2021-01-19 (Tue)✎
2020年09月に利尻礼文島に行った旅行記です。
この旅の目次はこちら。
2020.09利尻礼文島旅行記byJALANA
2020年09月15日(火)
この日は礼文島からフェリーで稚内に入りました。
するとフロントの横にこんなのが。
[レンタル自転車]
レンタル自転車です。
ホテルが貸し出してるようです。
フロントで確認してみると、2時間で1,000円で貸してもらえるらしい。
2時間を超えると1時間あたり300円の追加料金とのこと。
昼食を食べに行くにも便利なので、借りることにしました。
借りた自転車がこれです。
[自転車]
ママチャリです。
ヘルメットも貸してくれました。
[ドーム状の構造物]
古代ギリシアの建造物のような感じ。
なんなんでしょうか。
近づいてみます。
[稚内港北防波堤ドーム]
稚内港北防波堤ドームって銘板があります。
なんとこれ、防波堤のようです。
防波堤をこんな形にする必要がある~っ?
観光用も兼ねているのか。
せっかくなので自転車で奥まで行ってみようと思ったんですが、途中で何やら工事のようでバリケードがありました。
なんなんでしょうねぇ、まったく。
キコキコと自転車を漕ぐこと30分。
ノシャップ岬に到着しました。
[ノシャップ岬]
おおっ、なんか開けた場所です。
岬っていうので、断崖かと想像していたんですが、全然違いました。
まるで公園のよう。
自転車を止めて海に突き出した突端へ。
[ノシャップ岬の突端]
潮で錆びた味のある看板です。
遠くには利尻山も見えます。
今朝、礼文島のホテルから見たのと同じように上半分が雲に覆われたままです。
気温は19℃。
太陽は隠れていますが、自転車で走ってると半袖のシャツ一枚で十分な感じ。
快適です。
時刻は既に12時を回ってます。
昼食にしたいところですねぇ。
来る途中に食堂らしきのがあったので、ノシャップ岬からホテル方面に戻りましょう。
[ホテル方面の食堂]
ノシャップ岬のすぐ近くの観光客向けの食堂のようです。
観光のピークシーズンを過ぎた9月の中旬。
しかも武漢ウイルスが蔓延するなかです。
食堂は開いてるんでしょうか。
この旅の目次はこちら。
2020.09利尻礼文島旅行記byJALANA
2020年09月15日(火)
この日は礼文島からフェリーで稚内に入りました。
ホテルでレンタル自転車を借りる
昼食を取れる場所を聞こうとホテルのフロントに来ました。するとフロントの横にこんなのが。
[レンタル自転車]
レンタル自転車です。
ホテルが貸し出してるようです。
フロントで確認してみると、2時間で1,000円で貸してもらえるらしい。
2時間を超えると1時間あたり300円の追加料金とのこと。
昼食を食べに行くにも便利なので、借りることにしました。
借りた自転車がこれです。
[自転車]
ママチャリです。
ヘルメットも貸してくれました。
ホテルの窓から見えたドーム状の構造物は
これに乗って、まずはホテルの窓から見えていたドーム状の構造物のところへ。[ドーム状の構造物]
古代ギリシアの建造物のような感じ。
なんなんでしょうか。
近づいてみます。
[稚内港北防波堤ドーム]
稚内港北防波堤ドームって銘板があります。
なんとこれ、防波堤のようです。
防波堤をこんな形にする必要がある~っ?
観光用も兼ねているのか。
せっかくなので自転車で奥まで行ってみようと思ったんですが、途中で何やら工事のようでバリケードがありました。
なんなんでしょうねぇ、まったく。
ホテルのスタッフお勧めのノシャップ岬へ
気分を取り直して、自転車を借りるときにホテルのスタッフが勧めてくれた、ノシャップ岬に向かいます。キコキコと自転車を漕ぐこと30分。
ノシャップ岬に到着しました。
[ノシャップ岬]
おおっ、なんか開けた場所です。
岬っていうので、断崖かと想像していたんですが、全然違いました。
まるで公園のよう。
自転車を止めて海に突き出した突端へ。
[ノシャップ岬の突端]
潮で錆びた味のある看板です。
遠くには利尻山も見えます。
今朝、礼文島のホテルから見たのと同じように上半分が雲に覆われたままです。
気温は19℃。
太陽は隠れていますが、自転車で走ってると半袖のシャツ一枚で十分な感じ。
快適です。
時刻は既に12時を回ってます。
昼食にしたいところですねぇ。
来る途中に食堂らしきのがあったので、ノシャップ岬からホテル方面に戻りましょう。
[ホテル方面の食堂]
ノシャップ岬のすぐ近くの観光客向けの食堂のようです。
観光のピークシーズンを過ぎた9月の中旬。
しかも武漢ウイルスが蔓延するなかです。
食堂は開いてるんでしょうか。
No Subject * by とんび
かつて稚泊航路(稚内と樺太の大泊を結ぶ国鉄連絡船)があったころ、ドームの右側の道路付近で列車から船に乗り換えるようになっていました。当時のことはもちろん知りませんが、1978年に初めて北海道に行ったときに行きました。道路付近には線路が残っていました。ドームは汚くて、中は入れませんでいた。その後稚内に行った際には立ち寄りませんでしたが、また行ってみたいです。
私はてっきりバブル時代に造られたものだと思ってました。
改めて調べてみると、鉄道から連絡船への連絡通路も兼ねていたとのこと。
雨風雪よけの実用品なんですね。
驚きました。