日本維新の会、みんなの党などの「第三極」を標榜(ひょうぼう)してきた政党の出身者が自民党入りするケースが相次いでいる。既存政党と一線を画した政治を目指した議員たちの転身は、かつて「しがらみのなさ」を有権者にアピールし支持を集めた第三極の苦境を映し出している。
落選した第三極出身者が自民党公認で国政に復帰する事例は平成28年ごろから目立ち始めた。
同年7月の参院選比例代表では、日本維新の会創設者の橋下徹元大阪市長のブレーンでもあった山田宏氏が当選した。29年10月の衆院選比例中国ブロックでは、維新などに在籍した杉田水脈(みお)氏が国政に返り咲いた。みんなの党出身の和田政宗参院議員のように、無所属時代を経て議員のまま自民党に入党したケースもある。
自民党は今夏の参院選でも、山田氏と長年行動を共にしてきた元横浜市長の中田宏氏を比例代表に擁立する方向で調整している。
相次ぐ自民党入りの背景には、非自民勢力に身を置いていても展望が開けないという判断があるようだ。第三極出身の自民党議員の一人は「小さな政党では目指す政策も実現できないし、当選すらおぼつかない」と打ち明ける。
近年で最も第三極が台頭したのは民主党政権時代末期だった。橋下氏が設立した地域政党「大阪維新の会」を母体とする日本維新の会が24年9月に発足、10月には河村たかし名古屋市長率いる地域政党「減税日本」も国政政党化した。
当時、政権が迷走を重ねる中、鬱積する有権者の失望や不満の受け皿として期待を集めたのが第三極の諸政党だったといえる。
ところが、堅調な支持率を維持する安倍晋三政権の時代になると状況は一変する。非自民勢力に追い風が吹かない上に、民主党・民進党と政権批判票を食い合う構図が生まれたからだ。
連合という支援組織を持つ民主党系政党に比べると、第三極は「風頼み」の選挙戦に陥りがちだ。立憲民主党幹部は「企業が存在する限り、経営側が支持する政党と労働組合が応援する政党は存在し続ける。第三極の政党が消えていく理由はそこにある」と話す。
乱立した第三極勢力の中で現在も国政政党の要件を有するのは日本維新の会だけだ。その維新も全盛期に比べると集票力の衰えは否めない。「しがらみのなさ」の裏返しである支持基盤の脆弱(ぜいじゃく)さが、第三極を隘路(あいろ)に追い込んでいる。(松本学)
※グラフィック「相次ぐ『第三極』出身者の自民党入り」のうち「次世代の党→日本のこころを大切にする党」は党名変更による