なぜ虐待親は「自分は被害者」だと感じてしまうのか?
仕事柄、親から虐待を受けてきた人たちの話を、恐らく数百件以上聞いてきた。
対面の時もあれば、メールや電話の時もあったし、実際に当事者経由で親御さんと面談したことも何回もある。
虐待を受けた人たちの話を聞いていると、たいてい、こんな希望を持っていることが多い。
「親に、自分のやったことを理解させたい。その上で、謝罪させたい」
そうした話にじっくりと耳を傾けた上で、大抵の場合、僕はこう言う
「それは、諦めた方が良いと思います」
自分が加害者だという自覚がない虐待親たち
子供の頃から何年も、何十年も凄惨な目に合わされ続けて、心も体もズタボロにされた虐待経験者のみなさんからすると信じられない話かもしれないが、たいていの虐待親というのは、「自分が悪いことをしたと思っていない」。
特に加害者が母親で、精神的虐待を繰り返していたケースにこのパターンは顕著だ。
彼・彼女らの脳内は
「自分は子供を愛してきた」
「自分は一生懸命に育児をしてきた」
という美しい思い出で一杯である。
そもそも「虐待」と糾弾されるようなことを、自分は一切してないと考えている虐待親も少なくない。
多少の自覚があっても
「時々、うまくいかないことがあり、子供に当たってしまったこともあるけど、どれも些細なこと。○○ちゃんは全部笑って許してくれた」
という物語をインストールしている虐待親が大半である。
被害者からすれば、これほどおぞましい話もない。
ある虐待親のケース
母親から身体的・精神的虐待を受け続けていた友人の家に、数か月間、下宿していた時期がある。
自分が下宿することで虐待親からの暴力を和らげるのが目的だったのだが、その期間見聞きしたものは、自分の「虐待親」という概念を根底から変えてしまった。
正直、その家に下宿するまでは、虐待親たちも人間である以上、子供たちの現状を鑑み、多少は罪悪感に苛まれていると思っていたのだ。
しかし、違った。その家で目にしたものは全く違う光景だった。
自分は外面が良い人間なので、友人だけではなく、その家の方々とも積極的に交流した。まぁ居候として住み込む以上は必要なことなのだが、特に要注意人物である母親とは意識して仲良くなろうとした。努力のせいか、その母親も自分が下宿することに好意的になってくれたようだった。それまでは、良い。
ただ驚いたことに、彼女は僕とふたりきりになると、昔の「育児の思い出」を語るのだ、彼女の視点から見た、虐待の物語を。それは被害者であり当事者である友人から聞いたものとは、全くかけ離れたストーリーだった。
「昔は本当に大変だったの、でも、つらいときはいつでも○○が励ましてくれた」
「○○は本当に優しい子で、私が殴ってもニコニコして、私のことを抱きしめてくれる」
「○○が『ママ、だいじょうぶだよ、なかないで』と言ってくれると、イライラは吹き飛んだ」
そんな話を、さもうっとりとした表情で、家族の美しい思い出として第三者である自分に語るのである。
衝撃を超えた、戦慄だった。
自分の耳には「大人が圧倒的な暴力で子供を奴隷にしている光景」しか思い浮かばない。
しかし虐待親の脳には「美しい家族の絆の物語」が、おそらく上映されているのだ。
他人に話して良い内容だ、と彼女が考えるほどに。
100%あり得ないと思ったが、一応友人に裏を取ってみた。
「お母さんが、こんな話してたんだけど、記憶ある…?」
「ある」と彼は答えた。そして隠された本当の物語を語ってくれた。
「あの時は、直前に×××××に頭をおしつけられて、死ぬかと思って、それでなんとか機嫌を取るためにそんなことを言った記憶がある」
「そのときは、母親が□□□の理由で荒れていて、こちらに波が来そうだった」
「そのときは…」
全て悲惨な虐待の一幕だった。
話していくうちに彼はフラッシュバックを起こし、ベッドに倒れ込んだ。
自分は謝罪しつつ、頓服薬と水を枕元に持って行った。
色鮮やかな地獄
この衝撃的なケース以降、自分は虐待相談を受けた際には、なるべく(元)保護者ともお話する機会を設けてきた。
肩書としてはピアスタッフとして訪問するわけだが、大抵「メンタルヘルス系の支援者」みたいな人が来ると、保護者たちは身を固くする。
自分の最初の仕事は、彼ら彼女らを安心させることだ。
「きっと育児は本当に大変でしたよね」
「お子さんが病気で親御さんとしても悩みますよね」
そんな話を、せんべいを齧りつつポリポリとしていく。
すると段々相手の緊張もほぐれてきて、「本音」をポツリポツリと話してくれる。
その「本音」は、上で書いた内容とあまり大差ない。最大公約数的なものは
「自分は一生懸命に○○を育ててきた。愛情もたっぷり注いだ。なのに壊れてしまった。理由が全くわからない。たぶん学校が(職場が、恋人の△△が、友達の□□が、大学のゼミの教授が、自律神経が、日本社会が)原因だろう。本当に頭にくる」
と、そんな感じだ。
「美しい家族の思い出」を語ってくれる虐待親も少なくなかった。
なんとか笑顔を張り付けながら、その光景を想像して、全身の血が抜かれるような絶望を感じた。
これまでのことをして、目の前のこの人には、加害者意識も、罪悪感もないのか…。
それを確認して「和解の可能性なし」と脳内の手帳にメモを取る。
時には自分自身も軽いフラッシュバックを起こし、避難した先のトイレで頓服をガリガリとかじり、やっと顔色を戻し、虐待親の「美しい思い出」を再び傾聴する。色鮮やかな地獄がそこにはあった。
こびりついた被害者意識
虐待親たちに共通する特徴は「被害者意識の強さ」だ。
いわく、
・うちは貧乏だった
・シングルマザーだった
・子供は障害を持っていた
・夫が育児に協力してくれなかった
・精神的な持病があった
・お受験のストレスがすごかった
なので、
「とても苦しかった」し「ひどい境遇だった」
と、虐待親たちは口を揃えて言う。
そして
「そんな環境だから、つい爆発してしまった」
と続く。
「爆発」の被害を被るのは、言うまでもなく、家族における最も弱い構成員、こどもだ。
現代の、特に都市部の核家族は、子供の居場所がどこにもなく、ヒステリックな親が爆発を始めると、子供はどこにも逃げられず、ひたすらその犠牲になり続けるしかない、という歪な構造がある。特に母子家庭・父子家庭だとその傾向はさらに強まり、心と身体を休めるためあるはずの家庭が、虐待と拷問の楽園になってしまう場合も少なくない。
「爆発」の原因が子供である場合もある。子供にあると言っても、大抵はごく些細なことに虐待親が理不尽に激怒するとか、子供が意のままにならないことに激高するパターンが多い。
「本当はこんなことしたくないのに、あまりにも貴方が××だから、こうせざるを得ない。私をこれ以上苦しめないで!」
そんなことをわめきつつ、虐待親は子供に肉体的・精神的な暴力を振るう。
最近、母親に医学部受験を強要され続けた娘が母親を刺殺したという天晴れなニュースがあったが、この事件の判決文にはこのような下りがある。
(看護師になりたいと被害者が虐待親に吐露するも)
「あんたが我を通して私はまた不幸のどん底に叩き落された!」
などと一蹴されるというシーンがある。
(出典:大津地判令和2年3月3日)
これは、まさに典型的な虐待親の台詞と言える。
虐待親の世界で、虐待親は「被害者」なのだ。
自分は子供にこうしてほしいのに、それが叶えられない。それがつらい、苦しい、耐えられない。なんて自分は不幸なんだ。それもすべて自分の意のままにならない子供のせいだ。これ以上、私を不幸にしないで!
そうして、凄惨な虐待は続いていく
虐待親から身を守るには
信頼関係を構築できた人にだけ伝える、ある台詞がある。
虐待親によって、何年も何十年も傷つけられ、心を病み、人生の何もかも滅茶苦茶にされた。
そう感じている人にだけ伝える、ある言葉がある。
それは
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