小さい頃、父親の書棚は結構充実していました。父親の世代って、「大江健三郎作品集」のような難しそうな本を並べることがかっこいいという価値観も少し残っていた世代で、僕もそういう本を引っこ抜いてよく読んでいたんですよ。そのとき、僕が本を読んでいるときの喜びのひとつとして「聞いたことのない言葉に出会う」ということもありました。なので僕自身あまり語彙力ある方ではないんですけど、『ハイパーハードボイルドグルメリポート』は初めて執筆する本でもあったので、これまでに見聞きしてきた中で使ってみたい言葉がたくさんあったんです。子どもがナイフを渡されたら、いろんなものを切ってみたがるのと一緒で、使ったことのない道具をいっぱい使ってみようという無邪気な気持ちが、あの本の聞き慣れない言葉の多さに繋がっていると思います。とにかく僕自身、知らない世界とか、知らない言葉とか、そういうことを知るのが好きなタイプの人間なので、僕がこれまで出会えて嬉しかった言葉を自分の本でも使って、読者の人にも新しい言葉の出会いがあると良いなと思って書いていました。
上出遼平インタビュー「目に見えない体験を文章にする」後編
あの人に聞いてみたい、「書く」ことの話。今回も、ディレクター・プロデューサー・作家の上出遼平さんにお話を伺いました。後編は、執筆やリサーチに対する姿勢、アイデアを出すための環境についてお聞きしました。
Interview, Text:刈川 直紀 / Photo:阿部 裕介(YARD)
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上出遼平
1989年東京都生まれ。ディレクター・プロデューサー・作家。ドキュメンタリー番組『ハイパーハードボイルドグルメリポート』などを手がけ、同シリーズの著書のほか、小説『歩山録』、『ありえない仕事術』などの著書がある。俳優・仲野太賀さんと共にアラスカの山を進むドキュメンタリーYouTube『TRAIL』や、ポッドキャスト『上出遼平 NY御馳走帖』など配信。
聞いたのことない言葉に出会う楽しみ
「自分は理解している」という危険性
リサーチや執筆の手を止めるタイミングは、すべて締め切り日ですね。基本的に、「調べ尽くした!」ということはできないと思っています。もちろん、設定された締め切り日まで調べるし、限界まで書きますが、例えば『ありえない仕事術』で扱ったALS(筋萎縮性側索硬化症)について調べようとしたら、きっと10年かかりますよ。10年かかっても正確に理解したとは到底言えないと思います。自分が当事者でもないし、当事者だったとしてもわからないことはいくらでもあるわけで。でも、重要なのは「自分は理解し切れてない」という自覚を持つこと。「理解している」と思うことはすごく危ないことじゃないですか。特にジャーナリスト系でよくあるんですけど、「この人はこのことについてすごくわかっているという前提で書いているけど、全然わかってないな」みたいな。そういう一文に遭遇して、その瞬間にその本一冊の説得力が地に落ちるというのはよくあるので、やっぱり自分は扱う事象や物事に対しては、どれだけ調べたとしても入口をのぞき込んだに過ぎないという意識で進めています。そういった意味では、僕の作品は常に未完成のまま世に出てると思います。締め切りさえ来なければ、一生調べ続けて、書き続けちゃうと思います。もう常に直したいですもんね。でも、それをやってると次に進めないので。本を重版するたびに「修正箇所ありませんか?」って聞かれるんですけど、基本的には「ありません」と答えます。それをやってるともう一生終わらないんで、それよりは次のものをつくるという方向にシフトしています。
街の中でアイデアを考える
僕は執筆のルーティーンというものがなくて、本当に憧れるんですよね。何時に起きて、朝は走って、どこどこに行って3時間執筆をして・・・みたいな。憧れるんですけど、まあ僕には無理です。眠いときは寝ちゃうし、ルーティーンを決めても2日と持たないです。しかも今はニューヨークで活動していて、日本に帰ることも度々あるので、国を行き来をしているとルーティーンがすぐに崩れてしまって。でも、自分にとって物を書きやすい環境というのは常に模索してます。今もアイデアを出さなきゃいけない案件がいくつかあるんですけど、最近はノートとペンだけ持ってよく街中を歩いてます。ニューヨークって、ベンチやテーブルがそこら中にあるんで、歩きながら考えて、ちょっと座って、書いてみて、みたいなことができるんですよね。やっぱり紙に書くといろいろなことが見えてくるので、最初にアイデアや構成を考えるときはとにかくフリーハンドで書くということが大事だと思っています。文章を執筆するフェーズに入るときは、フリーハンドからタイピングに切り替えて、公園か近所のカフェで書いていますね。外部からのちょうどいい刺激みたいなのがなさ過ぎるのかもしれないです。不特定多数の人間が行きかっている場所が、捗るのかもしれません。
アウトプットの行き詰まりを、インプットで押し出す
日本にいたときは、アイデアや執筆に行き詰まると大体朝まで酒を飲んで、記憶をすべて失い、路上で目を覚ますというアクティビティをよくしていました。でもそれは日本での話で、ニューヨークでそれをやると命に関わっちゃうのでできないですね。最近は脳みそが休まっている時間が本当になくて。常に10個ぐらい仕事が同時進行しているんですけど、Aのことを考えなきゃいけないのに、Dのことを考えてる瞬間とかが常にあります。それと、アウトプット疲れみたいなこともあると思うんですよね。自分の中の素材みたいなものが枯渇した感覚になってしまう。実際には枯渇してないとは思うんですけど、出し切っちゃったみたいな感覚があって。そういうときは、ぼーっとNetflixでいろいろなドラマや映画を観てます。そうすると、観てる物語とは関係ないのに、ふとした瞬間にアウトプットの芽がピョンって出ることが結構あるんですよね。受動的にコンテンツをインプットして、詰まっているアウトプット側の出口を押し出してみるみたいな感覚ですかね。これ、意外と楽で効果的です。
執筆するときはiPadでWordを使っていますが、stoneは余計なものが目に入ってこないからシンプルで使いやすいなと思いました。一方で書き手としては、例えば原稿用紙400字を書き上げて次のページに切り替わったりすると「よし、また1ページ書き切ったぞ!」という喜びがあるんですよね。stoneは基本的にページの切り替わりがなく延々と書けてしまうので、書き心地としての滑らかさはある反面、そういった喜びが味わえないなとも思いました。集中力の問題でいえば、どうなんでしょう。僕はカフェで執筆するときはスマホを持たないことがよくあるんです。スマホを家に置き去りにして、執筆環境をオフラインの状態にするということをよくやっています。stoneのように余計なものを持ち込まず、外界と断絶して文章を書くという環境は、僕にとっては理想的ではあるんですよね。それとも逆に、スマホや外部環境の存在すら意識できなくなるくらい、機能がごちゃごちゃに溢れ返ってるエディターソフトとかどうですかね。スリープ状態になると書いていた文字が1秒に1文字ずつ消えていく、絶対に手が離せないエディターソフト。結構良さそうじゃないですか?(笑)NDCさん、ぜひ開発お願いします。もし売れたら僕にもマージンくださいね。
BOOK SELECTION上出遼平さんが影響を受けた3冊
『パリ・ロンドン放浪記』ジョージ・オーウェル(岩波文庫)
著者が路上生活者としてパリとロンドンで過ごし、虐げられている人間や、不幸が重なって地に落ちた人間の心理状態を自らの肉体で体験したルポタージュ文学です。この体験が、のちの彼の代表作となる『1984年』という驚異的なディストピアSF小説に結実しているのですが、自分の肉体で経験して得た世界観をもとにフィクションをつくるその姿勢は、まさに僕の憧れであり理想です。
『印度放浪』藤原新也(朝日文庫)
旅の面白さや死生観ももちろんですが、何より藤原新也さんの書く文章にすごく影響を受けています。さらに言えば、本が物としてかっこいいんですよ。威圧感がありながら、旅に持ち出したくなる軽さなんですよね。「やっぱり本と文章ってかっこいいな」と思わせてくれる一冊です。
『不道徳教育講座』三島由紀夫(角川文庫)
「これが正しい」と教育されてきたことに対して、「そうじゃないかもしれない」と疑ってみることを教えてくれた、僕にとって教科書のような一冊です。今のものづくりにとても影響しています。