「ナマハゲ」については何年か前に採り上げたことがある;
さて、『朝日』の記事;
<なまはげ暴走>大浴場に侵入 女性客数人の体触る 秋田1月12日11時18分配信 毎日新聞
秋田県男鹿市の旅館で昨年の大みそか、大浴場に「なまはげ」が侵入し、女性数人の体を触っていたことが分かった。なまはげは家々を回って子供たちに礼儀の大切さを教える男鹿半島の伝統行事。国の重要無形民俗文化財にもなっている。その逸脱行為を重く見た男鹿温泉郷協同組合は、問題を起こしたなまはげが所属する町内会について、温泉郷でのなまはげ行事への参加を3年間禁止した。
組合によると、観光サービスとして温泉郷周辺の町内会の男性5人が扮(ふん)したなまはげが午後8時半過ぎに旅館ロビーで舞を披露。うち20代の男1人が抜け出して大浴場に入り、女性客数人の体を触った。男は振る舞われたお神酒などで酔っていたという。女性客の家族から苦情を受け、町内会長らが謝罪した。
組合や町内会長らは今月8日に対応を協議し、問題を起こした町内会のなまはげの出入り禁止を決め、男に厳重注意した。女性客の了解もあり、告発などの措置は取らないという。これとは別に男鹿市や市観光協会には「妻がなまはげに胸を触られた」などの苦情が2件あったという。
山本次夫・同組合長は「言語道断の行為」とコメント。なまはげゆかりの真山神社の武内信彦宮司は「モラルが欠けている」と苦り切っていた。【馬場直子】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080112-00000033-mai-soci
(Cited in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080112/1200113587)
これは高齢化、過疎化による所謂〈限界集落〉問題*1ということなのだろう。また、ナマハゲのある秋田県男鹿地方の高齢化・過疎化問題については、NORIMITSU ONISHI “In Japan, Buddhism May Be Dying Out”*2も参照のこと。
ナマハゲやる人イネガ〜 留学生でも子どもでもええど(1/2ページ)2011年2月21日17時1分
秋田県の「ナマハゲ」や岩手県の「スネカ」といった地方の農山村に残る習俗が存続の危機に陥っている。集落で、担い手となる20代前後の若者が減ったためだ。外国人や高齢者、戒められる側の子どもが参加することで、かろうじて消滅を免れている。
■「また来るど」→「I’ll be back」
「ウォー、ウォー、ナクゴハイネガ〜」。2010年の大みそかの夜。ひときわ大柄なナマハゲ集団が秋田市の農村集落を歩いていた。お面は、通常のものより3倍は鼻が高い特注品。国籍はアメリカ、メキシコ、フランス、ザンビア……。近くの国際教養大に通う留学生たちだ。
ナマハゲは本来、地域の20代前後の未婚男性が担う。だが一時途絶えたこともあり、2年前から国際交流と称して外国人を受け入れている。うまく方言が話せない留学生には「エングリッシュ(英語)でもええど」と指導。来年の再訪を告げる意味の「また来るど」を「I’ll be back」と言い換える留学生もいた。堀井良美自治会長(60)は「外国人でも参加してくれるのはありがたい。これが刺激になって外に出て行った若者も参加するようになれば」と話す。
本場の男鹿半島では、この30年間で4割の集落でナマハゲが消えた。残っている所では40〜50代が中心。還暦を過ぎた人もいて「中高年ナマハゲ」の状態だ。体力が衰えているため、重い衣装を着て雪道を歩くのはつらい。家々で酒を振る舞われるうち、倒れるナマハゲもいる。
男鹿市の高屋集落でナマハゲ歴40年の農業伊藤孝一さん(59)は、自分が辞めると途絶えるため、引退できない。「訪ねた家で『あんた、まだやってるんだか』と言われるのはつらい」。別の集落の男性(60)は「女人禁制の風習だが、女性にナマハゲ役を頼むことも検討した」と打ち明ける。
http://www.asahi.com/national/update/0221/TKY201102210188.html■岩手や石川の習俗もピンチ
担い手不足の余波を受けるのはナマハゲだけではない。
岩手県大船渡市の吉浜集落に伝わるスネカ。獣のようなお面をつけ、腰につけた特産のアワビの貝殻を鳴らしながら家々を回るが、今年は地元の男子中学生18人が扮した。
1月15日夜、30世帯を回った中学1年の野田康太君は「怖がられなくて困った」。本来、戒められる側の子どもが怖がらせる側になり、訪ねた家に小さな子どもがほとんどいなかった。「がっかりした」と話す生徒もいた。
石川県能登町の秋吉集落に伝わる「アマメハギ」には園児や小学生も駆り出されている。2月3日夜、中学生を含む男女7人が段ボール紙や木の皮で作ったお面をかぶり、30世帯を回った。迎える側も疎くなっており、節分の鬼と勘違いして豆を投げた人もいた。
恐ろしいお面を付けて集落を練り歩き、邪気を払う行事はかつて全国に100近くあったが、今は数えるほどだ。残った行事の多くは国の重要無形民俗文化財に指定されている。途絶えた集落では、高齢化率が40%に迫ることも珍しくない。
秋田県民俗学会の鎌田幸男会長は、衰退の背景に農山村の生活の変化を見る。戦後の高度経済成長の波で合理化が進み、村のみんなで苦労を分かち合いながら農業や漁業に従事する時代は終わった。「個々の暮らしや仕事が細分化し、昔ながらの共同体が崩れた結果だ」と話す。(矢島大輔)
http://www.asahi.com/national/update/0221/TKY201102210188_01.html
以前も書いたが、ナマハゲというのは象徴論的・構造論的に言えば、内部化=馴致された(domesticate)異人(stranger)であるといえるので*3、ナマハゲを外国人がやるというのは民俗学的に興味深いことなのでは?
*1:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080307/1204914958
*2:http://www.nytimes.com/2008/07/14/world/asia/14japan.html See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080714/1216047673
*3:『これは「民俗学」ではない』という本に所収のテクストで小松和彦氏がこの問題を論じていた筈。 これは「民俗学」ではない―新時代民俗学の可能性 (Fukutake Books)