安倍晋三元首相(67)の銃撃事件を巡り、日本のツイッター上で「事件はヤラセ」「自作自演」などのデマを中枢となって発信していたアカウントの一部が、過去にロシアによるウクライナ侵攻や新型コロナウイルスのワクチンに関し、陰謀論とみられる情報を積極的に発信していたことが3日、分かった。情報セキュリティー会社の分析ではいずれも1万人以上のフォロワーを抱え、高い影響力があった。同社は「世論形成のため恣意(しい)的に作られたアカウントの可能性がある」と指摘する。
事件前は安倍氏に言及の投稿なし
インターネットセキュリティー会社「Sola.com」(ソラコム、仙台市)は安倍氏が銃撃で倒れた7月8日から11日にかけ、事件に関する国内でのツイッターの投稿を分析。「安倍氏事件はヤラセ」「自作自演だ」という投稿の広がりを確認した。
同社はデマを中枢となって広めていた5つのアカウントを抽出。いずれも1万~10万人のフォロワーがいたり、安倍氏を巡るデマを投稿したところ5千件以上のリツイート(共有)や「いいね」を集めたりするなど、高い影響力があることが分かった。1日の投稿は平均約30回。一部は銃撃事件発生直後からデマの拡散に関与していた一方、事件前に安倍氏に言及する投稿はなかった。
同社は5アカウントの過去の投稿内容も検証。それによると、今年2月のロシアによるウクライナ侵攻直後には「ウクライナに米国の生物兵器研究所がある」「ウクライナはネオナチ」といったロシア側の主張に立ったデマを発信したり、侵攻以前は新型コロナウイルスのワクチンに関し「人口削減計画の一環」と訴えたりする投稿が目立った。
また「親ロシア」「反ワクチン」という同じ特徴を持つグループとつながり、互いにリツイートする連携も見て取れたという。
「投稿内容が日本になじみがないものだったり、投稿時間がロシアのサンクトペテルブルクのビジネスアワーと一致したりするなど不審な点が複数みられた」と同社の担当者。安倍氏銃撃を巡る陰謀論の拡散に、海外の勢力が関与している可能性があるとした。
救護女性は「役者」とデマ拡散
加工された動画や画像を用い、真実を曲解させようともくろむ手法は、近年のフェイクニュースにおける定番となっている。
《事件はヤラセ》。事件の直後、交流サイト(SNS)にはそんな文言とともに2つの画像が拡散した。一つは安倍氏を現場で救護する女性、もう一つは海外で活動する大手テレビ局の女性記者の姿だった。一部のアカウントは2人を容姿などから同一人物と決めつけた上で、「国が仕組んだ役者」と指摘。「事件は政府が仕組んだ茶番」「寸劇」などとのコメントもあった。
一方、記者が所属する大手テレビ局は産経新聞の取材に「記者が奈良にいた事実はない」とコメント。偽りと分かりながら、何者かがネットユーザーを扇動していた疑いがある。
今年3月、ウクライナ東部の激戦地マリウポリにある病院が空爆され、子供を含む3人が死亡、17人が負傷したと報じられた。この時、病院から逃げる妊婦が世界中のメディアに取り上げられたが、ロシア側は「妊婦は俳優が演じた偽物だ」と主張。だがウクライナの国連大使が安全保障理事会で妊婦と産まれたばかりの子供の写真を掲げ、実在する妊婦と示したことから、ロシア側の主張が虚偽だったことが明らかになった。
インターネットに接する機会が増えるようになったコロナ禍以降、SNSでは陰謀論とみられる情報が氾濫するようになった。特に目立つのがコロナワクチンに関するデマや、「ウクライナの真実」などと称したロシア寄りのプロパガンダ(政治宣伝)だ。
ネットでの誹謗(ひぼう)中傷に詳しい国際大の山口真一准教授は、人間の「優越感への欲求」がデマの拡散と深い関係にあるとみている。根拠不明の情報に触れたり拡散したりすることで、ほかの人が持っていないものを自分だけが知っているという感情だ。
「陰謀論とワクチンはとても相性がいい」と山口氏。多くの国民がワクチンへの関与を求められる一方、すぐに効果が見えにくい側面もあり、「専門的な知識がないと分からない不明瞭な出来事は、『想像』する余地が広がってしまう」。2001年の米中枢同時テロで広まった「テロの首謀者はブッシュ大統領」などの陰謀論と構造がよく似ているという。
山口氏によると、人は自分が信じたいものや、イデオロギーに合うような情報ばかり見てしまう習性がある。結果的にデマを基にセミナーに勧誘されたり、高額な商品を購入してしまったりするなど、経済的な影響も懸念される。中には誤った情報を基に母国への反感が高まるといった極端な例も想定される。
技術革新が進み、動画などを人工知能(AI)で加工する「ディープフェイク」も新たな脅威だ。一方、海外ではデマの拡散を商業目的で組織的に行うケースも確認されている。
こうした中で、山口氏が危惧するのは、陰謀論による社会の分断だ。相対する勢力で議論が成立しなくなる世界の到来を意味し、「民主主義の危機」と訴えている。(木下未希)