結城さん、著書やツイートでとても聡明でかつ学び続けていらっしゃる姿勢をとても尊敬しております。
結城さんが「ご自身の宗教に関して、心底から腑に落ちていらっしゃること」と「ガチの技術者、研究者として活動されていること」に、うまく言葉に出来ない違和感を感じております。
おそらく同様の質問に何度も答えられていて「よくある質問」かと思うのですが、手元で調べた限り見つけることが出来なかったので、質問を送らせて頂きました。
宗教を「ある枠組みでの人為的な洗脳」(この解釈自体も突っ込み対象)と考え、真理を「数学や物理など自然から発掘できる知識」と考えた場合、その二つに対してどのように折り合いをつけているのでしょうか。
ご質問ありがとうございます。質問とは直接関係ないのですが、結城は本を書く仕事をしている数学愛好家&プログラマというだけですから「技術者」はさておき「研究者」というのとは違います。念のため。
さて、あなたからいただいた質問は確かに「よくある質問」の類いではあるのですが、みなさんからの質問内容は微妙に違うのでお答えします。
あなたは、宗教のことを「人為的な洗脳」と(突っ込み対象といいつつも)表現され、真理を「自然から発掘できる知識」と表現なさっていました。真理というとやや難しくなるので「科学」と置き換えさせてください。
あなたは、たとえば「科学」はどのようなものであると認識なさっているでしょうか。特に「科学」が持つ守備範囲をどう考えていますか。
自然科学は自然によって仮説を検証する学問です。その研究では自然が「どういうもの」であるかは考える対象になっています。でも自然が「なんのため」にあるかは科学の対象範囲外になります。「どういうもの」かと「なんのため」の二つは異なります。それは認識なさっているでしょうか。言い換えるなら、科学の守備範囲というのは、私たちが考えることや直面する問題のごく一部なのです。
たとえばあなたは、自分の存在意義について悩んだことはないでしょうか。あるいは好きな人ができてその思いをどうすべきかについて。他の人はさておき、他ならぬ私はどう生きるべきなのかについて。そのような問題に対して科学は沈黙します。数学も沈黙します。なぜならそのような問題は守備範囲外だからです。
「宗教」について少しお話しします。宗教というものは、その種類によって、あるいは時代によって、あなたのいうように洗脳の道具となり、人を支配するための手段として用いられたことも多くあるでしょう。宗教のそういう側面は、政治や麻薬や武器や心理学が悪しき応用を持っているのと似ています。人を支配するための手段として用いられる場合があるというのは、宗教というもののすべてではありません。それは物理学のすべてが戦争の道具ではないのと同じことです。
私たちは、科学的に考えるべきときには、科学の正しい知識を使います。数学的に考えるべきときには、数学の正しい知識を使います。しかし、科学の守備範囲を越えた問題を考えなくてはいけないときに、科学を無理に使うのは誤りです。それは科学万能主義的な考え方であり、誤った適用ですね。
あなたという一人の人間の行動基準は、科学で規定されるものではありません。あなたの行動基準というのは、あなた自身の道徳観、価値観、倫理観、宗教観、世界観……そのような言葉で表現されるものの総体として存在するでしょう。妻よりも魅力的な女性が現れたときに、妻に貞節を尽くすか否か。それは科学の守備範囲ではありません。
あなたの質問に答えるなら、「宗教」と「科学」の二つは守備範囲が異なるものなので、折り合いというもので悩んだり矛盾を感じたりすることはほとんどありません。
ここまでの話で、結城が信じているキリスト教に固有の話はぜんぜん出てきていませんが、すでにあなたの問いには十分お答えしているような気がしてきました。ここまでで、いったん回答を閉じることにいたしましょう。
なお、結城がここまでながなが書いてきたことは、ガリレオ・ガリレイの言葉としてたいへん簡潔に表現されています。
聖書は、天国への行き方を教えてくれますが、天体の動き方は教えていません。 The Bible shows the way to go to heaven, not the way the heavens go. (ガリレオ・ガリレイ)
https://story.hyuki.net/20161123235809/
「天国への行き方」に関心がある方は、以下のページをごらんください。
もともとの質問から一歩進んで「人間を越えた存在は信じるけれど、それがキリスト教の神であるという根拠はどこにあるか」というしごくまっとうな質問に対する結城の考えは以下に書きました。
もともとの質問にやや関係がある問いとして、科学のように論証をへたものなら信頼できるが、宗教は信頼できないのでは?という問いに対する結城の考えは以下に書きました。
宗教のように科学の論証を経ない価値観を正しいものとして受け入れられるか
別の角度からの質問として、真理を探究するための道具である数学によって神を知ることができるかという問いに対する結城の考えは以下に書きました。
宗教と科学の守備範囲が違うというのは理解したとして、それなら宗教、特にキリスト教を信仰する目的というのはいったいどこにあるのか。何のためにキリスト教を信仰しているのかという問いに対する結城の考えは以下に書きました。
宗教と科学は守備範囲が違うとかいうけれど、たとえばキリスト教では進化論を否定しているのではないの?それはコンフリクトしているじゃん、という質問に対する結城の考えは以下に(14年前に)書きました。
クリスチャンはイエスキリストを信じろというけれど、そして私もできるなら信じたいけれどどうしたらいいかわからないという人のために以下の文章を書きました。
イエスさまを信じたいが、どうしたらいいかわからない人のために
キリスト教では神さまをまるで特異点のように扱い、特別な存在として扱い、拝んだり褒めたりする、そんなふうに、人間に賛美されないと存在できない神ってどうよ。という方のために以下のような文章を書きました。
神は愛であるとか、神さまはあなたを愛しているとかいうけれど、何を証拠にどう判断すればそんなことを信じられるのかという方のために、以下のような文章を書きました。
神さまが「わたし」を愛していることはどうやってわかるのですか?
以上、「結城さんは○○についてどのように考えているんですか。どんなふうに折り合いをつけているんですか」という質問に答えるリンクをいくつかご紹介しました。
Happy Reading!