野党共闘は失敗か?
2021年10月31日に行われた第49回衆院選では、2012年に自民党が政権を奪回して以降、はじめて衆院選での大規模な野党共闘が実現されました。しかし選挙結果は多くの野党支持者の期待とはうらはらに、野党第一党である立憲民主党が選挙前から13議席減らし、共産党も2議席失うという後退を示しました。この結果をうけて野党共闘の評価は割れています。
もちろんこうした結果をうけて試みを再考するというのは必要なことでしょう。しかしながら結論をはじめから決めてかかるような主張もまた、見かけないわけではありません。ここではそうした議論ならざる議論に終止符を打ち、真に内実のある議論へと進むべく、選挙結果をもとに野党共闘の検証を行っていきます。
野党共闘とは
これまでの衆院選では、小泉政権下での一部の例外を除き、自民と公明の得た票の合計は全国の有効投票総数の半分に届いていませんでした。それにもかかわらず自公が圧倒的な議席を獲得しているのは、小選挙区の事情によるものです。
典型的な例として、第48回衆院選の東京8区を見てみましょう。ここでは与党側が石原伸晃氏(自民)の1人であるのに対し、野党側は5人が立候補していました。石原氏の得票率は39.22%であるものの、野党側の票が5人に分散しているため、頭一つ抜けて当選となっています。[▼図1]
ここでもし吉田晴美氏(立憲)、長内史子氏(共産)、 円より子氏(元民主系・現国民民主所属)3候補の票がまとまっていたらどうでしょうか。その想定を次の図に示します。なお、木内孝胤氏は後に共闘に関与しない日本維新の会に移っているため、合算からは外しました。[▼図2]
このように、野党が協力して候補者を調整し、自公と一対一の構図で選挙に臨むことが狭い意味での野党共闘です(より広い意味では単に野党間の協力一般を指して言われたり、共産党が「市民と野党の共闘」という言葉を使っていたりもするのですが、ここでは選挙分析という観点から、候補者を一本化することを野党共闘と呼ぶことにしていきます)。
この東京8区では第49回衆院選で野党共闘が実現し、実際の結果は次のようになりました。これは効果が発揮された典型的な選挙区と言えるでしょう。[▼図3]
他方でこうした試みには懸念もないわけではありません。例えば野党間で候補者の一本化を目指す場合、新たに選挙に出たい人が立候補の機会を持ちにくいことが挙げられます。有権者としても、選挙区に多様な候補者がいない場合、選択の機会が限られる面があるわけです。けれども現行の小選挙区制度では、野党が割れた場合、公示日の時点で自民党の独走が決まってしまう選挙区が少なくありません。候補者が乱立することもまた、有権者から選択の機会を奪うことになる現実もまた留意されてよいはずです。
接戦区の増加は本当か
今回の第49回衆院選では、野党共闘の結果として接戦区が増加したことが指摘されています。これを定量的に検証すべく、与党のリードが大きい順に各選挙区を左から並べたグラフを作りました。
まずは前回の衆院選の結果を示します。野党共闘の効果を考える時に与党候補のリードを検討しているのは、野党が候補者を立てなかったり複数人立てている選挙区があるのに対し、与党は原則として候補者を一本化したうえで全ての選挙区に擁立しているので、基準として検討することが容易であるからです。[▼図4]
上のグラフは289本の棒からなっており、一つの棒が一選挙区に対応しています。また本記事では、「優勢」とは得票率の差が5ポイント以上の場合を、「接戦」とは5ポイント未満の場合を言うことにします。先に「野党が割れた場合、公示の時点で自民党の独走が決まってしまう選挙区が多い」と書いたのはまさにこうした状況で、接戦区は47に限られていることがわかります。
次に今回の衆院選の結果です。第49回衆院選では、野党優勢の選挙区は44から59に増加し、接戦区は47から62に増えています。したがって接戦区の増加は事実だと結論するのが妥当だと言えるでしょう。[▼図5]
自公維の集計でも接戦区の増加は示される
しかしここで、一つ問題となるのが日本維新の会の集計です。与党を基準とすると検討が容易ですが、純粋に野党共闘の効果を評価するためには、これまでの「与党」「野党」という枠組みではなく、維新の集計に変更を加えなければなりません。
第48回衆院選の与党のリードの集計(図4)は次のように行いました。[▼図6]
与党側からは自民、公明、無所属与党系のうち最も得票率の高かった候補(①)を選出し、野党側からはその他すべてのうち最も得票率の高かったっ候補(②)を選出し、差をとることによって与党のリードを出しています。無所属与党系、無所属野党系の扱いは次の通りです。
第49回衆院選(図5)も同様の計算を行っています。[▼図7]
ここで、それぞれ次のように集計の変更を行い、「維新を除く主要な野党」に対する自公維という構図で検討を加えることにします。なお、幸福とN党はどのように集計しても結果は変わりません。希望の党に関しては、のちに立憲だけでなく、維新や自民に移動した候補もいるため扱いが微妙なところですが、立憲に移動した候補が多いため、全体の情勢を概観するという観点からは野党4党として左側に置いています。[▼図8]
第49回衆院選は次の通りです。このうち野党共闘の枠組みに入っているのは立憲、共産、社民、れいわの4党ですが、国民が野党側の唯一の候補となっている選挙区があるため、候補者の一本化を考える本記事においては、共闘した4党と同じ側に集計することとします。[▼図9]
以上の集計に基づく第48回衆院選の結果を示しましょう。野党4党の優勢は43、接戦区は39、自公維の優勢は207となりました。[▼図10]
第49回衆院選は、野党5党の優勢が44、接戦区が61、自公維の優勢が184でした。[▼図11]
つまり第48回から第49回衆院選にかけて、(維新を除く)野党が優勢な選挙区の増加は1にとどまっており、大きな変化は見られません。けれども他方で接戦区が39から61と大幅に増加する結果となっています。
これはかなり重要なことで、接戦区を野党が取りきった場合、自民党は過半数割れとなります(比例代表の獲得議席数が実際の結果と変わらない仮定をおいています)。実際に接戦区を取りきるようなことは確率としては極めて低いですが、5ポイント程度全国の情勢が動いていたら、過半数割れがほぼ五分五分というところまでが射程に入ったということを意味します。
各社が行った情勢調査や当日の出口調査でも、比例代表と小選挙区を合わせた全体の議席の推計で自民単独過半数割れという可能性が最後まで排除できなかったことは、接戦区の増加が一因と言えるでしょう。
選挙結果の地域分布を見る
次に各選挙区を地図にして検討を行います。まず今回の第49回衆院選の与党のリードを見てみましょう。これは維新も野党側とする図7の集計に従っています。黄色から赤の配色で示されているのが与党がリードする選挙区、水色から青で示されているのが野党がリードする選挙区です。[▼図12]
これに対応する野党のリードも表示しておきましょう。単に与党のリード(図12)のプラス・マイナスをそのままひっくり返した図であるため新たな情報はないですが、こちらの方が見やすいという人もいるかもしれません。今度は黄色から赤の配色が野党のリードする選挙区にあたっていることに注意してください。[▼図13]
上の図13からは、大阪で野党のリードが拡大していることが読み取れますが、これは維新の伸びがあらわれているためです。
野党5党に対して自公維を比べる図9の集計に従って地図を作成すると、大阪が青くなることを確認してください。[▼図14]
前回選挙からの増減の検討
ここからは、第48回衆院選から第49回衆院選にかけて、どこで、どのような変化が起きたのかをよりくわしく検討していきます。これまで「与党と野党(図6、7)」「野党5党、もしくは4党と自公維(図8、9)」という2つの集計を行ってきました。まずは前者を用いて与党のリードの増減を見てみましょう。[▼図15]
上の図15では、あくまで第48回衆院選から第49回衆院選にかけて与党のリードが伸びた選挙区をプラスとして、黄色から赤の配色で表示していることに注意が必要です。例えば前回5ポイントだったリードが10ポイントになった場合は、増減は+5として黄色で塗られています。もともとリードがマイナスであった場合も同様で、例えば前回-40ポイントだったリードが今回-5ポイントになった場合は、いずれも落選しているわけですが、増減は+35で濃いオレンジで塗られています。つまりこの図が表すのはあくまで増減であり、当落や得票率の高さそのものではありません。「大差での負け」が「接戦の競り負け」になった場合でも赤で示されるというわけです。
集計の結果、与党のリードが増加した選挙区(図15の黄色~赤)は122、減少した選挙区(図15の水色~青)は167でした。
もっとも、これは維新を野党側に入れた集計の結果です。そこで、次に維新を外して、野党5党を見てみましょう。(集計は図8と9のとおりです)[▼図16]
野党5党のリードが増加した選挙区(図16の黄色~赤)は152、減少した選挙区(図16の水色~青)は137でした。
以上から小選挙区の情勢は、第48回衆院選から第49回衆院選にかけて、やや野党5党の側に傾いたことが明らかとなります。
野党共闘を評価する
しかしながら、これをもって野党共闘の評価とすることはできません。ここまでの集計は全ての小選挙区で行っていますが、それには第49回衆院選で候補者が統一できなかった選挙区が混入しています。また第48回衆院選の時点ですでに候補者が統一されていた選挙区もまた混入しています。
野党共闘(一本化)の効果を評価するのであれば、「第48回衆院選で野党が候補者を統一せず、第49回衆院選で統一した選挙区」におけるリードの増減を検討しなければならないでしょう。そうした選挙区のみを表示したのが、次に示す図17です。[▼図17]
灰色で塗りつぶされているのは条件に該当しなかった135の選挙区です。該当した選挙区は154で、うち野党5党のリードが増加した選挙区は99、減少した選挙区は55となりました。増加した選挙区と減少した選挙区で2倍近い差がついています。
野党の「体力」を評価する
第48回衆院選と第49回衆院選でともに候補者が一本化されていた選挙区はどうでしょうか。このように同じ構図の選挙区を見れば、野党の体力の推移を見ることにもつながります。[▼図18]
条件に該当した選挙区は58で、野党5党のリードが増加した選挙区はわずか14にとどまり、減少した選挙区は44という厳しい結果でした。このうち、リードが増加してかつ当選しているのは、宮城2区(鎌田さゆり)、新潟1区(西村智奈美)、新潟5区(米山隆一)、新潟6区(梅谷守)、香川1区(小川淳也)、沖縄1区(赤嶺政賢)でした。
構図が変わらなかった選挙区の4分の3でリードを減らしているということは重要です。
共産統一の結果
ここからは再び野党共闘の評価に戻って検討を続けます。下の図19は、「第48回衆院選で野党が候補者を統一せず、第49回衆院選で統一した選挙区」であり、かつ「第49回衆院選の統一候補が共産党公認であるもの」のみを表示した地図です。[▼図19]
この条件に該当した選挙区は24で、リードが増加した選挙区は4、減少した選挙区は20で、当選者はいませんでした。共産統一の候補には立憲などの票がうまく乗っていないとみられ、困難がうかがえます。もっとも、このことは各党とも承知の上で行っている面があるものです。
リードが増加した選挙区は、神奈川11区(林伸明)、京都1区(穀田恵二)、兵庫11区(太田清幸)、東京4区(谷川智行)でした。このうち穀田恵二氏は当選者にあと9.86ポイントのところまで迫っています。
立憲統一の結果
同様にして、今度は立憲統一の結果を見てみましょう。下の図20は、「第48回衆院選で野党が候補者を統一せず、第49回衆院選で統一した選挙区」であり、かつ「第49回衆院選の統一候補が立憲民主党公認であるもの」のみを表示した地図です。[▼図20]
この条件に該当した選挙区は118で、リードが増加した選挙区は87、減少した選挙区は31でした。さらに、このうち減少した選挙区には、細野氏(静岡5区:地図では最も濃い青色)や長島氏(東京21区→東京18区)のように、かつて希望の党から出ていた候補者が自民党に入ったような特殊なものが含まれます。そうしたものを除外すれば、結果はより明快になるでしょう。
図20はいわば、野党共闘の評価に一つの結論を出すことのできる図です。
後述するように、第48回衆院選当時と比べて第49回衆院選時のほうが立憲民主党の支持率は低くなっています。それを受けて、すでに図18で見たように、前回も今回も一本化されていた選挙区では、58選挙区中の44という大きな割合で野党の後退が見られます。それにもかかわらず、図20では118選挙区中の87という高い割合で野党のリードが増加しているわけです。
比例代表の減少について
第49回衆院選では、立憲は比例代表の獲得議席数が39にとどまり、議席数の減少に大きな影響を与えました。これをもって、野党共闘の結果として比例票が伸びなかったことが大きな問題であるという議論が、一部の新聞社などを中心として展開されています。しかしこの議論は問題を混同している不適切なものだと言わなければなりません。
次に、各社世論調査で発表された政党支持率を加重移動平均した結果を示しましょう。太い実線が平均の結果です。ここでは民進党、希望の党、立憲民主党、国民民主党の4党のみを表示しています。[▼図21]
選挙当日の支持率を計算すると、第48回衆院選の時、立憲は11.7%、希望は4.9%。第49回衆院選では、立憲は10.0%、国民は1.6%です。上の図21にはこれらの数値と、各党に起きた主要な出来事を記入してあります。
第48回衆院選時に4.9%の支持率を持っていた希望の党は比例で32議席を獲得しているものの、その支持率は2018年のはじめには1%に落ち、国民民主党が作られたのちも2%を上回っていません。
ここで、第49回衆院選の選挙前の立憲民主党の議員数は、希望の党の後継政党にあたる国民民主党から40人が合流した結果であることを思い出してください。2020年の9月に国民民主党が分党し、立憲民主党に40人の議員が合流したとき、すでにそれを維持する支持率がなかったことは明らかです。これは当然ながら、第49回衆院選における野党共闘にかかわる問題ではありません。一部で言われているように、共産党と協力したことで支持が落ちたわけでもありません。
立憲が普段から支持率を上げられなかったということはより長期的なものであり、掲げたボトムアップが十分に実現していないことだったり、最初期にパートナーズとなった人が少なからず離れていったことなどとつながった問題です。そしてそれは野党共闘とは別の問題として考えられ、論じられるべきことです。
野党共闘の問題
現状、野党共闘は様々な問題を抱えていると言わざるを得ません。
例えば候補者調整の過程で歪みが生じることが少なくありません。立候補するのは被選挙権を持つ人が自由に行使できる権利なので、候補者調整の過程でもその権利は尊重される必要があります。立候補をしないように圧力がかけられたり同調が強いられるようなことがあるとすれば、それは民主主義を歪めることにつながります。立候補の当事者が合意したとしても、合意形成の過程がきちんと説明されなければ支持者に禍根が残りかねず、票がまとまらないという結果を招きかねません。
また、野党共闘という枠組みに固執することで、かえって見失うものがないか、注意する必要もあるでしょう。野党共闘の有効性は統計的には明らかですが、それは個々の選挙に勝つための良い選択であることを保証するわけではありません。選挙の際に、各党の応援弁士を並べて野党共闘をアピールしている場面を見ることがありますが、多くの有権者は野党共闘を基準にして投票するわけでもないですし、それが十分に響く訴えになっているかは大いに疑問です。
野党共闘が実現した結果、候補者が各政党に気を使わなければならず、かえって自由な選挙ができないということも起こり得ます。例えば応援弁士が多すぎると、候補者の演説に行きつく前にメインとなるはずの様々なテーマがしゃべりつくされてしまう上に、聴衆はへとへとになってしまいます。聴衆がいちばん聞きたいのは候補者の演説であって、延々と続く応援演説ではありません。しかし協力した政党に配慮するために、そうしたスタイルをやらざるを得なくてやっているという場面がしばしば見られます。
立憲民主党のスタンスが、2017年の結党時と今とで変化していることも見落とせない点です。2020年に元希望の党の議員が合流しただけでなく、2021年の7月には、立憲民主党結党時からのメンバーであり、また憲法調査会の事務局長でもあった議員が逸脱した手続きによって離党に至りました。第49回衆院選では結党時に集った重要な議員が何人も議席を失っています。こうした過程でどのようなことがあったのかは解き明かされなければならないですし、また、その結果として起きているスタンスの変化についても敏感である必要があるでしょう。
他方で共闘の主要な一角を担っている共産党は支持率を伸ばせておらず、共闘の枠組みの中でただ票をとられて埋没してしまうという心配も、浮かんでこないわけではありません。
けれども、こうした野党共闘の問題は、きちんと事実をおさえたうえで議論されるべきことです。
事実に基づいた議論を
いま、野党共闘が失敗であるという議論が盛んに展開されています。しかし、ここまで検証してきたように野党共闘の効果は明白で、どのように考えても失敗と結論付けることができるものではありません。
第49回衆院選では、現職の自民党の幹事長であった甘利明氏が小選挙区で落選しています。平井卓也前デジタル相、塩谷立元文部科学相、金田勝年元法相、桜田義孝元五輪担当相、若宮健嗣万博担当相も小選挙区で落選をしました。石原伸晃元幹事長は、立憲の新人に比例復活をも阻まれての落選となりました。
これらは全て野党共闘の成立した選挙区です。
また接戦区の増加により、自民党の過半数の確保は、得票率の差が4.66ポイント以内の接戦の選挙区で左右されることとなりました(比例代表の獲得議席数が変わらない仮定をおいています)。
こうした結果となった以上、野党共闘が失敗であったという主張を宣伝したい人たちがいるのは頷けます。しかしそれらの宣伝は、言うまでもなく、出発点とするべき議論ではありません。
2021.11.16 三春充希
※下記に続きます。