フォローして、新しいリリースの更新、特別セール(プロモーションセールを含む)、改善されたおすすめ情報を入手してください。
お好み焼きの戦前史 エピローグより抜粋 今から50年ほど前までは、明治の東京を知る人々が、お好み焼きがいかにして文字焼から生まれたかを知る証人たちが、まだ多く生きていた。 もし昭和40年代に本書のようなお好み焼きの歴史に関する本が企画されていたならば、生き証人をたどることで、より正確でより詳細な歴史を描くことができたであろう。 しかし、それはもうかなわない願いである。明治の生き証人が他界すると同時に、その知識も失われてしまった。残された手段は、明治以降の膨大な記録の中に埋もれた断片的な知識をかき集めて、再構成する以外にないのだ。 江戸時代に比べると、明治時代以降の食文化の研究は、あまりに進みが遅い。その原因は、資料が多すぎることにある。 お好み焼きの歴史研究をはじめてから5年以上、その時間の多くは、明治から大正に生まれた人々の回想録や自伝的エッセイを手当たり次第に読み込む作業に費やされてきた。 プロローグに出てきた、大人がお好み焼きを焼く最古の事例、浅草の橘屋の事例は、この地道な作業によって発掘されたものである。 「発掘」という言葉を使ったが、近代食文化の研究アプローチは、史学というよりは考古学のアプローチに近いと考える。 この地表の全ての構築物を破壊し、全ての地表を露わにして、その地下に眠るものを全て発掘できれば、考古学は飛躍的な発展を遂げるであろう。 だがそれは不可能な話である。発掘可能な土地を探し、予算内で可能な限りの発掘作業をすすめていくより、他に方法はない。 近代食文化の研究も、考古学と同じである。明治時代以降の膨大な記録を全て読み込んで整理することができればよいが、そのようなことは不可能である。可能な範囲で、手当たり次第に文献を読み整理していくしか、方法はないのだ。
または¥1,250購入する