 : NDO::Weblog
おっそい反応ですが…。
アウトプットしない人の公開しない理由は、自信がないというよりも、リンク先にもある 作品をよく見せるためのお手軽なテクニック集 作品を公開しない理由 にあるものの方がしっくりくる。とくに 作品を他人に見せても恥ずかしくない品質にするのが面倒
とか 完璧主義
あたり。
最初の一歩の敷居は全然高くなくて、踏み出してみたらあれよあれよ...という程度のものだったりするんですよね。
もちろんアウトプットすることによる利益は大きい。しかし、反応が散々で、それに懲りて外に出さなくなってしまう場合、そこでへこたれてやめてしまう場合というのも十分有り得るとも思う*1。それがまだ十分に成長していないだけであって、その可能性を閉じてしまう結果になってしまったら、それはとてつもなく勿体無い。
高林さんは Namazu を作ったばかりの当初はコードもしょぼくて人に見せるのが恥ずかしいような代物だったが、勢いで公開したらあれよあれよといううちに...ということをよく話しています。
とあるが、「何が何でも外に出してみろ」というのは問題があると思う。基本的に外の人は自分の利益のためにコメントをするわけで、その人の成長過程や今後について考慮はしない。
自信がないひとでもとりあえずやってみるといいし、すると周囲を取り巻く環境も色々変わるかもしれませんね、ということです。
例えば、初めて Web アプリケーションを作ってみて、公開したとする。当然まだ、セキュリティの考慮は甘いだろう。しかし今指摘されるべきはそこではない。もちろん公開する以上は考慮しなければならない。現時点で許されるレベルと、公開が許されるレベルは異なるもの。差があるのではなく、別の評価基準だ。
状況が許すのであれば、ある程度の期間は、成長度合いを考慮されたコメントのみをくれる人や身近な人に見せてみる、いわば擁護される必要があるのではないだろうか。
余談、自分のこと。
とかいって外に出るタイミングを失っている人間が言うとただの逃げなのだが。
とにかく今まで全く外に出そうとしなかったが、
5年後のことなんて、わからないし。 : NDO::Weblog
あたりに感化されて、少しずつ自分の考えを外に出そうと思ってきた。 Web で発言するということ自体に全く慣れていなかったため、最初は mixi で内輪の反応を得るということに慣れ、はてなダイアリーでリンクされるということに慣れ、と徐々に訓練してきた。今はリンクされるだけでおろおろしまう。
その中でも唯一それまでと違っていたのは、アウトプットすることにこだわり続けたことだったかなと思います。自分の思ったことはblogでもいい、メディアでもいい、どこでもいいからとにかく外で喋ってみる。面白いとおもったらとにかく手を動かして作ってみる。作ったものはしょぼくてもいいから公開してみる。
細かく細かくアウトプットを続けていれば、知らず知らずのうちに周囲の状況は変わるものですね。
そんな状況のため、作品を外に出すという段になかなか踏み切れないでいる。こんなん誰でも作れるし、とか言い訳を求めて。
see also: いやなブログ: 作れる、作る、作った
発言することには慣れていなくても、いいかげん自分の作品に自信を持つことに「慣れていない」は通用しない今日この頃。ただいま助走中。というか作品とか言っちゃうあたり学生気分丸出し。
*1:ていうかそういう人が友人にいる。帰って来い…