ワタリー・ギラは誰のために泣いたのか? 『機動戦士Vガンダム』の厄介すぎる魅力とは
昨日、kaitoさん(@kaito2198)と、とある理由でワタリー・ギラ(Vガンダム)の話を少しすることがあって。その時に検索して気付いたんですけど、ワタリー・ギラを「いい人」とか「良識派」「人格者」と認識してる人って結構いるんですね。
2015-11-25 10:39:34googleの検索サジェストにも「ワタリー・ギラ いい人」と出てくる。カテジナにちょっかい出した部下を殺して、最後にウッソに泣きながら「まだ遊びたい盛りの子供がこんな事をしてちゃあいかん。こんな事をしていると、みんなおかしくなってしまう」とか言ってたからなんだろうか。
2015-11-25 10:43:20私もワタリー・ギラの例の場面好きなんですけど、何がいいって、ワタリー・ギラが何一つ現実を受け入れずに死んでいくところですよ。「騎士道」といっても戦争で部下は女に手を出すのが現実なので部下を殺す。さらに、子供がMSに乗って戦争して自分を敗北させるのが現実なので、今度は自分を殺す。
2015-11-25 10:47:43ワタリー・ギラは、自分の信じた現実にそぐわないものは排除してるだけで、目の前の現実は全く受け入れてない。最後は、その排除する対象が自分になっただけ。だから自決という最後だったことはポイントなんですよね。なので、私は「いい人」とか「良識派」みたいな印象は全くないです。
2015-11-25 10:50:27最後の涙を流しながら、ウッソに話しかける場面でも、実際に子供が兵士をやっているガンダムに撃墜されてなお「こんな現実があるというのか」とその現実を受け入れてない。だから、あの涙は、ワタリーの信じる現実が全て否定されたことへの涙であって、ウッソの為には一滴も流していないと私は思う。
2015-11-25 10:54:54結局「現実がこんなに残酷とはな……全く!」と、自分自身を現実から消し去るわけですが、目の前の現実を受け入れられないなら、そうするほかない。現実は確かに残酷です。戦場では醜いことばかり起きる。その事から、騎士道という自分でも実現できないと分かってる理想で目を背け続けてこうなった。
2015-11-25 10:59:24もちろん「ちょうどいいところにスペシャルな子供がおるわい。ガンダムに乗せるべ」とやっている、リガ・ミリティアの大人たちも大概ですよ。現実に最も効率的な方法で対処すればいいってものじゃない。でも、だからといってワタリー・ギラが「いい人」で「良識派」だとは私にはやっぱり思えないな。
2015-11-25 11:01:42『Vガンダム』に登場する大人たちのサンプルのひとつとしては、必要ですし、興味深かったと思います。ウッソのような子供が人殺しに参加しているのは悲劇ですが、その現実を見た大人がそこから目を背けるのもまた悲劇という意味で。こういうものとして、私もワタリー・ギラの場面好きです。
2015-11-25 11:06:12@highland_view 騎士道など理想だと嘯いてみても、守るべき弱者に打ち負かされた自分や、弱者であるべきものが弱者でない現実にショックを受けての涙に見えましたが、子供は子供をやるのが普通なんだから、という説教までして自殺するんですし、けっこう入れ込んでた気もしますねw
2015-11-25 11:03:34.@fuguuuuuu ワタリー的な騎士道でいえば、女(カテジナ)・子供(ウッソ)は守る対象であって、それ以上でなければそれ以下でもない、という事のように見えました。つまり子供が子供をやってもらわないと(ワタリー騎士道の設定上)困るじゃないか、という勝手な理屈なのかも知れません。
2015-11-25 11:11:45@highland_view そのように自分も感じます しかし、それを実践するのにベスパは適した軍隊だったかってのは疑問ですし(ウーイッグでの作戦や小説版でのバグの利用等)、ほんとに都合の良い設定を作ってたのかなって イクと同じであぶないおじさんですね
2015-11-25 11:18:57ランバ・ラルも自決しましたが、あの人はアムロが少年兵として自分の前に立ち塞がることを受け入れましたし、自決する時も敗北した兵士のさだめというものをよく見ておけよ、と死にざまを見せてくれました。自分の言いたいことだけ言って死んだワタリー・ギラと対比すると、違いがよく見えますね。
2015-11-25 11:14:41確かにこれをやってれば、まだ現実を見ての大人の責任取りのひとつとして評価できたと思う(ウッソにとっては迷惑な話だが)。でも、子供(ウッソ)は放置したまま自分だけが現実からいなくなる。 twitter.com/chiqfudoki/sta…
2015-11-25 11:20:24あの場の大正解って「お前みたいなクソガキは生かしておくともっともっと人を殺すから、オレがここで道連れにしてこの世界を少しでも綺麗にする」だったと思う
2015-11-25 11:17:58このへんについての解釈は概ね同意ですが、少しだけ意見が違うところもあります。私はワタリー大尉が「子供が兵士をやっていることに動揺していた。だからといって、良識のある大人というわけでもない」だと思っています。 twitter.com/highland_view/…
2015-11-25 11:18:35ワタリーの自爆は、確かに自らの理想を捨てるまで戦った末に目にしたモノへの衝撃で選んだ結果なのですが、それが極めて一面的で、自分のことしか考えていなかったのは確かなことだと思います。決してウッソのために自爆したわけではありません。
2015-11-25 11:21:48子供兵についての動揺は、確かにワタリーにはあります。しかし、彼にとって受け入れがたいのはむしろそれによって撃墜される現実です。彼は、ガンダムを勝ったことを一種の現実と対峙する方法だと見ている節があり、それがまさか子供によって粉砕されたことに絶望し、自ら死を選んだのです。
2015-11-25 11:24:27ワタリーに「子どもが兵士をやっていることに対する動揺」「残酷な現実に対する涙」はあっても、それらはすべて彼の一面的な理想に向かっているものであり、ウッソという個人・人格のためのものではありません。単純にいい人度ならば、キャラオケが趣味なデプレ大尉のほうはまだマシですね。
2015-11-25 11:29:56「まだ遊びたい盛りの子供…」という言葉の通り、勝手に子供の理想像を規定しているワタリーは、現実に生きているウッソのほうをまったく見ていません。このウッソとワタリーの間の完全な断絶とズレは、100%富野由悠季が意図的に作ったもので、Vガンダムという作品のおかしさを象徴するものです。
2015-11-25 11:35:47以下、『Vガンダム』という作品から離れて、富野作品の総論に入ります。
特に、Vガンダムという作品においては、「確実に作られている曖昧さ」というものが顕著です。富野作品のリアルは、まさにその「人の世を生きているかのような曖昧さ」の中に宿しています。最新作のG-レコはぐちゃぐちゃすぎる面もあるが、基本的に踏襲している。
2015-11-25 11:52:04富野由悠季の作品は難解と言われていますが、そうではない。一つ一つの解釈は少しだけ考えれば簡単に出るはずです。ではなんで難しいと言われるかというと、「正解なんて存在しないから」です。一つのキャラ、一つのシーンだけをとっても、「いろんな解釈を受け入れられる」ように作られています。
2015-11-25 11:43:18見せ方は情報の整理とコントロールに絡むもので、やり方は監督や作品によって違うし、正解なんてもない。分かりやすくするのは、ある意味アニメの正道だ。 富野はそこから少しだけ崩す手法を取っているだけに過ぎない。それを気持ちよく感じる人もいれば、難しいと思う人もいる。それでいいんです。
2015-11-25 12:00:38曖昧で猥雑な情報から生まれる「リアル」。それは経験論ではあるし、生理論でもある。現実はこうだよね、と。 多種な解釈の余地を作ってある作品は、正解を求めたがる批評家にとって不評かもしれないが、観客にとっては閉じていないので、いつまでも想像を羽ばたかせられる。これが富野が選んだ物。
2015-11-25 12:08:44ですから、@highland_view さんの一連のワタリー大尉に対する新解釈(?)はワタリー論に一石を投じた面があると思いますが、あえて贅沢でいえば、ワタリー大尉はそれだけではないよねと言いたいですね。 twitter.com/highland_view/…
2015-11-25 12:15:11