「空白の二十年」を埋める営み(現代将棋を学ぶ)
先週金曜日に親知らず(最後の一本)を抜いた。抜いたあと数日はリラックスして過ごせ、一週間はアルコール禁止とのことで、この一週間で何かまとまったことをやってみようと思った。じつは齋藤孝さんとの対談で、勉強法の話になったとき、「ある時期はこれと決めて、たった一つのことだけを朝から晩まで徹底的にやる」という方法を、齋藤さんは実践されてきたのだ、と教わった。
僕はあんまりそういう勉強法を意識したことはなかったので、よし、この「親知らず」抜き後の一週間は、仕事も完全に休みにして、徹底的に将棋の勉強をしようと思い立った。僕の場合、将棋の勉強と言っても、指すこと(強くなること)には興味がないので、現代将棋を観るため、味わうための勉強である。
「趣味は将棋鑑賞」などと公言していながら、二十歳のときから四十歳までの二十年間(1980年代、90年代)は、自らのサバイバルに没頭し、好きな将棋や、その他の趣味と呼べるようなものはすべて封印したため、その間の将棋の進化についての知識が明らかに不足している。これを一気に埋められないかと、この一週間は、「将棋世界」バックナンバー、棋書、数々の棋譜とともに、将棋盤の前にずっと坐っていた。
たしかに齋藤さんの言うとおり、たった一つのことだけを徹底的にやると、一週間でかなりのことができるものだ。そう感じた。
まず、「将棋世界」1997年7月号でスタートした羽生善治の連載「変わりゆく現代将棋」を読みながら並べていった。この連載は本になっていないのだが、今からでも遅くない、絶対に本にしたほうがいいと思う。
連載当時から「将棋に対するとてつもない思考」が書かれていると、気にはなっていたのだが(いつか読もうと思ってちゃんと読まずにいた)、今回きちんと読んでみて、やっぱり凄かった。
毎回10ページ前後のボリュームで、三年半41回の長きにわたって、羽生は、相矢倉の出だしは、「▲7六歩△8四歩」のあと(1)「▲6八銀△3四歩▲7七銀」と(2)「▲6八銀△3四歩▲6六歩」と(3)「▲7八金」の三通りのうちどれがいいか、ということだけを、徹底的に考え続けるのである。
そして最終回(「将棋世界」2000年12月号)で羽生は「連載の途中から読んで頂いた方々には何の事だか解らなかったかもしれないが」と前置きしたうえで、こう書く。
(3)は角換わり腰掛け銀になってしまうので、矢倉党の人々にはおすすめしない。
(1)と(2)はどちらが良いかはっきりとした結論は出ないが、(1)の場合は5筋交換の急戦と矢倉中飛車、(2)の場合は陽動振り飛車と右四間飛車に警戒を必要とするだろう。ここからは個人の好みとして選択して頂ければ幸いだ。
じつは僕はこの連載をぜんぶ読み、思わず笑い出してしまった。何かを読み終えて笑い出す、というのは、僕の場合、最大限の賛辞の現れだ。「ここまでやるかあ」という敬意を伴う笑いである。
これだけのシンプルな結論を語るために、どれだけの言葉を尽くすべきかという一点に、羽生は「現代将棋とは何か」の真髄の表現を試みたのである。だからタイトルが「変わりゆく現代将棋」なのだ。
羽生善治という人物は、若き日から自分が「将棋界の顔」であることを意識して、柔和で朗らかな明るいキャラクターを演じているが、内面はきわめて激しく、これまでに彼がやってきたことといえば、将棋の世界に「革命」を起こすことであった。その革命の成果が「現代将棋」なのである。
名著「最新戦法の話」の中で勝又清和六段は、現代将棋の根本原理は、
あとで指せる手はあとまわしにしましょう、という考え方
にあると述べているが、羽生はこの「変わりゆく現代将棋」という作品で、それを序盤も序盤、相矢倉戦の第三手目まで遡り、あまりにも始まったばかりの茫漠とした局面で、どの手を先に指すべきか、つまりどの手を「あとまわし」にするべきかを、ひたすら考え続けるのである。
なるほど、これが「現代将棋の根本原理」なのか、と腑に落ちた。羽生はこの作品の序(「将棋世界」1997年7月号)でこう宣言する。
月日が流れるのは早いもので、「羽生の頭脳」第一巻を出版してから五年の歳月が経過した。この間、現代将棋は緩やかながらも着実に、そして、より複雑に変化をした。(中略)
将棋は難しい。序盤に限定しても恐ろしく奥が深い。どんなに体系化されたとしても底が見えるとは思えないが、それでも少しでも進歩しようとすることが棋士の務めであると思う。
これから書いていく事は、そんな共通した想いを持っている棋士たちの(もちろんアマチュアの人も含んでいる)結晶なのだ。
そうか、1997年の「変わりゆく現代将棋」(第一回)の5年前に全十巻の「羽生の頭脳」が書き始められたのだよな、と思い出した。羽生は 1970年生まれであるから「羽生の頭脳」は20代前半の作品、「変わりゆく現代将棋」は20代後半の作品である。そして「羽生の頭脳」と「変わりゆく現代将棋」の間に、羽生は名人を米長から奪い、前人未到の七冠王になるのである。まさしく早熟の天才、将棋界の巨人と言っていい。羽生は、この間に、名実共に将棋界のペースセッターとなり、羽生の思想が「現代将棋」のあり方を、強く規定するようになる。そしていま、羽生の1997年の宣言文の中に出てくる「そんな共通した想いを持っている棋士たち」だけが、将棋界のトーナメント・プロとしてサバイバルできているのである。
ならば、二十年の空白を埋める勉強の次は「羽生の頭脳」にいくしかないのだが、この全十巻は、ほぼすべての戦型を網羅しており、全部読んでいけば、必ず道に迷いそうなので、「変わりゆく現代将棋」で勉強した相矢倉に絞って、読むことにした。ちなみに、第五巻と第六巻の二冊が、相矢倉に費やされている。
そして発見した。「羽生の頭脳」第五巻冒頭の「第1章 超急戦・序盤の常識」。この章のテーマだけを徹底的に深く思考したのが、「変わりゆく現代将棋」という作品なのだ、ということを。まさに、処女作にすべては表れる、そのものである。
そして第五巻、第六巻の大部の内容の大半は、二つの戦法だけに絞って書かれている。▲3七銀戦法と森下システムである。第五巻は1993年1月刊、第六巻は1993年4月刊。つまり、1993年当時、つまり今から15年前の時点で、矢倉戦の進化は、この二つの戦法に収斂していたということになる。二つの戦法共に、僕が将棋に熱中していた70年代の将棋と違って、飛車先の歩を突かない矢倉だ。飛車先不突き矢倉は、1980年代前半に指し始められたものなのである。
勝又は「最新戦法の話」の中で、飛車先不突き矢倉こそが、現代将棋の
あとで指せる手はあとまわしにしましょう、という考え方
のルーツだと述べている。なるほどこれで、いろいろなことがつながり、少し「現代将棋の何たるか」がわかり始めた。
ところで「米長の将棋」という全六巻の名著がある。これは1980年から1981年にかけて出版されたものなので、「現代将棋」の前がどんなふうだったかを概観するには素晴らしい。ちょうどいい時期に書かれた本と言える。第三巻の一冊が矢倉戦法に費やされているが、この本には飛車先不突き矢倉の考え方は出てこない。僕にとっては、十代のときに熱中した中原・米長戦をはじめ、この本に載っている将棋を並べていると、じつに懐かしい思いがこみあげてくる。
ちなみに米長邦雄(1943年生まれ)という棋士は、将棋における古い価値観を体現する存在とも言える。1980年代後半、現代将棋の萌芽期に米長は突然、勝てなくなる。タイトルを失い、常連だったタイトル戦への出場もままならなくなった。当時を振り返って米長はこう書いている。この文章は古い価値観がよくあらわれている。
それまでは将棋というものは、序盤における優劣などはほんの些細なもの、と思っていた。
その人の持つ人生観、人間の大きさ、勝負哲学、人生哲学のほうがはるかに大きな比重を占めると考えていた。事実、序盤で少々不利になったところで、それがそのまま勝敗に直結することはなかった。したがって序盤での若干の優劣などは一切関係なく、それよりも中盤から終盤にかけての粘り、あるいは精神的なもの、焦らない、くじけない、楽観をしないという、心技体の心の部分。あるいは形勢不利な局面であっても、そのままぽっきり折れることなく、粘り強く、容易に勝ちを相手に与えないプレッシャー。どうすれば逆転するかという勝負術。そのようなすべての総合力こそ最も大切なものであると考えていた。(「米長邦雄の本」p22)
「現代将棋」が覆したのは、この価値観であった。ベテラン、若手を問わず、米長のような価値観を持った棋士は、トーナメント・プロの世界からこの二十年で、羽生の宣言文に出てくる「そんな共通した想いを持っている棋士たち」によって、淘汰されてしまったのである。
さて、ざっと「現代将棋」の前を、矢倉に限って「米長の将棋」でおさらいしたあとは、90年代に矢倉研究といえば森下卓であったなあ、と思い出した。森下システムの森下である。森下の著作を書架から引っ張り出した。
1999年に出版された「現代矢倉の思想」「現代矢倉の闘い」は、「羽生の頭脳」のあと、「変わりゆく現代将棋」が連載されているちょうど同じ時期に書かれたものなので、もう少し前の森下の著作はないかと探したら、1995年に刊行された「森下の矢倉」を発見した。いやいや、これが実に素晴らしい名著であった。
まえがきにこうある。
矢倉戦においては、飛先不突矢倉の登場が、旧矢倉と現代矢倉の分水嶺である。飛先不突矢倉の登場は昭和五十五年ごろだが、このあたりをさかいに矢倉戦は急激な変化を見せる。それからは日進月歩だ。本局に収めた五十局は、いずれも現代矢倉の一端を示したものだと自負している。
この本は、1984年から1995年までの主要な矢倉戦を自ら戦った将棋の中から選びぬいて、徹底的に解説したものだ。現代矢倉がいかに形成されたのか、ということを説き起こす意図を、明らかに持って書かれた名著である。「あとがき」を読んで驚いたのだが、勝又四段(当時)らの「絶大な協力」がなければ本書の発行はなかった、と森下は書いている。余談になるが、勝又は「現代の金子金五郎」にもっとも近い人物なのだと、この本を読んで改めて思った。
この本の主要な将棋を年代順に並べながら考えていき、なぜ「羽生の頭脳」矢倉編で、戦法が▲3七銀戦法と森下システムに収斂していったかが、よく理解できた。
何とか「空白の二十年」が矢倉に関してはつながり、続けて森下の1999年の「現代矢倉の思想」「現代矢倉の闘い」を眺め、深浦康市(現王位)によって1999 年に刊行された「これが最前線だ!」、そして2003年の「最前線物語」、さらに2006年の「最前線物語(2)」の矢倉部分を眺めたあと、2006年以降の順位戦の棋譜を、名人戦棋譜速報サイト(有料登録制、これは有料の価値有、安すぎるくらい)で、たくさん並べていくと、だいたい大きな流れをつかむことができた。
さて、何日も矢倉ばっかり並べていたので、気分転換に、また俯瞰した視点を得るために、勝又の1995年の「消えた戦法の謎」(これも名著)と2007年の「最新戦法の話」を再読。大切な将棋は、将棋年鑑CD-ROMのデータベースから検索して再現した。実際にこれだけ勉強すると、同じ本を読んでも、入ってくるものがぜんぜん違う。なんとなく「空白の二十年」の全体像が把握できてきた。
そして振り飛車については、藤井猛九段によって2003年から2005年にかけて書かれた大著「四間飛車の急所」全四巻、そしてその刊行が終わった直後の 2005年に若き竜王・渡辺明によって書かれた「四間飛車破り」全二巻、そして2006年の「現代に生きる大山振り飛車」。それらに何が書かれているのかを理解したあとは、再び、深浦の三部作「これが最前線だ!」、「最前線物語」、「最前線物語(2)」あたりをぶらぶらした。
そして、現代将棋興隆の分水嶺とも言うべき羽生・米長の名人戦(1994年)を、羽生による自戦記(「名人、羽生善治」「将棋世界」1994年8月臨時増刊号)を読みながら並べてみた。羽生・米長の名人戦は、僕が東京に住んでいた最後の年(1994年)の春の闘いだった。23歳の羽生は、初の名人戦を前に「普通の定跡形は指さない」と宣言し、第一局に先手番を握ると、いきなり5筋の位を取って中飛車を指した。名人戦という大舞台で、大先輩である米長を相手に「先手なのに飛車を振る」「矢倉を指さない」というのは、もうそれだけで無礼なことだと憤慨する古参棋士も多かったという。わずか十数年前まで、こんな非合理的な発想が将棋界にははびこっていたのであるが、羽生は「盤上の自由」を名人戦の棋譜で主張し、それもぶち壊したのである。
ちなみに勝又は「最新戦法の話」第5講「ゴキゲン中飛車」の冒頭で、94年の名人戦第一局について言及し、
中央に位を取り、すべての金銀が連絡した美しい陣形ですね。羽生は5筋位取り中飛車の「戦法としての優秀性」を再認識させたのです。(中略)
「得意戦法は持たないほうがよい」「よい戦法ならば棋風にこだわらず使うべきだ」という「羽生哲学」は徐々に浸透し、トップ棋士の戦法に対する考え方が変わっていきます。
と述べ、名人戦初戦に羽生が米長にぶつけた5筋位取り中飛車という構想が、90年代後半から大流行するゴキゲン中飛車の発想につながっていったと分析している。
さて、合間の息抜きの時間には、昨年末に急逝した真部一男九段をしのんで「升田将棋の世界」や「将棋世界」バックナンバーの「将棋論考」から面白そうな将棋を選んで並べたり、昭和の升田大山の名勝負の金子金五郎による将棋解説に遊んだりした。
これだけやってやっと、2006年に刊行された村山慈明著「最新戦法必勝ガイド これが若手プロの常識だ」という本の意味が、おぼろげながら少しわかった気がした。
以上が、僕の一週間の戦果である。
いやあ、やはり将棋は面白く、そしておそろしく深い。陳腐ではあるが、これが、勉強を終えての正直な感想である。
世の中の将棋ファンの人たちに、少しは追いつくことができたかなあ。いやむろんまだまだである。毎日コツコツとというのに加えて、またいつか一週間休みをとって、集中的に勉強しようと思う。
思いがけず、勉強法における齋藤孝方式をはじめて実践してみることになったが、これは確かに素晴らしい勉強法である。皆さんも是非お試しあれ。
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