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ユール「ハーフリアル」邦訳書の発売に寄せて

イェスパー・ユール「ハーフリアル ―虚実のあいだのビデオゲーム」が、ニューゲームズオーダー社から9月末に発売されます(PDF版は先行で発売済)。わたくしはこの翻訳本の企画者として諸々の作業に関わっておりまして、なんでこの本の翻訳を企画したのか、ということについて少し書かせていただきたいと思います。

以前「捏造ドイツボードゲーム現代史」というプレゼンを行った時にも触れたのですが、そもそもわたくしには個人的に、ゲームについて喋りたいという願望があります。現にゲームというものは存在していて、更に言えば面白いゲームと詰まらないゲームが存在していて、面白いゲームには面白いゲームにおける、詰まらないゲームには詰まらないゲームにおける、なにがしかの傾向もある。そうであるのにもかかわらず、喋るための十分な言葉は用意されていません。日本語www界隈には「小学生並の感想」というスラングがありますが、ゲームについて喋る時には小学生並の語彙しか存在しないので、小学生並の感想ではない事を喋ろうと思ったら、毎回自分で言葉を一から作り上げていかないといけないわけです。もちろん、中学生以上の語彙が用意されている他分野から言葉を借りてくることはできますが、その場合には、借りた言葉がなぜ適用可能かということについて、根拠の説明を毎回自分で行わなければいけません。

ボードゲームの場合はビデオゲームと比べてさらなる困難があり、我々には言葉が無いだけでなく個々の作品を位置づけるための歴史もまともに存在しないのですが、それについては「捏造ドイツボードゲーム現代史」で既に喋ったので置いておくとして、今回は言葉の話です。先ほどは小学生並の語彙しか存在しないと書きましたが、実際のところ現代においては、「あるものがビデオゲームであるとはどういうことなのか。どういう場合にビデオゲームは楽しいものになるのか。ゲームのルールはどのような仕方で機能するのか、またルールはどのようにしてプレイヤーに楽しみを与えるのか。どのようにして、そしてなぜ、プレイヤーはゲームの世界を想像するのか」という動機に基いて、ゲームについて調べ、よその分野から調達した語彙をゲーム用に調整し、また自らも概念を考え出して、とゲームについて考えるための様々なパーツを生産する仕事に従事する「ゲーム研究者」と呼ばれる人々が何人も存在しています。

そして実際にゲーム研究者の方々の仕事は、我々のごとき普通にゲームを考えたい人々が手頃に使用できそうな成果が生まれる程度まで進んでいます。進んでいるんですが、ここで問題になるのが例のバベルの塔です。突然ですがここである一人のついったー民の荒れた呟きをご覧ください。

「ジェスパージュール(※)の主著も未訳だしサットンスミスも軒並み未訳。ジュールは最近の人だから仕方ないがサットンスミスの未訳って絶望的なんじゃないか。ルールズオブプレイの和訳は奇跡と言えるかもしれない」
「Sutton-Smithすら邦訳のない日本のゲーム屋まじで仕事放棄しすぎだと思うんですけど」
「同人ボードゲーム製作をここ数年止めてるのは優先度の都合です。あのゲームも未訳、ジェスパージュールもサットンスミスも未訳、純草場オーラルヒストリーも手付かず(これはいたるさんがやってくれるらしい)、増川宏一も松田道弘も安田均も手付かず(SNEの誰かやってよ)、でゲーム自作ってもねえ」
(※イェスパー・ユールの英語読み)

誰も! 翻訳を出さないから! 英語で読むしか無い! いや読むけど、読むけど! 俺が欲しいのは「俺が手頃に使用できそうな成果」なんであって!

ただわたくしも、このウェブサイト始めたころと違っていい加減おっさんになったので(何せ十五年経ってます)、こういうのは待ってても誰も何もしないものなのだ、ということは解っています。現状の出版状況と一般的な出版社の社員さんのコストを考えれば、普通の商業出版社が出して費用を回収できる可能性はあまり高くないですし。また現在の研究者ワールドにおいて翻訳は直接には業績ポイントにはならない上にゲーム研究だと学術的な出版補助のゲットも厳しそうなんで、学術出版社から出てくることもあまり期待できないですし。上の荒れたツイートとして書いた通り、本来ならゲーム業界が責務として翻訳を出すべきだとは思いますが…まあ現状を鑑みれば妄想以上のものではないですよねそれは。

そういうわけで、自分でやることにしました。

先ほど引用した「あるものがビデオゲームであるとはどういうことなのか。どういう場合にビデオゲームは楽しいものになるのか。ゲームのルールはどのような仕方で機能するのか、またルールはどのようにしてプレイヤーに楽しみを与えるのか。どのようにして、そしてなぜ、プレイヤーはゲームの世界を想像するのか」というのはこのユールの本の冒頭に書かれた文で、この通りの内容になっています。加えて、ビデオゲーム「ではない」古典的なゲームの定義に関する議論と、それを踏まえてビデオゲームがどの点においてユニークなのか、という議論が含まれており、ボードゲームプレイヤーにとっては、展開されるビデオゲームの議論から、ではボードゲーム(古典的なゲーム)というのはどのようなものなのか、ということが逆に照らし出されるようにもなっています。ゲームについて考える・喋るための語彙をつくるベース、という目的において、内容の面でも語り口の簡潔なわかりやすさという意味でも、最も相応しい本のひとつと言えるはずです。無論その語彙は、ゲームを作る上でも大いに必要になるものでしょう(それが「定義を壊すために定義を知っておく必要がある」という使い方なのだとしても)。わたくしはいつでも読みたいときに日本語で読めるようになって大変満足していますので、皆さんも読んで満足していただきたいと思います。



【外部リンク】

読みやすい本ですが学術書である以上は学術的なものとして使える翻訳にしたいということで、翻訳はゲーム研究者の松永伸司さんにお願いしています。原文がそうであるように、誰でも問題なく読めるわかりやすさと学術書としての緻密さが両立された訳文になっています。本のより詳細な内容については、松永さんが紹介を書かれているのでそちらをご覧いただければと思います(http://9bit.99ing.net/Entry/25/)。

また、ボードゲームプレイヤーが読むイェスパー・ユールということで、草場純さんによる読解の録音が「ボードゲーム読書会@高田馬場」で公開されています(http://www.boardgamereaders.com/books/half-real 、現在は4章まで。9月末に最終章まで公開する予定です)。

加えて、購入する前にサンプルを見たいという方のために、ニューゲームズオーダー社のウェブサイトで1章のPDFがダウンロードできるようになっています(http://www.newgamesorder.jp/games/half-real)。
by Taiju_SAWADA | 2016-09-20 00:20 | 感想・紹介
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