teruyastarはかく語りき

TVゲームを例に組織効率や人間関係を考える記事がメインのようだ。あと雑記。

石原恒和の仕事の流儀

これ面白かった。


石原恒和(2013年10月28日放送)| これまでの放送 | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀
http://www.nhk.or.jp/professional/2013/1028/index.html#b_cast


ポケモンのプロデューサー。
開発はゲームフリークだが、株式会社ポケモンでゲームソフト含む
ポケモン関連の全てをプロデュースする。

“事件”を起こす

「携わってきた人たちやチームが日常の仕事、
制作活動の延長線上では生まれてこない発想とか、
ある種、事件というか要素を外側から持ってきて、
そしてより強い力やクリエイティブを引き出すというのが、
やはりプロデューサーの役割ですから、
そこが一番大事だと思っています」
と石原は言う。

プロデューサーとしてたくさんのプロジェクトを見ると、
あっちこっちのアイディアが別のプロジェクトに使えたり相乗効果を起こすという。
会議では雑談が脳を柔らかくするとも。


でも、僕が気になったのは「痛恨のゲーム制作」。
大作として2年の期間をもらい、それでも納期が遅れ完成せず
ずっといっしょにやってきたメインプログラマーから「もうついていけない」と言われ
本人が変わるきっかけとなったプロジェクトの方だ。
結果ゲームソフトは無事発売されたが、
いまでもそのゲームはプレイできないという。


番組で、そのタイトルは分からなかったがWikipediaで調べると、
ポケモン以前で関わった大作ソフトは1つしか見当たらない。
糸井重里率いる、エイプの副社長を勤めた時代。


あの「MOTHER2」だ。



番組の冒頭で、任天堂の岩田社長のコメントがあったが、
「その手があったか、という驚きを未だに与え続けてくれる人」
と、とても高評価。


しかし、岩田社長といえばどうしようもなくなった
MOTHER2プロジェクトを立て直した張本人である。
それを元々率いてたのが、ポケモンの石原さんだったとは。*1


そのときの名言は語りぐさになっている。

『MOTHER2』ふっかつ記念対談 はじめてのひとも、もういちどのひとも。 - ほぼ日刊イトイ新聞
http://www.1101.com/nintendo/mother2_wiiu/2013-03-18.html


岩田
「よければお手伝いしますが、
 つきましては2つ方法があります」

「いまあるものを活かしながら
 手直ししていく方法だと2年かかります。
 イチからつくり直していいのであれば、
 半年でやります」


この記事だと実際に半年で全部入って、もう半年でさらなるブラッシュアップをかけ
プロジェクト開始からまるまる5年を経ての発売となったようだ。
ということは、2年のプロジェクトが4年でどうしようもなくなってたわけか。


ある意味大失敗なんだろうけど、
それがいまやポケモンの名プロデューサーというのも凄い。

ポケットモンスター - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC


「ポケモン」の納期は当初1991年末だったが、
RPGの開発経験が不足していたことやゲームで最も重要な要素である
「交換する」ということへの動機付けを見つけられず、納期を超過した。

その間不足した資金を補うため他のゲームを開発するなどの理由で、
ポケモンの開発はしばしば中断された。
1995年頃までに、『MOTHER2』を制作したエイプから
新会社クリーチャーズの社長に就任した石原恒和(現・株式会社ポケモン代表取締役社長)
が全体をまとめて方向付けを行う役を担うようになった。

『MOTHERシリーズ』は田尻がポケモンを製作する上で参考にしたRPGでもあり、
そのためか共通点も多い
(RPGでは当時珍しい現代の世界観であることや、主人公の服装など)。
また、ゲームフリークと開発委託契約を結び、
石原自身がプロデューサーとして数々の企画を
任天堂などへと提案していく火付け役ともなった。
当初から開発を支援していた任天堂も、製品の完成を粘り強く待ち続けた。

MOTHER2の発売が94年8月。
ポケモンの発売が96年なので、ちょうどスライドしていった形。



番組の解説だとそれ以降、
「なんでできないんだ!!」と激しくスタッフを詰め寄るようなスタイルから
「辛抱強く待つ」という方針に変わったという。


資金面も考えるとどっちが正しいというわけではないだろうけど、
常に新しい驚きを提供しようという
土台から2転3転するゲームソフト制作の場合、
面白さの保証も、プロジェクトの見通しも難しかったりする。

スタッフに鞭打ってデスマーチを乗り越えても、
ゲームソフトが売れてボーナスが出るようでなければスタッフは報われず疲弊していく。
売れるならこのやり方もありだが、デスマーチから生まれるのは妥協なので、
売れる可能性も低くハイリスクでスタッフは続かないのだろう。


まあ、「辛抱強く待つ」というのがベターとしても、
資金も考えるとなかなか出来る話ではない。
任天堂のタイトルだと社長が訊くなどをみてもこの開発スタイルの話はよく聞くが、
任天堂だって全部が全部大ヒットでもなく、2−3年かけたけど名もなく消えていったタイトルは多い。


ほんとうはその、「辛抱強く待つ」の中に隠されてる
細かい何かに神が宿ってるのかもしれないが、番組からは読み取れなかった。

ゲームソフト業界が一強階弱なら、「全打席ホームラン」を狙って
辛抱強く待つのが最適解なんだろうか。
任天堂の時間のかけ方はとても真似できないし最適解とは思えないが、
少なくとも「なんでできないんだ!!」と詰め寄るのが間違ってる事はハッキリしてるかな。

*1:率いてたというのは語弊かもしれないが、番組では痛恨と紹介されてたので