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Take Jun Ichiro 's Blog
FeloとGensparkとChatGPTとGeminiとPerplexityにスバル360バンの噂を聞いてみた。
2025年にスバル360バンが発売される!という噂がネットで流れてきました。
私も最初、YOUTUBEでそんなサムネイルを見て「お!!」と思って動画を見ました。一瞬ワクワクしたのは確かでしたが、どうも怪しいのであれこれ検索してみるとガセネタのようでした。
今どきの車のデザインに対する潜在的不満、レトロデザインの車はやっぱり可愛いのでそうなって欲しいという願望が生んだデマだと思います。
そこでAI検索に聞いてみました。
▶︎ Felo
スバル360バンの2025年発売に関する情報
2025年にスバル360バンが発売されるという噂について、いくつかの情報が確認されています。以下に詳細をまとめます。
スバル360バンの概要
スバル360バンは、かつての名車「スバル360」を現代風にリバイバルしたモデルとして注目されています。この新型車は、クラシックなデザインと最新技術を融合させた軽自動車として、2025年に発売が予定されています。
特徴と仕様
デザイン: レトロな外観を持ちながら、現代の軽自動車市場に適応したスタイリングが採用されています。オールドスタイルを好むユーザーに向けた魅力的なデザインが特徴です。
エンジンと性能: 660ccのエンジンを搭載し、ハイブリッドシステムを採用することで低燃費を実現することが目指されています。
技術革新: 環境性能を重視した設計が施されており、最新のエコ技術が搭載される予定です。
発売時期と背景
スバル360バンの発売は2025年とされており、具体的な時期についてはまだ明確ではありませんが、軽自動車市場における競争力を高めるための重要なモデルと位置づけられています。
OEMの可能性
一部の情報では、この新型スバル360バンがダイハツのOEM車両である可能性が指摘されています。具体的には、ダイハツの技術やプラットフォームを活用して開発されるとの見方があります。
結論
スバル360バンの2025年発売は、複数の情報源から確認されており、信憑性が高いと考えられます。このモデルは、クラシックなデザインと現代の技術を融合させた軽自動車として、多くの注目を集めることが予想されます。ただし、詳細な仕様や価格、発売日については今後の公式発表を待つ必要があります。
▶︎ Genspark エージェント ファクトチェック
クイックアンサー
2025年にスバル360バンが発売されるという噂について、いくつかの情報源からの報告がありますが、これらは公式な発表ではなく、主に噂や推測に基づいているようです。
YouTubeの動画では、クラシックなデザインとハイブリッドエンジンを搭載した新型スバル360バンについて言及されていますが、具体的なメーカーの発表は確認できません124。
Facebookの投稿でも、生成AIによる想像として2025年にスバル360と360バンが登場する可能性について触れられていますが、これも公式情報ではなく、ファンの間での期待や想像に過ぎないようです3。
ブログ記事では、レトロデザインと革新的なエンジンを持つ新型スバル360バンが公開されたとされていますが、これもまた公式な発表ではなく、噂や推測に基づく内容です5。
これらの情報を総合すると、2025年にスバル360バンが発売されるという話は現時点では公式には確認されておらず、噂やファンの期待に基づくものと考えられます。したがって、この情報は慎重に受け取るべきです。
▶︎ ChatGPT
2025年にスバル360バンの復刻版が発売されるという噂があります。この新型360バンは、クラシックなデザインと現代の技術を融合させた軽自動車として注目されています。具体的には、3列シートや4気筒エンジンの搭載が報じられています。 CARS MAGAZINE
ただし、これらの情報は公式発表に基づくものではなく、現時点では噂や予測の域を出ていません。メーカーがスバルであるかどうかも含め、詳細は未確認です。確実な情報を得るためには、今後の公式発表を待つ必要があります。
なお、関連する動画も公開されています。
▶︎ Gemini
2025年にスバル360バンに似たレトロデザインの軽自動車が発売されるという噂は、ネット上で様々な情報が出回っており、確かな情報かどうか判断しづらい状況です。
なぜそのような噂が広まっているのか?
スバル360の復刻への期待: スバル360は、かつて国民車として親しまれた歴史的なモデルです。その可愛らしいデザインや手軽さから、現代でも根強い人気があり、復刻を望む声は少なくありません。
レトロデザインの流行: 近年、レトロデザインの自動車が再び注目を集めています。クラシックなデザインに現代の技術を融合させたモデルが人気となり、それに伴い、スバル360のような往年の名車への注目も高まっていると考えられます。
デマや誤情報の拡散: インターネット上では、様々な情報が拡散されやすく、中には事実と異なる情報やデマも含まれていることがあります。
なぜメーカーがスバルとは限らないのか?
ライセンス問題: スバル360のデザインは、著作権や商標権などの知的財産権で保護されています。他のメーカーがスバル360のデザインをそのまま使用するには、スバルからのライセンスが必要となるため、必ずしもスバルが製造するとは限りません。
競合他社の参入: スバル以外にも、レトロデザインの軽自動車市場に参入しようとするメーカーが出てくる可能性は十分にあります。
情報収集の注意点
複数の情報源を確認する: 一つの情報源だけに頼らず、複数のウェブサイトや記事などを比較して、情報が一致しているかを確認することが重要です。
公式発表を待つ: 新しいモデルの発売に関する正式な情報は、通常、メーカーからプレスリリースやホームページなどで発表されます。確実な情報を得るためには、メーカーの公式発表を待つのが一番です。
噂話に惑わされない: インターネット上の噂話や噂に基づいた記事は、必ずしも真実とは限りません。根拠のない情報に振り回されず、冷静に判断することが大切です。
結論
2025年にスバル360バンに似たレトロデザインの軽自動車が発売されるという噂は、現時点では確かな情報とは言えません。もし、このようなモデルが発売されるのであれば、いずれメーカーから正式な発表があるはずです。
より詳しい情報を得るために
スバルの公式サイト: スバルの公式サイトで、新製品に関する情報をチェックしてみてください。
自動車専門のウェブサイト: 自動車専門のウェブサイトや雑誌では、最新の情報が早く掲載されることがあります。
自動車フォーラム: 自動車に関するフォーラムやコミュニティで、他のユーザーと情報交換をするのも良いでしょう。
まとめ
スバル360の復刻は、多くの自動車ファンが期待していることですが、現時点ではまだ実現はしていません。今後の動向に注目し、根拠のある情報に基づいて判断するようにしましょう。
補足
もし、スバル360のようなレトロデザインの軽自動車に興味があるようでしたら、「レトロデザイン 軽自動車」などのキーワードで検索してみると、様々な情報が見つかるかもしれません。
▶︎ Perplexity
2025年のスバル360バンの発売に関する情報は、現時点では確定的な公式発表はなく、あくまでも噂の段階です1。
噂の内容
デザインと外観
クラシックなスバル360をモチーフにしたレトロモダンなデザイン2
丸型LEDヘッドライトと曲線的なボディライン3
ホワイトとパステルブルーの2色展開3
パワートレイン
電動パワートレインを採用する可能性1
1回の充電で200-300kmの航続距離1
別の情報では1.0リッター3気筒ハイブリッドエンジンで90-100馬力という説も3
価格と販売
予想価格は約180万円2
限定生産モデルになる可能性6
真偽について
この車両に関する情報は、主にYouTubeやSNSで広がっている噂レベルの情報であり9、スバル公式からの発表は現時点でありません1。
また、一部では「ダイハツのOEMのサンバー」ではないかという推測も出ています8。
オリジナルのスバル360は1958年から1970年まで製造された伝説的な車両でした4。現代版の発売については、まだ確定的な情報はないため、続報を待つ必要があります。
AI検索を比較してみると、Feloはかなりキビシイです。
国産AI検索なので期待しているのですが、まことしやかにデマが流布されてしまったら鵜呑みにしてしまうAIのようです。それともそういうところも含めて日本人に寄せているのでしょうか。
ChatGPTのAI検索もふわっとしていてデマに若干流されている印象です。このままではGoogleに取って代わることは無いでしょう。
Perplexityはジャッジを避けて噂の中身を紹介している印象です。
割としっかりしているのがGenspark エージェント ファクトチェック でした。ファクトチェックと謳ってるのでそれはそうだよね、とも思いますが、
「猫のおしっこと柚子を絞った時の匂いが似てるという報告はありますか?」と聞いてみたことがあって、
「109の情報源を検討した結果、猫のおしっこと柚子の匂いが似ているという報告は見つかりませんでした。」
との報告だったのでまだまだちゃんとしたファクトチェックにはなってないと感じます。
Geminiは「なぜそんな噂が広まっているのか?」という理由を提示してくれていてなかなか良い感じでした。
噂が流れた時の信憑性としては、あくまでも今回に限っての個人の感想なのですが、
Genspark エージェント ファクトチェック ≧ Gemini > Perplexity >> ChatGPT >>>>>>> Felo
です。
参考になれば幸いです!
ちなみにもしレトロデザインの軽自動車「スバル360バン」が発売されたら、
母に頼み込んでお金を工面してもらってでも買います(親だのみかい!)
なんてったって、今乗っている車は95年の「スバル サンバー ディアス クラシック」ですから。
ボロボロだけれども可愛い過ぎです。
最後までお読みいただき有り難うございました!
『Uptown Funk』カッコ良く弾けているのはどっち?
1.
2.
これ、多分、ほとんどの人は1の方の演奏の方が段違いでカッコ良いと感じると思うのです。
確かに上手いしカッコ良いことは事実です。
しかし、「バックビート」をポイントにすると2の方がカッコ良い、らしいのです。
「はぁ?」って感じたあなた、
ブルース、ジャズ、ファンク、ロック、ヒップホップ、ラップの最も重要なものが何かも分からず聴いている、ということになります。
でも、安心してください。
日本人はほとんど分かりません。
これが日本人のバックビート問題です。
私も意識しないと分かりませんし、というか、意識してもあんまり良く分からないです。
何度も聴き返して、ひょっとして本当にそうかなあ、、、?
・・・なるほど・・・確かに・・・?
という感じです。
ひとつ分かるのは、
バックビートになってないカバー曲は、ノレる感じを出すために、
原曲よりもテンポを速くする傾向があるように感じます。
頭重心でテンポアップさせるとハネる感じになるので、それがノリのように感じるのです。
阿波踊りとか、頭重心でもめっちゃノリノリになりますよね。
バックビートになっていたらテンポが遅くてもノレる、ということなのですが、
ちゃんと明確に、パッと分かるようになりたいです。
1の方の演奏をけなすつもりは1ミリもありません。
アコースティックギターの演奏はクラシカルな雰囲気を醸し出します。
クラシック音楽は頭重心ですので、クラシックな香りのするとても素敵な演奏だと感じます。
バックビートについて興味を持たれた方は過去記事もご参照ください!
▶︎ 30年来の衝撃『バックビート』①それはプロだから?
▶︎ 30年来の衝撃『バックビート』②ロックもジャズも輸入されていなかった!
▶︎ 30年来の衝撃『バックビート』③最終回「誤拍裏打ち」は「擬洋風建築」となるか?
最後まで読んでいただいて有り難うございました!
2.
これ、多分、ほとんどの人は1の方の演奏の方が段違いでカッコ良いと感じると思うのです。
確かに上手いしカッコ良いことは事実です。
しかし、「バックビート」をポイントにすると2の方がカッコ良い、らしいのです。
「はぁ?」って感じたあなた、
ブルース、ジャズ、ファンク、ロック、ヒップホップ、ラップの最も重要なものが何かも分からず聴いている、ということになります。
でも、安心してください。
日本人はほとんど分かりません。
これが日本人のバックビート問題です。
私も意識しないと分かりませんし、というか、意識してもあんまり良く分からないです。
何度も聴き返して、ひょっとして本当にそうかなあ、、、?
・・・なるほど・・・確かに・・・?
という感じです。
ひとつ分かるのは、
バックビートになってないカバー曲は、ノレる感じを出すために、
原曲よりもテンポを速くする傾向があるように感じます。
頭重心でテンポアップさせるとハネる感じになるので、それがノリのように感じるのです。
阿波踊りとか、頭重心でもめっちゃノリノリになりますよね。
バックビートになっていたらテンポが遅くてもノレる、ということなのですが、
ちゃんと明確に、パッと分かるようになりたいです。
1の方の演奏をけなすつもりは1ミリもありません。
アコースティックギターの演奏はクラシカルな雰囲気を醸し出します。
クラシック音楽は頭重心ですので、クラシックな香りのするとても素敵な演奏だと感じます。
バックビートについて興味を持たれた方は過去記事もご参照ください!
▶︎ 30年来の衝撃『バックビート』①それはプロだから?
▶︎ 30年来の衝撃『バックビート』②ロックもジャズも輸入されていなかった!
▶︎ 30年来の衝撃『バックビート』③最終回「誤拍裏打ち」は「擬洋風建築」となるか?
最後まで読んでいただいて有り難うございました!
アートの文脈を「コンステレーション」で実装するための自分用メモ
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時計仕掛けの林檎 ガブリエル・ガブリエラ 2021年 |
河合隼雄の「コンステレーション」概念
・「星座」を意味する・一見無関係な出来事が全体として意味のあるものに見える
・因果関係を超えた事象の関連性を理解するための重要なフレームワーク
・瞬間的に全体像を把握するが、この全体性は言葉にしようとすると複雑で長い物語へと展開される特性を持つ
・異なる要素を結びつけて新たな物語を創造する力を持つ
元祖・星座のコンステレーション
・夜空の星々は、それぞれが全く異なる距離であり、例えば10光年離れている星なら10年前の光、10万光年離れている星なら10万年前の光を見ていることになり、「今」という時を共有してはいない・古代の人々はギリシャ神話などの物語に基づいて、これらの星を線で結び、「神話の時間軸」という私たちの日常の時間の流れとは違った時間軸で再編し、新たな意味や物語を付与してきた
・「夜空の星々」と「神話」の時間軸は私たちとは全く異なったタイムスケールという点で共通している
星座の物語例
・「魚座」はアフロディーテとその息子エロスが、怪物ティポンから逃れる際に魚に変身したという逸話に由来する。
母子が川に飛び込んで魚に変身し、尾を結びつけて共に逃げたというこのエピソードは、魚座の双魚が互いに寄り添う姿として表現されている。
・「山羊座」もパン神が怪物ティポンから逃れる際に川に飛び込み、下半身が魚、上半身がヤギの姿に変わったという逸話に由来する。
このように、「星座」は異なる星を結びつけて新たな意味を与え、物語として形作っている。
アートのコンステレーション
ここで、日本美術の文脈を「コンステレーション」する。
例)
「西遊記」—「南総里見八犬伝」—「ドラゴンボール」—「現代日本のアート」
この星座を「日本美術」の文脈とするコンステレーション。
「西遊記」—「南総里見八犬伝」—「ドラゴンボール」—「現代日本のアート」
この星座を「日本美術」の文脈とするコンステレーション。
曲亭(滝沢)馬琴の「南総里見八犬伝」(1814-1842)は、中国古典「水滸伝」(14世紀頃成立)の強い影響を受けている。
「水滸伝」は、「西遊記」(16世紀頃成立)、「三国志演義」(14世紀頃成立)、「紅楼夢」(18世紀頃成立)とともに中国の四大奇書と称され、中国文化において重要な位置を占めてきた。
一方で、鳥山明による現代日本の漫画「ドラゴンボール」(1984-1995)には、悟空が7つのドラゴンボールを探す冒険が描かれており、そのアイデアは「南総里見八犬伝」から強い影響を受けている。
また、「西遊記」に登場する孫悟空というキャラクターは「ドラゴンボール」の主人公の名前にも使われている。
馬琴が「西遊記」に強く影響されたことから、「南総里見八犬伝」もまたその影響を受けているはずである。
鳥山明は、馬琴の「八犬伝」の建て付けを基にしつつ、馬琴が好きだった「西遊記」からも主人公の名前を引用した。
「南総里見八犬伝」は、江戸時代に挿絵の版画と共に発表されたため、現代の漫画の前身とも言える形式を持っている。
このように「ドラゴンボール」は、400年にわたる物語の伝統に依拠し、新たな物語を築き上げている。
中国4大奇書の「西遊記」から「南総里見八犬伝」を経て「ドラゴンボール」へ、そして「現代の本のアート」と、異なる時代や文化の作品が線で結び付けられることで、新たな文脈や意味を持つ「星座」が形成されている。
特徴 | 夜空の星座のコンステレーション | アートのコンステレーション |
---|---|---|
要素の独立性 | 星はそれぞれが独立した存在 | 異なる時代・文化・物語が独立して存在 |
結びつけ方 | 星を線で結び、神話や物語を創造 | 異なる文化や物語を結びつけ、新たな文脈を創造 |
背景にある物語 | ギリシャ神話や古代の伝説に基づく物語 | 古典美術・文学などからの影響を受けて物語と絵が継承されていく |
目的 | 人々の想像力を刺激し、神話を共有する | 新たなアートを創造し、文化的文脈を再解釈・再構築 |
具体例 | 魚座、山羊座など | 「西遊記」「南総里見八犬伝」「ドラゴンボール」を経て「現代日本のアート」がある |
指標
この新たな文脈の星座を「日本美術の文脈」として、作品をその延長線上に置く。これはどういうことかというと、雑に言えば、
日本における「アート」を近代を出発点とするのではなく、江戸時代以前からのラインで結んでいく。
「近代の超克」という問題を雑に考察
絵画を洋画と日本画で別けてしまったことで分断されてしまい、日本画は現代性から断ち切れてしまっているし、洋画は現代アートにとって変わってしまっている。
明治の近代化によって、以前と文化が切断されてしまっているかのような錯覚を起こしてしまい、
本当は確実に継承されている日本独特の視覚表現や文学の良さを見付けにくくなってしまっている。
それが、「純文学」と「芸術」に集約されてしまっている。
曲亭馬琴の文学と挿絵としての浮世絵のメディアミックスは、漫画やラノベやゲームに直結している。
これを「日本のアートの文脈」と捉えて作品化させることが、「日本のアート」なのではないだろうか。
![]() |
メアリーの部屋で始まりの扉は開く ガブリエル・ガブリエラ 2023年 |
能動性と受動性について
お風呂に入っていると、ふとこんな言葉が頭に浮かびました。
若い頃に咲かせた花、成功や達成は、多くの場合、持って生まれた才能や親の影響や家庭環境といった「与えられたもの」によって支えられています。
しかし、中年に差し掛かり、与えられたものはいったん使い果たすと、
「ミッドライフクライシス」が訪れて、ここでいったんゲームもパーティも終了します。したかのように感じます。
けれど、
終わりを迎えると、また新たな始まりを迎えるのです。
そのときに咲かせる花は、自分自身で「こしらえた花」です。
小さな喜びや小さな幸せ、些細な好きなことを感じたら、それらを掬い上げて味わう、というもので、
これはひょっとしたら人生初の「能動性」の発露なのではないか? と思えたのです。
自分で拵えた花は小さくとも、非常に美しい。と、思いたいのです。
一見すると、恋愛結婚の方が能動的で、お見合い結婚の方が受動的に思えるかもしれません。
しかし逆かも知れないと思ったことがあります。
恋愛結婚は、恋に落ちるところから始まります。
恋は自分の意思ではどうにもなりません。
まさに「恋に堕ちる」という表現が示すように、「受動的」に感情が揺さぶられてしまうところから始まります。
一方、お見合い結婚は、自らの努力で相手を愛する必要性に迫られます。
わざわざ好きになる「能動的」な心を発動させなければなりません。
「お見合い」とはよくできたシステムだったんです。
恋に堕ちるという受動的なきっかけから始まる恋愛結婚は、恋が冷めた後に愛を育まなければなりません。
ずっと恋してられるならいいけど、なかなかそうはいきません。
恋愛結婚が増えて離婚率が増えた理由は様々あるでしょうが、
ひょっとしたら、「受動」から「能動」に切り替えることのハードルの高さがあるのかも知れないと思ったりもします。
このように考えてみると、
恋愛結婚は「受動的」な感情に基づき、
お見合い結婚は「能動的」な選択に基づいている、
と言えないでしょうか。
若い頃には、とめどなくやりたいことが湧き上がってくることが多いものです。
これを象徴するかのように、80年代に活躍したバンド、レベッカの「モータードライブ」のサビの歌詞はこんな一節です。
(古くてすみません)
この詩に共感するティーンエイジャーが多かったからヒットしたのだと思います。
この、やりたいことが溢れ出してくる若い頃のエネルギーはキラキラと輝いて美しいものです。
しかし、
このような湧き上がって仕方がない感情に突き動かされてるってことは、
「受動的」であると捉えることもできます。
若い生命力と実家の太さに支えられたエネルギーは確かに何よりにも勝るものではありますが。
この能動性と受動性の奇妙な逆転は、文学作品にも見られます。
『不思議の国のアリス』の主人公アリスは、一見さまざまな冒険をしているように見えます。しかし、
物語を読み返してみて分かったのですが、
アリスは理不尽な出来事に巻き込まれているだけで、実は「受動的」なキャラクターなんですよ。
当時の社会では、女性が受動的であることが無意識に求められていたのかもしれません。
女の子が不条理な時空に巻き込まれていくお話を即興で考えたルイス・キャロルには「少女は受動的」という無意識的なバイアスがあり、
また、女性側も「理不尽な境遇に遭う可愛い私」がどこかで合点がいって成立したのかも知れません。
そこで、もしアリスが時代のジェンダーバイアスに抑圧されることのない「能動的」なキャラクターだったらどうなるのか? と考え、
『怪盗アリス・エイリアンとロザモンド大聖堂』という作品で、
欲しいものは何でも盗んでしまう少女アリスを描きました。
彼女は自らの意思で行動し、世界に働きかけます。
少女に能動性を与えて完全に自由にしたら、アリスみたいに不条理なんかに巻き込まれないで、バンバン欲しいもの盗むでしょ、と。
そっちの方が少女でしょ、と。
また、作家の古井由吉氏は「作家というのは書くことがなくなってからが勝負だ」と述べています。
これを受けて、筒井康隆氏は「なら仕方ない、よし、と思って。そう言われたら、何でも書けるわい」とインタビューで語ってます。
文章でも絵でも、
最初は湧き上がる表現衝動にかり立てられて始めますが、それは「受動的」な創作なのかも知れません。
そのまま枯渇することなく表現欲求が続く人は運が良いのです。
そんな人を天才と呼びますが、ほとんどいません。
やがて書くことがなくなると、多くの人は筆を折ります。
表現したいこと、言いたいこと、やりたいことがなくなるのです。
それはいたって普通のことです。
「好きなことがありません」と悩む大人がいます。
当たり前です。
子ども〜10代までは自然とそういうことが湧き上がるメカニズムになっていただけなんです。
20〜30代はその勢いで突っ走れるのです。
しかし、この先に「能動性」があります。
それは本当に些細なこと、小さなことから始まるのです。
人生において、若い頃は湧き上がってしまった何かに押されて動きますがそれはある意味で「受動的」であり、
やる気もやりたいこともなくなった中年以降に始める小さなことこそ、「能動的」なものかもしれません。
それは小さくても、美しい花です。
「終わったあとに咲く花は こしらえた花」
この小さな花こそが真の喜びなのかもしれません。
そして、「能動的な3歳児」になるのです(キリッ)
最後までお読みいただき有り難うございました!
若い頃に咲かせた花は 与えられたものでできている
終わったあとに咲く花は こしらえた花
若い頃に咲かせた花、成功や達成は、多くの場合、持って生まれた才能や親の影響や家庭環境といった「与えられたもの」によって支えられています。
しかし、中年に差し掛かり、与えられたものはいったん使い果たすと、
「ミッドライフクライシス」が訪れて、ここでいったんゲームもパーティも終了します。したかのように感じます。
けれど、
終わりを迎えると、また新たな始まりを迎えるのです。
そのときに咲かせる花は、自分自身で「こしらえた花」です。
小さな喜びや小さな幸せ、些細な好きなことを感じたら、それらを掬い上げて味わう、というもので、
これはひょっとしたら人生初の「能動性」の発露なのではないか? と思えたのです。
自分で拵えた花は小さくとも、非常に美しい。と、思いたいのです。
お見合い結婚と恋愛結婚、どっちが能動的か?
一見すると、恋愛結婚の方が能動的で、お見合い結婚の方が受動的に思えるかもしれません。
しかし逆かも知れないと思ったことがあります。
恋愛結婚は、恋に落ちるところから始まります。
恋は自分の意思ではどうにもなりません。
まさに「恋に堕ちる」という表現が示すように、「受動的」に感情が揺さぶられてしまうところから始まります。
一方、お見合い結婚は、自らの努力で相手を愛する必要性に迫られます。
わざわざ好きになる「能動的」な心を発動させなければなりません。
「お見合い」とはよくできたシステムだったんです。
恋に堕ちるという受動的なきっかけから始まる恋愛結婚は、恋が冷めた後に愛を育まなければなりません。
ずっと恋してられるならいいけど、なかなかそうはいきません。
恋愛結婚が増えて離婚率が増えた理由は様々あるでしょうが、
ひょっとしたら、「受動」から「能動」に切り替えることのハードルの高さがあるのかも知れないと思ったりもします。
このように考えてみると、
恋愛結婚は「受動的」な感情に基づき、
お見合い結婚は「能動的」な選択に基づいている、
と言えないでしょうか。
若い頃の情熱と受動性
若い頃には、とめどなくやりたいことが湧き上がってくることが多いものです。
これを象徴するかのように、80年代に活躍したバンド、レベッカの「モータードライブ」のサビの歌詞はこんな一節です。
(古くてすみません)
「やりたいコト ありすぎるの
あきらめられないけど 現実はシビア」
この詩に共感するティーンエイジャーが多かったからヒットしたのだと思います。
この、やりたいことが溢れ出してくる若い頃のエネルギーはキラキラと輝いて美しいものです。
しかし、
このような湧き上がって仕方がない感情に突き動かされてるってことは、
「受動的」であると捉えることもできます。
若い生命力と実家の太さに支えられたエネルギーは確かに何よりにも勝るものではありますが。
『不思議の国のアリス』に見る少女の受動性
この能動性と受動性の奇妙な逆転は、文学作品にも見られます。
『不思議の国のアリス』の主人公アリスは、一見さまざまな冒険をしているように見えます。しかし、
物語を読み返してみて分かったのですが、
アリスは理不尽な出来事に巻き込まれているだけで、実は「受動的」なキャラクターなんですよ。
当時の社会では、女性が受動的であることが無意識に求められていたのかもしれません。
女の子が不条理な時空に巻き込まれていくお話を即興で考えたルイス・キャロルには「少女は受動的」という無意識的なバイアスがあり、
また、女性側も「理不尽な境遇に遭う可愛い私」がどこかで合点がいって成立したのかも知れません。
『ガブリエル・ガブリエラ』における能動的な少女
そこで、もしアリスが時代のジェンダーバイアスに抑圧されることのない「能動的」なキャラクターだったらどうなるのか? と考え、
『怪盗アリス・エイリアンとロザモンド大聖堂』という作品で、
欲しいものは何でも盗んでしまう少女アリスを描きました。
![]() |
怪盗アリス・エイリアンとロザモンド大聖堂/ガブリエル・ガブリエラ 316×228mm 2020年 |
彼女は自らの意思で行動し、世界に働きかけます。
少女に能動性を与えて完全に自由にしたら、アリスみたいに不条理なんかに巻き込まれないで、バンバン欲しいもの盗むでしょ、と。
そっちの方が少女でしょ、と。
古井由吉の言葉に見る創作の能動性
また、作家の古井由吉氏は「作家というのは書くことがなくなってからが勝負だ」と述べています。
これを受けて、筒井康隆氏は「なら仕方ない、よし、と思って。そう言われたら、何でも書けるわい」とインタビューで語ってます。
文章でも絵でも、
最初は湧き上がる表現衝動にかり立てられて始めますが、それは「受動的」な創作なのかも知れません。
そのまま枯渇することなく表現欲求が続く人は運が良いのです。
そんな人を天才と呼びますが、ほとんどいません。
やがて書くことがなくなると、多くの人は筆を折ります。
表現したいこと、言いたいこと、やりたいことがなくなるのです。
それはいたって普通のことです。
「好きなことがありません」と悩む大人がいます。
当たり前です。
子ども〜10代までは自然とそういうことが湧き上がるメカニズムになっていただけなんです。
20〜30代はその勢いで突っ走れるのです。
しかし、この先に「能動性」があります。
それは本当に些細なこと、小さなことから始まるのです。
結びに
人生において、若い頃は湧き上がってしまった何かに押されて動きますがそれはある意味で「受動的」であり、
やる気もやりたいこともなくなった中年以降に始める小さなことこそ、「能動的」なものかもしれません。
それは小さくても、美しい花です。
「終わったあとに咲く花は こしらえた花」
この小さな花こそが真の喜びなのかもしれません。
そして、「能動的な3歳児」になるのです(キリッ)
最後までお読みいただき有り難うございました!
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