童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2024年7月15日

金曜の夜に職場の飲み会があった。
割と大規模な飲み会で、おそらく50人以上は参加していたと思われる。
引っ越し関係その他で土曜が忙しいと分かっていたので、2次会には参加せずに帰宅した。

都合を言って他の方々と別れる際に、古い知り合いでもある上司の方から、付き合いが悪いことに散々文句を言われた。
2次会に参加した人から聞いた話では、その後僕が不在になってからもけちょんけちょんに言われていたそうだ。
彼は僕が学生の頃から知っている人で、僕の良くないところも知り尽くしている。
したがって彼が非難していることも、ある意味的を得ていることだっただろう。
ただ、良い気持ちはしなかった。

昔から、中座せざるを得なくなった飲み会や打ち上げの帰り道、今頃自分の悪口で盛り上がっているのだろうと酷く後ろ向きになる。
今回は実際にその通りだったわけだが、多分本当はそうじゃかった(と言うかそれほど自分のことに皆興味を持っていないだろう)飲み会でも、どうしてもその思考から抜け出せない。
だから、可能な限り二次会に参加したいと思ってしまって、今度は飲み過ぎという意味で別の後悔をする羽目になる。
遡ると、高校生の頃には既に似た思考を持っていたと思う。
行事の打ち上げなんかに行くと、当時家が遠かったのでどうしても早めの時間に帰らざるを得なかった。
誰かの悪口を嬉々として話題にするような人たちでないことは分かっていたけれど、やっぱり一人で帰る道すがら、うじうじ考えてしまっていた

「百鬼夜行抄」で読んだのだと思うが、こういう思考に陥りやすいのは、同じ発想が自分の中にあるから、なのだろうと思っている。
つまり今回の場合、自分も飲み会の時に、その場にいない誰かを非難したり悪く言ったりしがちだ、ということを意味している。
身に覚えがあるから困る。
確かに自分は、その場にいない誰かの噂話やエピソードを話したがる(聞きたがる)部分が多いにある。
今回僕が腹を立てている相手の姿は、いつかの自分の鏡像である。
厄介な自己嫌悪まで現れて、3連休の間ずっと嫌な気持ちを垂れ流していた。
言ってくれる内が華だ、なんていう言葉もあるけれど、まだそれを受け止められるだけの度量が形成されていない。