わたしが知っているいくつかの親のグループのたいがいの始まりは、地元の保健所で保健士さんに「この地域のダウン症の赤ちゃんのお母さんを紹介して欲しい」というものでした。「会いたい」が発端。そこで出会う仲間と話をする。そして出てくるのが「こう思うの」とかいう話。
2010-07-07 12:55:32それが療育の話で「今は手に入らないけど、やってみたい」ということなら、1人1人じゃなくてみんなでできないかなとか、「なんとかの話とか、ちゃんと聞きたい」とかってことなら「なんとかの人を講師に呼んでみんなで聞けないか」とかってことだったり。
2010-07-07 12:55:59要は1人じゃできないこと、臆してしまうこととかを、1人じゃなかったらできるかもしれないとか、それが同じ症候群の親たちの集まりの中の「ポジティブな雑談」の中で生まれていくといいなとか思うわけです。
2010-07-07 12:56:17で、まあ、価値観が似たような人が集っている場合、どの分野とかに熱が入るってこともあるとも思う。わたしはそれはそれでいいんではないかと思うわけです。ただ、「誰かの指導力」みたいなものが強くならなければ。「特定の影響力」とかが強くならなければ。
2010-07-07 12:56:35正解なんてことはどこにもないことなんだと思います。そこで生まれていくことが誰かに無理をさせるものでなければ。また、特定の方向に走ろうとしているときに「アンタの情熱走りすぎ」ってなことをうまく言い合える関係をもてる環境もあったらいいな、とは思います。
2010-07-07 12:56:59娘が小さいときに、大きな親の会でわたしは副代表と小さい子のグループリーダーをやってたのですが、小さい子のグループで「療育について知りたい」という要望があった。大きい子の親に「どうしよう」と言うと、「好きにやれば?」と。当時は戸惑ったけれど、これは実に親切な回答だと今は思う。
2010-07-07 12:57:23で、場所を借りて、当時なんだかんだピックアップされていた情報を整理したものを作って、あと療育関連のビデオを集めて「みんなで見よう」会を開く。情報は大きい子の親にもらったり資料やビデオを借りたりしました。
2010-07-07 12:57:46その中のビデオの一本に、右脳なんとかで有名なアレに関連する「ダウン症の子がコレをやったらIQ180に」という宣伝ビデオがあった。わたしはそれを集まりの前に自宅で見て、申し訳ないけど思わず笑ってしまったんです。
2010-07-07 12:58:09それはなんというか、デパートでよくやってる調理器具の実演販売を見ているようなのと似ていて、ほうらこんな魔法がすごいでしょう?みたいなモードで、(縁日の夜店じゃないんだから)とか思った。ところが、みんなで何本もビデオを見て、貸出希望が一番多かったのはそのビデオだったんです。
2010-07-07 12:58:56わたしはものすごくうさんくさく感じたけれど、それはそれでそれはわたしが感じたことなんだというのは思ったので黙々と貸出の順番を決めていきました。結局着手した人もいましたけれど、特に情熱的には流れず、いつの間にかみんなが忘れてしまうような感じでした。
2010-07-07 12:59:24療育以外でも、とにかく「わたしたちはしあわせ」アピールをしたい人もいる。それはそれでいいんではないかと。ただ、それを誰かに押しつけたりする人がいないならば。どんなものでもどんな形でも、誰かが「自分が感じること」が制限される状況でなければよいんではないか、とは思うわけです。
2010-07-07 13:00:02なぜかっつーと、いろんなことに敏感になって、いろんなことをやってみようとか思ったりってのは、告知後数年くらい、ダウン症の場合は特に就学前の数年にすごくいろいろあると思うんです。そしてその数年がその後10年くらい経ったときに「来た道」のようにすんなりわかる時がくると。
2010-07-07 13:00:23いろんな可能性が見いだせるような形でポジティブに集まっている状態がいいなあと。そこで一番大事なことは、いろんな価値観やらいろんな目やらを、その状態から自分たちが自分たちの中に培っていけるってことなんじゃないかとか、そんな感じを持っています。
2010-07-07 13:01:49まあ関係性はポジティブに見えても、内面では集っている子どもたちの発達の状態を比較しあってしまったり、そのことで相手には言えない毒のようなものを秘めてしまったりってこともあるんですけど。それもまた、後でいい経験になっていくとは思うんです。
2010-07-07 13:02:09後は、集まった親たちが「自分たちの個性の貸し合い」のようなことがあればいいなと。情報を調べるのが得意な人がいればその人に活躍してもらえばいいし、手作りおもちゃが好きな人がいればその人の工夫を見せてもらえる機会はたくさんある。
2010-07-07 13:02:28何にもしなくてもやわらかな子育てをしている人に、なんだかみんながほわっとした気分になるってこともある。そうやって、集っているというメリットが自分たちに漂うようにわかればいいんではないかと。だから「指導者」はいらないと思うんです。「指導者」はそういうメリットを壊すことがある。
2010-07-07 13:02:48「指導者」はいらないけれど、「体験の先達の存在」が意味が大きい場合もあります。このときに「体験の先達」は「あなたの選択」を尊重することを忘れてはいけない、とは思います。それは「体験の先達が提供するのは情報であって、指導ではない」ということだとも思います。
2010-07-07 13:03:15@sibtane 親のグループの家族レクの機会はけっこう重要だな、とか思う。きょうだい同士はヨソんちのダウン症の子は覚えなくてもきょうだいは覚えてたりしますね。親密なつきあいってのをしてなくても、自分に近い年齢に自分と同じような環境の子がいるって感覚がある。それ大事だと思う。
2010-07-07 21:11:29@sibtane 居場所を作るレクを作らなきゃいけないんだと思う、親が。まあこのあたり、ダウン症児は楽なんだよね、レク行事好きだし。だからきょうだいの子に手を回せる余裕はあるんだと思う。ウチのグループはきょうだい児の名前と生年月日書いた名簿も作ってますよ。
2010-07-07 21:20:21