和算の歴史について
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関連書籍
三上義夫『文化史上より見たる日本の数学』
平山諦『和算の歴史』『関孝和』
桃裕行『暦法の研究 下』「第五部 暦道と算道と」
青江舜二郎『狩野亨吉の生涯』
ここ十日ほど数学の話しがTL上を賑わしていたが、はっきりいってよくわからなかったので、僕のいつか読もうリストにあった数学っぽい本を頼んでみた。
2013-05-15 20:16:17三上義夫先生の『支那数学の特色』には、祖沖之(西暦500年七十二歳で没)の円周率に関する記述があるそうで、こちらも読みたいのですが手に入らなそう。 (つづく
2013-05-15 22:05:12祖沖之の円周率に関する記述は、『隋書』律歴志に、円周率の正確な数は3.14159237と3.14159236との間にあるとみえ、それが載っている書の名は『綴術』なのだとか。三上義夫先生はこの率を祖率であるとおっしゃっているそうです。
2013-05-15 22:05:26桃裕行先生は『数学者の俳諧』で、三上義夫『文化史上より見たる日本の数学』から「日本の数学が、実用の側から発達を促された面もあるが、江戸時代の和算が武士階級の生活の余裕の上に実用と全くはなれて趣味的芸術的に考究した結果空前の発達を見、 (つづく
2013-05-15 20:32:17幕末になつて洋学が天文測量等の部面に入って来ても、数学はほとんどこれとかかはりを持たずに明治の初めに至つたことを強調されてゐる」という話しを引用しておられる。幕末から明治にかけての学問の経緯はどれもこれも面白いので、いつか読もうと思っていましたが、いい機会なので注文してみました。
2013-05-15 20:33:13@murapyon71 隋書に志第11- 律暦上。志第12 - 律暦中。志第13 - 律暦下とあり、7桁だしていたとは驚きですね正しい値は3.14159265.. だから、間違ってるけど、古代までさかのぼってπの桁の比較をしてみるとおもしろそうですね。
2013-05-15 22:58:40@Exphysicist 平山諦『円周率の歴史』によると、中国では祖沖之、日本では江戸時代の関孝和、西欧ではAdriaan Anthonisgoon(1543頃-1620)とあるようです。こちらの本は高価過ぎて手が出せませんが…。 http://t.co/KVNqALE2Pv
2013-05-15 23:34:58@murapyon71 この本、確かに高価な古本しかなくて、全国の大学図書館でも見つかりませんでした。東北大学付属図書館の広報によると平山文庫なるものがあるようです。お嬢さんの鈴木絢子さんが父上の事を書いていらっしゃいます。 http://t.co/eCbWGKI0Tb
2013-05-16 00:12:51西洋の数学にあって和算に無いもの
三上義夫『文化史上より見たる日本の数学』。緒論に、日本の数学(和算)は西洋の数学に比してすこぶる見劣りするとある。数学者の視点からの研究より文化史的研究の方がはるかに重要な意義を持つとある。ここら辺は水野先生のツイートにみる数学の意義を教える難しさというのにつながるのかな?
2013-05-18 17:28:29平山諦『和算の歴史』に、西洋数学にあって、和算に無いものを四つ挙げている。1)函数概念の欠如。2)座標の欠如。3)記号の改良が無い。4)角の概念が無い。平山先生は、今の数学から函数・座標・角の三つを取り去ったら、何を成し得るか考えてみろとおっしゃっている。
2013-05-18 17:33:43いや、僕は考えてもわからんので、とりあえずここでは先生方が使われている言葉をそのまま書きますね。あとは読む方におまかせ。
2013-05-18 17:35:53西洋と日本との格差を平山先生はこうみておられる。西洋の数学発達の背後には自然科学があり、江戸時代に自然科学は全くなかった。江戸時代に民は数学を楽しんだが、それは遺題や算額にみられるように、問題を解くための問題づくりに熱中、なんら応用というものは考えられていない。
2013-05-18 17:43:20和算家は、問題を解くよりも、美しい問題を発見することに無上の喜びを見出していたらしい。ゆえに遺題や算額は必ずしも難しいものばかりでなく、美しい問題が主であったと言っておられる。
2013-05-18 17:46:49西洋数学が過程を説明するのに対し、和算家は、簡単な公式なら直感で帰納しすぐに求めてしまうだけの算術に秀でていた。この直感力の弊害は、難問を解けば事足れりとする難問主義に走ったものとし、徹底的に論じ尽くすの気風に欠け、理論的に大きな展開をみせることは無かったということらし。
2013-05-18 17:58:00これら和算家の特色を踏まえ、平山諦先生は和算家の美しい問題を『和算の歴史』で説き、三上義夫先生は、和算の算術は数学者にとってあまり重要では無いとし、主に文化史的な研究に重きを置いたのが『文化史上より見たる日本の数学』ということになるのでしょうね。
2013-05-18 18:02:54平山諦先生が言うところの和算家が尊ぶ直感力というのは、伊東乾先生の言葉によく集約されていると思う。ただ、あまりにも尊び過ぎて足枷になっていたというのが、平山諦先生のお考えのようだけど。
こういうのが減ってると思うのです。とくに第二次世界大戦後の教育で。例えば「暗誦」をしなくなった。古典の名文と呼ばれるものをまるまる暗記するようなことをしない。暗記は丸暗記ではなく、すべて身体化し、血肉としたあとでつぶさに分解解析もする、そういう丸ごと腹に収める教育がなくなってきた
2013-05-17 10:13:43和算の発達を促すような外部の圧力の少なさについて。
荻生徂徠の和算家に対する毀りなど。
[三井寛文]村上陽一郎によると、技術とは古くから「その成果をもとめ、買ってくれるクライアントがかならず存在していた」が、「科学の場合は他の知的活動とは異なり、共同体の外部にクライアントが存在しなかったという視点を用いれば、疑似科学は科学に比べ、より「技術」的であるといえる。
2013-05-17 14:31:28@aizujin_k 「共同体の外部にクライアントが存在しなかった」←これは徂徠が数学者を毀った言葉に似てますね^^ →「問題の奇巧を競って、その実世に用なし。」。学問の価値をどう評価するか?いつの世にもありがちなお題目なのかも知れませんね。
2013-05-17 19:03:36@murapyon71 お纏めいただき有難うございました。日本人は不老長寿や不変を希求する気持ちが薄く、錬金術にのめり込まなかったことも、自然科学に縁遠くなった一因かと思っています。
2013-05-19 18:15:41@aizujin_k おお、これは以前aizujin_kさんがおっしゃっていた「共同体の外部にクライアントが存在しなかった」につながる構図ですね。外部(金持ち)が数学者に興味をいだく要素が日本にはあまり無かったということになるのかも知れませんね。
2013-05-19 19:30:22@murapyon71 さんや水野先生に教えていただいたように、暦との絡みで天文学、治水や築城との関係で土木工学は其れなりに発達し、数学の知識も必要だった訳ですが・・・そういえば、伊能忠敬も伊能家が利根川治水と係っていた為に、江戸に出る以前に基礎教養が相当あったという話でした。
2013-05-19 20:47:25