teruyastarはかく語りき

TVゲームを例に組織効率や人間関係を考える記事がメインのようだ。あと雑記。

「生きてるだけで丸儲け」の意味


きっと何者にもなれないであろう僕達の生存戦略 - teruyastarはかく語りき
http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20111019/1319053556


先日書いた記事。
明石家さんまさんの言葉を引用しつつ、
「現実はどうあれ失敗を自分で笑えるぐらい楽しもう」
みたいにまとめましたが、
以下のコメントをもらいました。

通りすがりの人


何も行動できないネガティブ人間が、「失敗」の見方を変えるのって、
かなり無理をしていることであって、
楽しさを探すどころか余計に疲れてしまう気がするかなぁと思ったのですが…


確かに。
恋愛でも、仕事でも、お金でも、自分の失敗すら笑おうというのは、
お笑い芸人ならTVやラジオで、
後でネタになる意味でおいしいかもしれませんが、
ネガティブな人にはそれすらちょっと無理がある。
「失敗」にフォーカスしたのは失敗でした。
「楽しさを探す」とはどういう意味か?
のほうがより重要みたいです。



出自はわかりませんが、そのさんまさんの座右の銘、
「生きてるだけで丸儲け」も、そうなんですよね。
ネガティブな人にはとても生きてるのが丸儲けなんて思えない。


【『生きてるだけでまるもうけ』】|【宝地図・望月俊孝】誰でもカンタンに実践できる成功法則
http://ameblo.jp/takaramap/entry-10299324775.html


明石家さんまさんと島田紳助さんのちょっとジーンと来る話です。



『僕は売れない時代が長くて、
ずっと人生は厳しく、不公平だと思ってたんですよ。
でもね、さんまは昔から、


「紳助、お前は一体、何が不満なんや?
確かに俺らは、まだ大成功はしてへんよ。
でも、一応飯だって食えるし、
狭いながらもこうやって部屋だってあるやないか?
それに、俺達は好きなことやって毎日くらしてるんやぞ。
俺なんか、いつも生まれてきただけでまる儲けと思ってるよ。」


って言うんですよ。


この言葉は、僕にとってパラダイムシフトでしたね。
すぐにさんまの思想を見習うことにしました。
すると不思議なもので、
何をするのもうまく回りだすんですよ。
ディレクターに命じられるテレビの無茶なロケも、
以前なら悪態ついてたもんです。
けどね、さんまの言葉以来、
『あれ、これできれば芸人としておいしいんちゃう?』
という感じで生き生き演じられるようになったんです。


すると、テレビって正直なものですね。
急にお茶の間のウケがよくなり出したんですわ。
この頃から、次々と仕事の依頼が舞い込んでくるようになりました。
考え方が人生を作るというのは、こういうことなんでしょうね。』

この「生きてるだけで丸儲け」。
「裸一貫で生まれたなら、死ぬときパンツ一枚でもはいてたら勝ち」
ともとれますけど、
「パンツ一枚まで身ぐるみ剥がされてたらどう考えても負けだろ!」
「パンツ一枚でも借金とかストレスづけで生きた人生は負けだろ!!」
と、考えることも出来るわけです。



でも、本当はこういうことが言いたいのではないか?




「結果」ばかり要求され、「結果」ばかり気にする現実的なネガティブ人間が、
木を見て森を見てない、、その森にあたる
この世の中の「事実」がいくつかあると思うんですが、

事実1・「結果」を出すことに価値があるのはただの「機械」である。


基本的に学校も会社も、がんばった「過程」なんかどうでもよく、
機械的な「結果」だけが最終的な評価となります。
「結果」のみを求めるなら、人間らしさをなくし、
より機械のように生きた方がリスクが減り安定し効率的です。


なので人間的なモラルを考えないグレーに近いところの商売とか、
人間を介在させず、お金そのものを直接やり取りする金融に近いほど、
さらに効率的な「機械」になれます。
(別に機械否定や金融否定のつもりはない。)



これは逆説的に、
人間だけが、無駄で、くだらない過程に、
価値や意味を見出すことが出来るということ。


良質な機械仕上げの大量生産の「結果」ではなく、
無駄で人間臭い非効率に時間をかけた「過程」やデザインにこそ
一部の人間が生産的な価値を見出したりもしますが、

それが金銭的に売れない作品や景色だろうが、笑いだろうが、
2chのバカバカしいスレッドも、ニコニコ動画の祭りも、
ある種の人にとって全く生産的でない大きな「意味」を持ちます。


事実2・「結果」の行き着く先には何の「意味」も「価値」もない。


お金を儲けまくった先に何があるのか?
宇宙の先には何があるのか?
人は何処から来て何処へ行くのか?
その結果に「意味」も「価値」もありません。


人間はいつか死ぬんですよ。
法人である会社もいつか死にます。
地球もいずれ太陽に飲まれて死にますし、
宇宙だって死ぬと言われてます。
そこで生産しつづけることの「結果」に何の「価値」も「意味」も無いわけです。



でも人間だから、その「結果」が無駄になる全ての「過程」に対して
生きてる間だけ、いろんな意味や価値を勝手に付けていいわけです。


最終的に無駄になっても、儲けまくっていいし、
最終的に無駄になっても、宇宙の先を目指していいし、
最終的に無駄になっても、会社を建て、地球を大事にしてもいいわけです。

僕らがスーパーマリオを楽しんだのは、「ピーチ姫を助けました」という「結果」が欲しかったわけじゃない。

日本の異能 猪子寿之氏「茶道からマリオブラザーズへ。文化+テクノロジーこそ日本の歩むべき道」 【湯川】 : TechWave
http://techwave.jp/archives/51707463.html


お茶の飲み方は国によって様々なのだが、
どの国もお茶をおいしくのむためにお茶の煎れ方を工夫していた。
お湯は何度くらいが適温か、カップはどれくらいの大きさがいいのか、
などといったノウハウがどの国にも存在した。
お茶をおいしく飲むことを目的にしたノウハウだった。


 ところが日本だけは違った。


日本は、お茶を煎れるという手段自体が目的だった。
「どういう煎れ方が精神性が高いとか、
こういう煎れ方のほうが宇宙とつながれるとか、そんなことが重要。
茶碗を3度も回したら、せっかくのお茶が冷めてしまうのに(笑)」。


この手段自体を楽しむということが日本的であり、
われわれ日本人は無意識のうちに
「目的より手段を楽しむ」ことを追求するところがあるのではないか。
猪子氏はそう指摘する。
(ç•¥)



マリオブラザーズ以前のゲームのほとんどは、
敵を倒したり、高い点数を得ることが目的だった。
目的を達成すれば高揚感を味わえ、
失敗すれば悔しい思いをするものが、ほとんどだった。


しかしマリオブラザーズは違った。
目的に向かって進んでいること自体が楽しいゲームだった。
一応得点も表示されるし、ゲームをクリアできる設定になっている。
しかしだれも高得点を自慢しないし、
ゲームをクリアできなくてもそれほど悔しい思いはない。
目的へ向かって進む行為自体が楽しいゲームなのだ。


エンディングという「結果」が見たいわけじゃない。
どうせ次回作でまたさらわれるピーチ姫なんてどうでもいい。
もちろんなんの生産性もない。
それでも助けるために冒険するという
その「過程」にこそ「価値」があり、そのゲームを遊ぶ「意味」がある。


事実3・人間の最大の幸福感、「充実している」、「生きている」とは、自分の能力が最大限発揮されてるその「瞬間」のことである。


人生本当に楽しいのは
「試合が終了した時の結果」が一番ではないんですよ。

プレイ中に相手の動きを読みきった時や、
自分がこれまで以上のプレイに達したとき。
それを仕込んでる最中に想像してる、
「結果が出る前のワクワク感」が一番楽しい。


これはラブコメ漫画がずっと「過程」のままで
「結果」にたどり着かない法則でもあり、
リアルな「恋愛」でも、「結果」に至るまでの「過程」こそ
一番楽しい時期であるのと同じ。



ピーチ姫を助けたという「結果」は確かに嬉しいかもしれませんが、
ギリギリの攻めをかわしてる「プレイ中の生きている瞬間」に比べると
その結果が、ピノキオなのか、火の海に落ちたかは
結局2の次3の次なんです。
自分ができることを、頭脳でも体力でも最大限に駆使して伸ばしてる瞬間が
最高に充実した「今を生きてる」ということ。


つまり、
「結果」を一切考えず、「過程」に100%集中して今を感じとる。


という状態が、

Don't think feel.


「結果」というのは、「成功」だけじゃなく「失敗」も含みますが、
「失敗したらどうしよう」
「こんなことしても、もしかして無駄なんじゃないか」
なんて一切考えないで目の前に集中してる人のほうが
ピーチ姫にたどりつける
だけのこと。


本当の「生きてる」充実は、自分が今どこのステージなのか、
借金してるとか、人間関係のストレスとかは関係なく、
いかにそれをクリアするか、また、弱みを強みに変えるか、
そのステージに「本気で集中する」だけのことなので、
自分が人生というゲームのどこのステージにいたとしても、



「今」しかない人生を「本気」で「生きてるだけで」、
どんな「目の前の今」も一番充実するんだから、もう「丸儲け」。



この丸儲けには「パンツ一枚の結果」もなく、
「過程」そのものを指してるのが、
本当の意味ではないかと思うのです。


なんの生産性にもならないニコニコ動画作るのに本気な人も、
ほんの通りすがりのコメントに、マジレスでブログ記事を書く人も。




ここまでの事実を踏まえて、
前回の引用や、紳助さんの言葉をもう一度見ると
少し違って見えるんじゃないでしょうか?

ほぼ日「さんまシステム」の魚拓まとめ - ウォンビン ビール瓶。
http://d.hatena.ne.jp/teppeis/20090107/1231342772


さんま
我々の弟子稼業というのは、
掃除をさせられるじゃないですか。
で、掃除をしていると師匠が、
「それ、楽しいか」って言うんです。
「いいえ」って答えると「そやろ」って。
「そういうのが楽しいわけがない」と、

おっしゃるんですね。


糸井
うん、うん。


さんま
そのときに、師匠に、
「掃除はどうしたら楽しいか考えろ」
って言われたんですけど、そこでしたねぇ。


あの、掃除なんて、
楽しくなるわけがないんですよ。
ところが、


「楽しくなることを考えてることは楽しい」。


っていうところにね、
18歳のときに気づかせていただいたのが
非常に助かりましたね。


糸井
あーーー、それは、
いい師匠を得ましたねぇ。


さんま
ええ、ええ。
これは、やっぱりものすごい助かりましたね。
とくに我々はお笑いやりたいから、
そこはスッと一所懸命できたんです。
けど、たぶん、そうじゃないふつうの人は、
「掃除は楽しくない」
というところでやめてしまう人が
多いんじゃないかと思うんですけど、
楽しくないものをどうすれば楽しいか、
ということを考えていくと楽しいんです。

『僕は売れない時代が長くて、
ずっと人生は厳しく、不公平だと思ってたんですよ。
でもね、さんまは昔から、


「紳助、お前は一体、何が不満なんや?
確かに俺らは、まだ大成功はしてへんよ。
でも、一応飯だって食えるし、
狭いながらもこうやって部屋だってあるやないか?
それに、俺達は好きなことやって毎日くらしてるんやぞ。
俺なんか、いつも生まれてきただけでまる儲けと思ってるよ。」


って言うんですよ。


この言葉は、僕にとってパラダイムシフトでしたね。
すぐにさんまの思想を見習うことにしました。
すると不思議なもので、
何をするのもうまく回りだすんですよ。
ディレクターに命じられるテレビの無茶なロケも、
以前なら悪態ついてたもんです。
けどね、さんまの言葉以来、
『あれ、これできれば芸人としておいしいんちゃう?』
という感じで生き生き演じられるようになったんです。


すると、テレビって正直なものですね。
急にお茶の間のウケがよくなり出したんですわ。
この頃から、次々と仕事の依頼が舞い込んでくるようになりました。
考え方が人生を作るというのは、こういうことなんでしょうね。』