麻生太郎氏のナチス発言が日本では許される理由
これから毎日一つか二つ、ニュースを取り上げてtogetterにまとめようと思います。今日は、「なぜ麻生太郎のナチス発言を許してはならないか」についてです。
2013-08-02 07:44:15私は普段からテレビを見ないので、この発言に対して日本国内の人がさほど問題視していないように思えたのだけど、その事に正直びっくりした。
2013-08-02 07:45:00麻生太郎氏と言うのは、むかしから差別発言については問題がある人で、たとえば被差別部落出身のある大物政治家に対して差別発言をして非常に嫌われた事もあるし、その政治家とはまったく政治的立場を異とする別の被差別部落出身のある大物からも同じく嫌われていた。
2013-08-02 07:46:21前者の大物政治家はどちらかというと公共事業をがんがんやれという立場の政治家で、逆に後者の大物はどちらかというと国民は自分の責任で努力をすることが大切だという考え方だったけれど、どちらも等しく麻生太郎を嫌っていた。
2013-08-02 07:47:29ただ、逆に言うと、そういう抜き差しならない事情が無い限りにおいて、麻生太郎というのは国民に愛される政治家なのではないかと思う。現に私の周りで彼のことを悪く言う人はいない。
2013-08-02 07:48:22ここで問題なのは、なぜ海外であれほど感情的な反応を受ける麻生氏の発言が、日本国内ではさほど問題視されないかである。
2013-08-02 07:50:42理由は極めて簡単である。海外に比べて、日本では「自分が弱者になるかもしれない状況」に対する想像力が極めて弱いのである。
2013-08-02 07:51:32海外のほとんどの国では、名目的にも実質的にも単一民族ではない。それぞれの細かい出身地なり、民族なりでの対立が必ず会って、その中で社会が動いて行く。
2013-08-02 07:52:25一方で日本では、もちろんアイヌ民族や在日韓国人・中国人は居るけれども、彼らの比率は極めて少なく、また彼ら自身の大半は、日本人の名前を持ち、あまり自分たちの帰属を主張せずに、日本語でいえば「空気を読んで、波風を立てず」生きようとしてきた。
2013-08-02 07:53:35海外と、日本では「自分が弱者になるかもしれない状況」に対する想像力が全く違う。日本でも貧富の差はあり、民族も一つではない。が、ただ日本人は"貧富の差はあまりなく、民族は日本人である"という幻想を共有している。
2013-08-02 07:54:36海外ではこうは行かない。たとえば、中国でも韓国でもアメリカでもヨーロッパでも、おそらく多くの方は、"民族や門閥によっていつ自分が不利な立場に立たされるか分からない"という危機感を共有している。
2013-08-02 07:55:49だからこそ、「自分が弱者になるかもしれない状況」に対する想像力が強く、差別発言にも敏感になる。一方で、日本人にはこういう危機感は極めて薄い。自分は大丈夫、自分は弱者になる事なんてないと思うから、日本人は弱者に自己責任による解決を求める傾向が極めて強くなる。
2013-08-02 07:56:42ただ、私自身も高校時代に経験したことだけれども、人間生きていれば一度や二度は精神的にもつらい、どんづまりの時期を迎えることになる。人によっては、うつになったり不眠症になったりパニック障害になったりする。そのときはじめて分かる。人はいつだって弱者になりうると。
2013-08-02 07:57:49「自分が弱者になるかもしれない状況」に対する想像力があれば、人に差別発言をし、差別を許す社会を作ることに対して明確なノーを突きつける事ができる。
2013-08-02 07:58:37けれども、麻生某氏のように、一生強く生きて行くことは、たいていの場合、何かしら恵まれた環境があるからこそ可能なだけであって、所与の条件が極めて分が悪い時は、転がり落ちながら自分なりの成功を求めて行くしかできないことがほとんどだ。
2013-08-02 08:00:23だからこそ、自分が転がり落ちた時の保険を作るためにも、半ば利己的な動機で、私たちは差別的な発言を許してはならない。
2013-08-02 08:00:55被差別部落や在日韓国人、ユダヤ人を差別することは、明日精神疾患になるかも分からない自分自身の首を真綿でゆっくり絞めるような行為である。私たちはそういう危機感を、一人ではなく、みんなで共有しなければならないと思う。麻生太郎的なるものを許してはいけない。
2013-08-02 08:02:27