CMの実務的な「パクリ」について

日本のCMはなぜ海外CMおよびPVを「パクる」のかについて、実務的見地からの私見を述べる。(とはいえ、私は久しくCM制作から離れている。また、それを生業にしていた当時は、inferno*1の登場により、かわった場面転換が流行っていた時期である。前世紀から今世紀にかけての、すなわちカイル・クーパーのモーションタイポとミシェル・ゴンドリーの魔術に魅せられていた時代である。それはそれで特殊な時期なのかもしれない。というエクスキューズをあらかじめしておく。)

[追記] 一般に「アイデア」という言葉を使いがちであるが、これは「表現」と「技法」とに区別できる。モーフィングなどの技法は広まるものである。それはソフトウェアや特機によるものであるのだから。その際に、「表現」までをも取り込んでしまうと問題になる。実務的には、コンテを通す過程において、技法の説明が表現の領域に食い込んでしまうと … ということである。

結論をいえば、日本にはプリビジュアライゼーション*2をする習慣がなく、かわりに海外CM・PVの抜き出し集、あるいはそれらを都合よくつないだ「ありもののVコン」を見せるそれがある…これが理由である。なぜプリビジュアライゼーションする習慣がないかといえば、広告主が企画費を払う気が薄いためであり、制作会社は純粋な原版制作費しか取れないため、いわゆるプリプロがCMには存在しない。そのようなCM制作の実際に沿えば、表題にあるように、「パクリ」は実務のうちなのである。他人の制作したCM・PVの表現を借用するのは、プリプロ代わりと言える。

ゴンドリーによるNATWESTのCM、すなわちズームによる場面転換、あるいはスミノフのCM、すなわちモーフィングの技法、このふたつは前世紀から今世紀にかけての映像表現に影響を与えた最たるものであろう。しかしながらこれを言葉で説明したり、紙に落とし込むののは容易でない。となると、広告主に企画を説明しようがない。そのような状況でコンテを通すには、必然的にゴンドリーらの先行事例を見せるしかない。

CMに企画のフレームがあり、それはコンテで説明がつく。フレームのうちの映像表現については上記の通りである。ここにおいて、フレームがなければ、映像表現が露骨になり、"もろパクリ"となるわけである。…ゴンドリー全盛期に、同時に世界的に白ホリものが流行った。GAP(これもゴンドリーだが)やアップル、日本ではタナカノリユキ時代のユニクロetc。アップルにしろユニクロにしろホリの前で人物が商品について喋る。ストレートトークである。ストレートトーク自体はフレームであるから、白ホリの前で人物がポン酢について喋ろうが生理用品について喋ろうが、誰もアップル・ユニクロのパクリとは言わない。フレームとはそういうものである。

日本ではプリビジュアライゼーションはもとよりテスト撮影もまずやらない。広告主がカネをくれないからである。カネもくれないのに、親切心や新しい映像表現へのチャレンジの気概でそれを行うことはない。商売である以上、請求書に紐附かないものをやるわけにはいかない。こっちの気概の方が重要である。中島哲也の黒ラベルの卓球シリーズは、最初は撮り過ぎでひどい赤字であったが、撮影回数を重ねるごとに要領を得て、廻すフィルムの缶数が減っていったとのことであり、プロデューサーが制作会社の社長であったから可能だったのではないかと、当時、隣の席のおっさんが言っていたか。これとて本来はテストで撮れる銭金がもらえればよかったのかもしれない。

そのような広告主との関係において、オリジナリティの高い映像表現は厄介ごとであることはおわかり頂けようか。理解もされなければ、カネももらえないのである。infernoによってCMにおいては撮影からコンポジットに重点が移った時勢に適応した広告主・広告会社・制作会社の三者間の関係が作れなかったわけだが、まして所詮は15秒CM中心の日本にあっては、表現よりもフレームであって、変わった表現にこだわるあまり、銭金かけてプリビジュアライゼーションまですることはない。

そのかわりに海外CM・PVの抜き出し集や「ありもののVコン」である。後者だが、企画コンテに基づき、映画や海外CM・PVのそれっぽいシーンをそれっぽくつないでいくのである。それっぽいだけである。すなわちイメージである。これにより企画コンテの補強をはかるのである。ここで海外CM・PVを用いることが、「パクリ」につながっていくわけである。またそのまま撮ればいいプリビジュアライゼーションと、ただのイメージに過ぎない「ありもののVコン」ではえらい違いである。ただの徒労である。なにしろそのために制作会社の若者は企画プレゼンが近づくと、15時間くらい映像を見る作業を2.3日続けるのである。とはいえ、これの蓄積は莫迦に出来ないのであるが。 

以上が以下のエントリを読みながら想った、「パクる」側の一隅にいたニンゲンの見解である。すなわち、オマージュだの、揶揄的な意味のそれだのではない。実務なのである。

映像の盗作疑惑について - THE KAWASAKI CHAINSAW MASSACRE

*1:autodesk社の編集機。数億円する。日本の場合、avidというので仮編集し、infrno(あるいはautodesk社のflameまたはquantel社のhenry)で本編集するのが通例であった。

*2:制作に先立ち、事前にCGで、すなわち3DCGIの空間で撮影・コンポジットしていくこと。