ピョートル・アンデルジェフスキのリサイタルを聴く

今年2度だけ自腹を切った音楽会は二つともピアノ。2月のアンスネス、それに一昨晩11月17日のピョートル・アンデルジェフスキの二人だ。堪能した。2月にアンスネスを聴いたときに何を書いたかなと思って自分のブログを遡ってみたら、思った以上の繊細さというか彼の神経質な雰囲気に驚いている。たしかにそうだった。

■アンスネスのピアノ・リサイタルを聴く(2007年2月6日)


アンスネスのリサイタルの時には舞台の袖から歩いてくる姿に予想を裏切られてびっくりしたのだった。それもあったので、今回のアンデルジェフスキはやはりぴりぴりした雰囲気で舞台に出てくるんだろうなと想像していた。この人のデビューはマスコミや我々大衆が伝説視したがるエピソードに彩られている。1990年だったかのリーズ国際音楽コンクールで誰もが唸る圧倒的な演奏をし予選を通過しながら、「自分が納得する演奏ができていないから」と最終選考を蹴ってしまったというお話がそれだ。その後、表舞台から遠ざかり修練を続けたところなど、かつてのポリーニを思い起こさせる。

会場に着くと曲目が変更になっている。バッハのイギリス組曲第4番が第6番に変わっていたのだ。希にあることではあるが、そのことを知らせる張り紙に「4番はまだ公に弾いたことがなく、最高の演奏をお聴かせできる状態にはないと判断したので」と理由が書いてあるのを見て、あらためてリーズのコンクールのエピソードを思い出した。キャンセル魔だった大家、リヒテルやミケランジェリの一族かもしれないなどと想像を巡らす。

くらーい顔をしたお兄さんが出てくるぞ、と想像していたら、拍手の中、背筋が伸びた長身のイケメンが、にこにこしながらゆったりとした足取りで表れたのに意表をつかれてしまった。数枚彼の録音を聴いたが、ショパンのアルバムなどオーソドックスで柄が大きな演奏。しかし、それでいながらそこに憂いが表現されていると言ったら何か伝わるだろうか。この人の中には相反する要素が存在しているように見える。それがこの日の最初に曲目変更とにこにこ笑顔という形で僕の前に現れた。そんな気がした。

最初の曲目が変更になったバッハのイギリス組曲第6番。にこにこのお辞儀を終えて精神集中の間もあらばこそ、椅子に座ったとたんにアンデルジェフスキは弾き始める。その瞬間から音楽の中に引き込まれるのは久しぶりのことだが、その幸せが起こった。音色の変化を極限まで極めるようなタイプの演奏ではない。また、ピアニシモに会場が凍るという神経質さもない。録音を聴いて柄が大きいと感じた中にはそうした要素もあったかも知れない。彼の演奏は技巧の冴えよりも、音楽の流れを意識させる。曲が始まったとたんに聴衆は音楽の中にいる。バッハには推進力があり、劇的で能弁だ。彼の打鍵は強く、一瞬のフォルテで一挙にドラマを演出する。絡み合うメロディの中から、左手が自己主張の強い音型の強調をしてみせたりするのだが、それが目の覚めるような思いを抱かせる。この人は、あたかも自身でこの曲を作り出しているかのよう。そう思わせる究極の説得力があった。ぜひまた聴きたい演奏家。

このほかにシューマンの「フモレスケ」、シマノフスキーの「仮面」、バッハのパルティータ第1番(アンコールは聴かずに退場した)。場所は王子ホール。