なぜ「自民党」には派閥がある?派閥の歴史や問題点などを行政書士試験合格ライターが分かりやすくわかりやすく解説
自民党で懸念されるものの1つが派閥の存在です。一時は派閥を解消しようとする動きも見られたが、現在も自民党には派閥があるようです。
自民党に派閥が存在する理由や、派閥の歴史と問題点などを、日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していきます。
ライター/タケル
資格取得マニアで、士業だけでなく介護職員初任者研修なども受講した経験あり。現在は幅広い知識を駆使してwebライターとして活動中。
保守合同による自民党結成
1955(昭和30)年、右派と左派に分裂していた日本社会党が再び統一します。当時の保守政党だった日本民主党と自由党は、日本社会党の台頭による日本の社会主義国化を警戒していました。そこで、2つの党は合併し、議会で強固な勢力となるよう試みます。それが保守合同と呼ばれるものです。
保守合同に反対した者も一定数存在し、保守分立論も唱えられていました。しかし、社会党統一から遅れること1か月後に保守合同が実現し、自由民主党(以下、自民党)が結党されます。自民党の初代総裁には、日本民主党の総裁だった鳩山一郎が就任しました。自民党による政権は、それから40年近く続くこととなります。
八大派閥から五大派閥へ
自民党が結成され、総裁の鳩山一郎による内閣が成立しましたが、党内が1つにまとまっていたわけではありませんでした。鳩山と対立していた吉田茂など、当初は自民党に加わらなかった者もいたほどです。1956(昭和31)年の自民党総裁選挙では有力者同士の対立が顕著化し、それをきっかけに八大派閥が形成されました。
その後、八大派閥はさらに収束されます。岸信介の十日会・佐藤栄作の木曜研究会・池田勇人の宏池会・河野一郎の春秋会・松村謙三と三木武夫の政策研究会が、のちに五大派閥として力を持つようになりました。この五大派閥を源流とした派閥が、21世紀の今でも自民党内に存在します。
こちらの記事もおすすめ

3分で簡単「吉田茂」生い立ちや数々の解散・サンフランシスコ平和条約などを歴史好きライターがわかりやすく解説
\次のページで「ニッカ・サントリー・オールドパー」を解説!/



