鶴ヶ島プロジェクトシンポジウム2

追記。
どうも、書かないとそれ自体がメタメッセージになっている気がしたので、鶴ヶ島プロジェクトについての続編。


鶴ヶ島プロジェクトは、東洋大学藤村龍至研究室で今年行われた設計課題であり、具体的には東洋大学のある鶴ヶ島の小学校の建て替え計画である。そして、鶴ヶ島プロジェクトでは、学生は単純に設計し互いに競い合うという方法はとっていない。ここでは学生を
1)作家軸。
2)技術者軸。
3)プランナー軸。
といった三つのグループに分け、それぞれの役割を演じながら設計を進めている。この3つの軸はそれぞれ、具体的な現実の職種に対応してあり、
1)アトリエ系の建築家。
2)組織設計事務所やゼネコンの設計部。
3)デベロッパー等。
だと考えれば良い。さらに、二週間に一回といった割合でワークショップを開き、実際の市民の声を設計に取り入れることで、より具体的かつ密度の高い設計を行っている。


さて、その鶴ヶ島プロジェクトだが、個人的にやはり一番重要だと思ったのは、普段なら手をつけられない、設計の余条件の部分までをも、設計のプロセスの中に取り込んでいる点にある。
また、3つに分けているというのも秀逸だ。なぜ、この3つに分けているかというと、デベロッパーやプランナーが要項をまとめ、組織事務所やゼネコンがほとんどの設計をおこない、その表層のみをアトリエ系の建築家が設計するという、現実に今、起こっているこの図式そのものに介入するためのひとつの実験だからだろう。

そして、小学校という規模も重要である。
この手の「プロセス自体を設計する」といった手法についてよくある批判に、他の規模では使えないではないか、といったものがある。しかし、これはよく考えればそもそも変な話だ。ある一定の規模で十分に機能するのであれば、実際に設計する際には全く問題ないはずで、他の規模の場合には、他の方法を考えれば良い。藤村氏の話では実際にワークショップを進めてみて、小学校という規模では有効に使えるという実感を得たそうだ。
また、最後の工藤さんのコメントでも、この小学校の重要性については発言されていた。工藤さんはシーラカンスという設計事務所で、小学校の新しいプロトタイプを設計し続けた人のひとりである。実際に97年に設計した幕張に建つ千葉市立打瀬小学校はオープンスクールの先駆けだ。
その工藤さんによると、地域のコミュニティの核は学校にたくさんあり、学校をつくることはまちをつくることである、ということだった。実際、公共施設の37%が学校施設であり、個人的な実感としても、こどもがいれば嫌でも地域に参加しなくてはならなくなるし、被災地の中でぽつんと残された校舎をみても学校が重要だというのはその通りだろうと思う。
ただ、ここから先が重要なのだが、実は単純に良い建物を作ればそれで解決するという話ではない。なぜなら池田小学校のような事件は学校だけでは解決しないからである。学校をオープンにするというのは、どうしてもセキュリティという問題と対立してしまう。しかしながら、塀に囲まれた学校を作ってしまうと地域からは孤立する。しかも、いったん侵入者に入られてしまうと外からは見えないためにより危険になる可能性もある。だから、建物が実際に建った後の使い方も含め、オープンなプロセスで地域のひとと一緒に考えることができれば、オープンとセキュリティといった二項対立に陥ることなく、第三の道を設計できるかもしれない。ようは使い方も含めて一緒に考えようよ、ということであり、この方法は根本さんの話と極めて近い。というかほぼ同じ話を具体的な設計の形で取り組んでいると言える。

最後に、藤村氏は鶴ヶ島の新しい点について、3つあげていた。
まず、第一に単体の設計からスタートしているということ。
第二にオープンなプロセスであること。
第三にゴールそのものを一緒に探求していること。

設計した後にコメントを求めるのではなく、市民を設計のプロセスの中に取りこんでいくというこの手法は、画期的だし教育実験としても非常に面白い(だからこそ、いろいろと学生からは不満があったようだが、それは新しい試みだからこそだろう)。ただ、ぼく自身は昨日も書いたように、実際の案についてはまだ具体的に見れていないので、12月のヒカリエの展示を楽しみにしたいと思う。