『日本沈没2020』、TLで話題になっていた最終話で幼少のカイトが凧揚げの最中にスカートを脱ぎ捨てるシーン。あそこでの「She」発言については作り手側が勉強不足で下手を打った案件に見えたなあ。
カイトはそれまで外見が男性のようで一人称も「俺」だったので、そうか実はトランスジェンダーだったのか〜と種明かしされる場面なわけですが。
その直後に主人公・歩がカイトのことをわざわざ「She」と呼ぶ。カイトが実はXジェンダーでSheと呼ばれるのを望んだり許容したりしている……みたいな描写でもあればここまでの引っかかりは覚えないんだけど。直前でわざわざ「スカート」を捨て「凧(Kite)」を選ぶという象徴的な映像を入れているんですよね。カイトの性自認がFtMであると読み取れるように露骨に誘導しているわけで、その上で「彼」ではなく「彼女」と呼ぶのにこだわるのであれば他に何らかの補助線を入れるべきだったのでは。
性自認が女性とかXジェンダーなのに「あえて」“カイト”と名乗った理由もひねり出そうと思えばできなくはない(例:「『凧は男の子が遊ぶもの』というステレオタイプに縛られず、風に乗って自由に生きたいからそうした」……とか)。でも、だったらそう読み取れる描写がほしいし、それが無いので単に歩が「FtMのトランスジェンダー男性をがさつにSheと呼んだ」ように見えてしまっている。
『日本沈没2020』自体は多様な「日本人」のあり方を描いてみせた意欲作であり、言葉遣いひとつ間違えただけで作品としての格が大きく左右されるとは思ってないです。ただ悪意無くやらかしてしまっているように見えたあたり、共感性羞恥的あちゃー感に見舞われた。2020年にトランスジェンダーに理解を示そうと務めた作品でも、真逆の言葉遣いを選んでしまっていたんだなあと後年見返す分には、これはこれで歴史資料として有意義なのかもしれないですね。
なんにせよ、前半のトンデモ展開(不発弾で爆死する展開とか突然の大麻コミューンとか……)のせいでなんとも奇妙な味わいが先立つものの、8話から最終話にかけての畳み掛けは素直に楽しめました。