童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

正欲

1週間くらい前に「正欲」を観てきた。
予告編の時から、何となく自分は観ておく必要があるのではないかと勝手に思っていて、案の定かなり喰らってしまった。
日記よりはちゃんと感想をまとめておきたかったので、少し温めたこのタイミングで吐き出しておこうと思う。


www.youtube.com

朝井リョウ氏の同名小説の映画化。
とある秘密の性癖を抱えて、世間と馴染めずに孤独を抱える女性・桐生。
法の番人として、世間の常識や規範からの逸脱を自他の別なく許せない男・寺井。
二人を主軸として、自分ではどうにもできない事情で生き辛さを抱える人間たちが複雑に交差する群像劇となっている。

新垣結衣氏と稲垣吾郎氏という、誰もが名前を知っていてある程度固定されたイメージを持っている二人の役者を迎えて、きれいごとでは済まない人間の欲の本質に鋭く迫る一作に仕上げている。
新垣結衣氏は、活発で清純で可愛いヒロイン。
稲垣吾郎氏は、寡黙で理知的な優しいヒーロー。
何となくそういう勝手なイメージがあったと思うし、実際かつては役の幅が必要以上に制限されているように見えた。
本作を観て、本来こういう作品が作りたかったのではないかと思ってしまう位、強い意気込みを感じた。
両者とも所属事務所との関係が変化したことも大きいのかも知れない。
こういう言い方は失礼なのでしたくないのだけれど、それでも新境地と言いたくなるような作品だった。

まだ公開中の作品なので、なるべく核心に当たるようなことは書かないつもりだ。
ただ、個人的な事情含めて感想をまとめるとなれば、ある程度内容にも踏み込まざるを得ない。
ネタバレを一切入れたくないという方は、この先を読まないで欲しい。
世間に対して一度でも引け目を感じたことのある人間なら、本作は必ず引っ掛かるものがあるはず。
是非、観に行ってもらいたい。

 

…自分が喋っているのかと思った。

作中の台詞だが、まさにその通り。
主要キャラクターである桐生と佐々木の抱えるモノは、自分の中にもあって、目を背けたくなるくらいに共鳴してしまった。
「普通」の価値観にノれない孤独感。
表面上合わせてみても結局馴染めない、どこに行ってもアウトサイダー。
和を乱さないように嘘を吐く罪悪感と、それによって汚れていく感覚。
「はじめてのおつかい」の正しさの暴力も、肉親の死の悲しみを曇らせる安堵感も、健常になれないことへの怨嗟も、全部知っているものだった。

本作を観て「自分のための映画だ」と感じる若者が、きっといると思う。
僕自身は良くも悪くもそこそこ長く生きているので、初めて映像化されたような衝撃は流石になかった。
僕にとってのそれは、間違いなく、二十歳そこそこの頃に観た橋口亮輔監督の「ハッシュ!」だった。
いまだに繰り返し観ては、勝手に救われている。
「ハッシュ!」は、生き辛さを持ち寄った家族の再定義の物語なのだが、本作もまた、似たものを提示してくれる。
そしてその先に「普通」との対決が待っているところも共通している。

本作における主役二人の対決の鮮烈さ・鋭さには、目を見張るものがあった。
息をのむ攻防の末の見事な主客の反転。
「普通」と「異常」、追及するものとされるもの、質問者と回答者、幸不幸。
本来あちらの世界のものだったはずの「絆」とか「家族」とか、その価値の帰属が書き換わっていく。
爽快感すら感じるようなワンシーンだった。

 

映画を観ながら、自分の根幹は、結局彼らと変わらないままだと感じてしまった。
作中の彼らよりも多分歳を食っているし、皮が厚くなって傷もつきにくくなったし、受け身のバリエーションも身に付いている。
ただ、擬態能力が上がってうまく世間と付き合えているような錯覚を覚えているだけで、一皮むけば本質は変わらない。
「本当の自分」なるものはきっと誰にも理解されないし、そもそも自分でも良く分かっていない。
高校生の時の好きな女子の話、紹介したい人がいるんだけどというお誘い、結婚の予定を聞く世間話。
数々の嘘を重ねて、小狡く生きてきたと思う。

それでも死を選択したりしない理由は、色々あるけれども結局、強すぎる好奇心に帰着するような気がする。
繋がりを切ってしまうには惜しいと思う位に、この世界や他者は面白いと思う。
本作の彼らと、決定的に異なっている点かも知れない。
僕は、僕以外の人間に興味がある。
僕と全く違った視点で世界を見ている人が居ることそのものが、面白い。
それを知ることで、逆に自分のことが分かったような気さえしてくる。

同級生への複雑な恋心を抱える神戸のように、身一つでぶつかっていければ良いのかも知れないが、その勇気はまだない。
しばらくは、ネットの海に本音を並べて、一人ではないという錯覚に縋って生きていくのだろう。
単なるごっこ遊びに過ぎなくても、何とかそれで正気を保てるならばその方がマシだろう。