2019年12月に中国湖北省武漢市で発生した新型肺炎は瞬く間に世界中へ広まり、その勢いが収まる見込みは立っていない。欧州では1月下旬にフランスで初めて感染者が確認されると、ドイツ、フィンランド、イタリアへ次々と拡大している。
筆者が住むオランダは2月27日に感染者が出た。アジア系の人びとはすでに経験したことがないほどの差別を受けており、同国の社会問題に発展しつつある。(オランダ在住ジャーナリスト=稲葉かおる)
▽外出もままならない
2月10日、オランダのラジオ局「Radio 10」の番組で絶対に許してはならないことが起きた。新型肺炎について取り上げた「転ばぬ先のつえ」という歌を流したのだ。題名だけを見ると、問題があるようには思えない。歌詞が中国人を差別しているのだ。一部の日本語訳を以下に記す。
予防は治療に勝るんだ!
どんな予防があるかって?
中国人が作った中華料理を食べなければいいのさ!
中国の人々に対する露骨な差別で不快極まりない。放送直後から批判の声が上がり、複数の差別対策団体には3万件を超える苦情が寄せられた。さらには、国家検察局までもが乗り出す騒ぎに発展。結果、ラジオ局と番組パーソナリティーの男性は謝罪に追い込まれた。
中国で新型肺炎の発生が確認されて以来、中国人を含むオランダ在住のアジア系の人々は外出もままならない窮屈な暮らしを余儀なくされている。原因は、「差別の波」が押し寄せているから。中でも、中華レストランへの打撃は大きい。新型肺炎についての報道がなされてから、目に見えて客足が遠のいてしまったという。
こんな事件もあった。オランダ東南部にある名門ワーゲニンゲン大学の学生寮エレベーターに「コロナ 中国人」となぐり書きされただけでなく、汚物も擦り付けられていた。誰がやったかはいまだ判明していないが、幼稚かつ不愉快な愚行として報道された。
▽ 「コロナちゃん」
オランダでは、中国や韓国、インドネシア、タイ、フィリピン、ベトナム、そして日本などアジア系市民が多く暮らしている。しかし、彼らがここまで差別の対象にされることはまれだ。筆者はイギリスやポルトガル、スペイン、そしてオランダで計25年間暮らしているが、これまで差別されなかったのはオランダだけだ。
なぜなのか。複数のオランダ人に尋ねてみた。すると異口同音に「アジア系の人々は元々勤勉で納税義務も怠らないから」と答えてくれた。数年前より若い女性を中心に爆発的な人気を呼んでいるK―POPの存在も大きい。国民の多くが好意的なイメージを持っているのは今も変わらないのだろう。しかし、きっかけさえあれば差別感情が頭をもたげてくることが明らかになった。それが何よりも怖い。
オランダでは未成年者の間でもアジア系への差別が爆発的に広がりつつある。代表的なものをいくつか挙げる。アジア系生徒が教室に入ってくるなりクラスメート全員が手で口を押えて「うつさないで」と合唱する。アジア系生徒の教科書や椅子を「除菌」と称して窓から投げ捨てる。また、名前ではなく「コロナちゃん」と呼ぶ…などなど。文字にするだけで嫌になる行為が平然と行われているのだ。
これを受けて、学校の中にはアジア系生徒を差別した生徒を罰するところも出ている。
▽「#私はウイルスじゃない」
残念なことに、欧州全体でみれば、アジア系市民への差別は珍しいことではなくなっている。フランスの新聞社は記事の見出しに「黄色人種警報」と付けた。この新聞社は直後に謝罪している。店やレストランでアジア系の人による接客を断る例はしばしばあるという。ほかにも握手を拒否された人やすれ違う際にさげすむように「コロナ」と言われた人は国を問わずいる。
反対する動きも出てきている。フランス国内のツイッターでは差別的言動の批判を目的に「#私はウイルスじゃない」というハッシュタグ(検索目印)が登場し、トレンド入りするほど注目された。
「外見だけでアジア系を識別するのは非常に困難」。オランダ人は言う。それは理解できる。だが、アジア出身者というだけで差別の対象にされてしまうことは正直やりきれない。
一方、アジア人に気を使うとするあまり、日本人の私に対してとんちんかんなことを言うオランダ人も出始めた。先日、わざわざ近づいてきて握手を求めてきた女性は「あなたの国、インドネシアは感染率0%だってニュースで言っていたわ。だから、こうして握手しても新型コロナウィルスがうつる心配はないわよね」とまくし立てて、ウインクしてみせた。
これは差別に当たるのか? 今、答えは出ない。それでも、現状が異常であることははっきりと分かる。新型肺炎があぶり出した欧州の差別意識は、人々の間にどのような傷を残すのだろうか?