今日も生きてる

発掘「女子とオタク-満身創痍のクロニクル-」

文化系トークラジオLife、2012/10/28「うれしはずかし文化的初体験」の回にて投稿する際、以前やっていたテキストサイトで下記のようなページがあったのを思い出したのでサルベージ。
文化系トークラジオ Life: 2012/10/28「うれしはずかし文化的初体験」 アーカイブ


*わたくしの人生を女子とオタクという観点で振り返ります。

  • 小学生以下編
    • 〜5歳未満

:観音像がすき。レンジャーものと教育テレビをみてました。一人で秘密基地をつくってました。 -人生を300点配分として、オタクとして150点、いち人間として150点、女子として0点

    • 6歳〜

:聖闘士星矢(集英社・車田正美)に夢中になる。6歳離れた姉の少女漫画を読み始める(なかよし・りぼん)。 週間少年ジャンプを少しづつ意識しはじめる。-オタク200点、人100点、女子0点

    • 7歳〜8歳

:ファミコンマリオブラザーズ独裁。聖闘士星矢から転じてギリシア神話にくわしくなる。 4時間ぶっつづけで話される星座トークは、長距離のドライブには重宝されるが、それ以外の場合、家族でさえ手に負えない。 初めて読んだまとまった本は十五少年漂流記。 のち、RPGという分野に出会い陶酔。ドラゴンクエスト(エニックス社)を信仰する。 生まれて初めてドラクエの画面を見たのは同級生K林さんの家でした。それを覚えてる位衝撃でした。-オタク250点、人50点、女子0点

    • 9歳〜11歳

:恐るべきすさみ方をしていたクラスに入ってしまう。いじめられっ子になる。人生の最暗黒時代突入。 もう現実の人間との触れ合いなんていーやー状態。総子供総敵。

例外として、園児から小六まで通し9年間同じクラスだったS田Y介くんとは仲がよく、当時はコント番組全盛で、 とんねるずやウッチャンナンチャンなどのネタについて盛り上がってたのを覚えています。

ゲームのやりすぎで人生で初めて一時的に眼が悪くなる。 エニックスを信仰するあまり、エニックス社の出す漫画雑誌は全て読む。特に月刊少年ガンガン、Gファンタジー愛読。 南国少年パプワくん(柴田あみ)にもっとも傾倒し、本誌からパプワくんだけを切り取ったスクラップブックをつくる。 しかしエニックス社の栄光はスーパーファミコン・ファイナルファンタジー4(以下FF・スクエア社)との出会いによって、 その独断場は討ち砕かれ、わたしとゲームは大航海時代に突入。つまり色々やり始めた。 丸勝スーパーファミコン誌を購読、のちにこの雑誌は廃刊されたため、電撃スーパーファミコン誌を買っていた。 名作リスト:ウルティマ6、イーハトーヴォ物語、イース

ジャンプしばしば立ち読み。

Jリーグ開幕、JEFユナイテッド市原、元ドイツ代表ピエール・リトバルスキーが大好きで、サッカークラブに入る。小六まで続ける。

フジテレビ・ウゴウゴルーガを見るためにたぶん人生で最初で最後であろう、毎日6時起き。

姉、そろそろなかよし・りぼんを卒業し、少女コミックへ移行。 コバルト文庫(少女漫画のストーリーをそのまま小説化したような趣)も読み始める。従って私も同じものを読む。

星の王子様(サン・テグジュペリ)を読みながら初めての夜なべ読書。 よく読んでた作者・作品群で思いだせるのはロアルド・ダール、ミスブランカの冒険シリーズ。

この小学生時代に読んで忘れられない本が一つあって、 「アムステルダムの犬」(いしいしんじ著)である。小学校の図書館で読んで、最近(19になって) 改めて古本屋で購入したのだけど、絵本調の上っ面とは真っ向逆にオランダにいってドラッグをきめた 話などが出てくる。まぎれこんでしまったのでしょう、小学校の図書館。

他読書面、角川スニーカー文庫や富士見ファンタジア文庫、電撃文庫などのいわゆるファンタジー小説を猛読。 現実との区別つかなくなる(マジ)。季刊スニーカー(小説雑誌)購読。 またその影響でテーブルトークRPGや郵便でするRPGというものの存在をしる。月刊コンプRPG購読。

FFのゲーム音楽の影響で家にあったクラシックのCDを聴き始める。パッフェルベル・モーツァルト。

姉のシドニイ・シェルダンを読み始める。うすうす性交というものの存在に気づき始める。ホモとかフェチとかにも気付き始める。

「MPDサイコ」の成功でいまは知る人も多い大塚英志原作・田島昭宇作画ですが、その初コンビ作品、 まだ絵があんまり巧くなかったころの田島昭宇がみれる「魍魎戦記マダラ」。なんで買い始めたかはなぞ。 何処にも売ってなくて、取り寄せて読んでました。

なんかもう、透明だった。暗黒すぎて命が透明だった。自分に価値もなく。-オタク280点、人20点、女子0点

    • 12歳

:担任が変わってクラス激変改善。小学校入ってほぼ初めての友だちが出来る。なんて幸福。 なに!?人生たのしいなこりゃ、死にたくねーなー、と思う。はじめて思う。

たまたま出先で買った月刊ASUKA(竹宮恵子が天馬の血族を連載しているとこ)と季刊CAIN(もう廃刊・当時でも相当渋い) という少女漫画誌購入をきっかけに、姉に関係なく初めて自主的に少女漫画を買い始める。CLAMPとかはまりました。

声優に夢中。ラジオドラマに熱中。ふつーに「私もなりたい」と思って練習とかしてた。 声優の舞台挨拶見るために朝5時から並んで映画みにいったりした。ちなみにみにいったのは三石琴乃(エヴァンゲリオンのミサトさん)。

ウゴウゴルーガが終了し、代わりに当時空前の豪華メンバー、 遊◎機械の高泉淳子扮する山田のぼるくん(セットで海田およぐ教授という人形キャラクターもいましたが、この人はどなたか知りません)、 安室奈美恵、鈴木蘭々、ピエール瀧(電気グルーブ)、BOSE(スチャダラパー)がメインアクトをつとめるポンキッキーズ(notポンッキッキ) を毎日見始める。今でも6時間まるまる一本ポンキッキーズというビデオを私は持っています。この番組は渡辺貞夫は出るは小沢健二は出るは、 音楽には矢野顕子、斎藤和義が楽曲を提供するなどえらい事になってました。

そこで私がひっかったのは、BOSEもといスチャダラパー。初めて自分のお金でCD屋さんにいって買ったCDが「スチャダラパー外伝」で、 二番目に買ったCDが前述のアルバムに入っていた「今夜はブギーバック」(スチャダラパー+小沢健二)つながりで小沢健二の「LIFE」。

TV。伝説のコント番組「夢であえたら」(清水みちこ、YOU、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンほか)放映。 電波少年、ガキの使い、放送開始。

球技は全体的に好きなので、サッカーの他にもバスケを1年間やる。ていうかスラムダンク大流行り。 -オタク200点、人100点、女子0点

***

本はなんでも買ってくれる家庭でした。それと3時間ぐらい連続で立ち読みもできました。 12年間いちども女子目覚めず。性欲とか自意識とかはあり。 それでいいのか!?ワタシ!中学生編に続く。

    • 今でも好きなもの

ジャンプ、ゲーム全般、リトバルスキー、球技、ウゴウゴルーガ、6割の少女漫画、マダラ、星の王子様、 三石琴乃さん、スチャダラパー、小沢健二。

    • 今でも楽しめそうなもの

聖闘士星矢、マリオ、ギリシア神話、ガンガン他エニックス社少年誌、ファンタジー小説、 ポンキッキーズ。

  • 中学生編
    • 中学1年〜

そのときも引き続き私には友だちがいた!

小学生の時異常貯蓄化で、お年玉や日々のお小遣いを貯めた貯金が 最高額25万くらいあった私はこれから (小学生のときの声優・ゲーム・アニメなどから継続して) あくなき消費=オタク道をつっぱしる。

洋画熱爆発。映画誌を三誌ぐらい買ってマイスクラップブック作ってた。 大流行がくる直前のブラッド・ピットや、スティーブン・ドーフ、 レイフ・ファインズ。ふつーに色男がすきでした。とくにブラッド・ピット熱はアホで、 テープに映画の声を録音して手軽に聞けるようにしたり(捨てた)、 肖像画2枚くらい描いてました(捨てた)。ファン活動をしないまでも、 ブラッド・ピットは今でもかっこいいと思います。 今でも現役で好きなのがゲイリー・オールドマン。リュック・ベッソン監督の映画、 「レオン」で麻薬中毒のいかれた捜査官をやっていた人です。レオンのメインキャストは全員いかすね。

なんとなく、CMでかかってた曲より、STING(外タレ)にはまる。初横浜アリーナ体験。 学校の先生をそそのかしてライブビデオを視聴覚室でダビングさせたり。

体育会系ばかりやっていたから今度は文系でも、というそれだけの浅はかな理由で 演劇部に入る。今の私を知っている人にはご存知の通り、 これはのちの人生を大いに左右する出来事でもある。

引き続きファンタジー小説はぼこぼこ読んでいて、日本からアメリカに引っ越すときに 「もう5年以上読んでないし、なにより本だなにあるのがはずかちーし、整理するのも面倒くさい」 との理由でそのほとんどを捨ててしまったが、今更になって 「あんなに夢中になって読んでいたからあれはどれくらい面白かったんだろうか」と 再読してみたくなっている。思い出せる作者群: 冴木忍、深沢美潮、前田珠子、グループSNE(水野良、友野詳、山本弘、高井信など)、中村うさぎ、藤本ひとみ、折原みと、 田中芳樹、ひかわ玲子、久美沙織

中学1年のキーパーソンはこの人!だと思う、Aくんという3年生の友だちがいて、 ありがちに私は「先輩すき」の方にはいかなかったが、ヒトとしててはとても好きで、 卒業するまでべったりなついていた。ちなみに、わたしは「なつく」という関係が大好きだ。 彼はわたしにスピッツのベストカセットを作ってくれる。 また彼の友だちでブルーハーツがすきなKくんという人がいて、彼から彼等を知る。 その時に私が作ったブルーハーツベストカセットは7年後、Kくんの顔がまったく思い出せなくなった 今でもがんがん現役で聴いているので、ふしぎなものである。

Aくんのおかげで面子がそろった私は運命の 「ロッキン・オン・ジャパン」1996年4月号を手にする。 ご近所区立砧図書館には何故か、「ロッキン・オン・ジャパン」が毎号入っていて、 それは私が音楽雑誌を初めて手に取った瞬間であった。 なぜ手に取ったか。オザケンが満面の笑みで表紙だったからだ。そしてスピッツが第二特集。 そのとき件のAくんがスピッツやオザケン(つまり彼は高音男声ヴォーカルが好きだった。 そして私もその趣向をトレースすることとなる)を 盛り上げてくれなければ、そんなに早く「ロッキン・オン・ジャパン」にはたどり着かなかったであろう。

私はその「ロッキン・オン・ジャパン」を隅から隅まで読み尽くし、虜になり、それから1998年あたりまで毎号かかさず 買い続ける。マイフェイバリット編集者は鹿野淳さん(当時副編、現まだやってればBUZZ誌の編集長)。 その後は言わずもがな、コーネリアス、ホフディラン、Tokyo NO.1 SOUL SET、UA、奥田民生、スガシカオ、 ピロウズ、真心ブラザーズ・・・言い上げるのに切りがない。 CD屋のおっちゃんがお得意さんとして販促グッズをたくさんくれるようになるまでには時間はかからなかった。 街角のCD屋では取り寄せざるをえないCDばかり買っていたのだ。

特に熱中したのがTomovsky(大木知之exカステラ)とピーズ(つまりは大木温之-はるゆき-)の大木兄弟と、 神森徹也。はるさんは違うけれど、わたしは当時のことばでいうヘタウマ系に激ヨワでした。 がりがりヘロヘロ高音の男子大好きでした。かくして初めていったライブハウスでのライブはTomovsky。 ただでさえ童顔だった中1の私はルッキンライク小学生IN夜の下北CLUBCUE。もちろんめちゃくちゃ怖い思い出です。

演劇部の先輩・当時22歳には「なんであんたがナゴム知ってるの」と怖がられ。

この演劇部の先輩というのがのちにつめきり(残念ながら2005年に解散) を立ち上げる三谷麻里子さんで、私はこの人にまんまとはまり「巨匠」と呼んでは怒られてました。 そして彼女の客演で出た舞台が、私の初めてみたお芝居です。

あくまでサブカルの申し子のような生活をおくる中1、12−13歳。
そこに甘酸っぱいものはあったんですか?と知ってても私本人がききたいですね。
あったんです。ありすぎてます、ありすぎてました。
私は発情していました。
ほんとに、記憶を消したいくらい惚れっぽかった。というか、だから惚れたんじゃなくて 発情していたんでしょう。きれいな言葉でいえば「あこがれ」、うそ、そんな綺麗じゃなくて 発情。まだ好きな人に1番とか2番とかあった時の話です。許して下さい、中学生だし。

そしてちゃんと、服を自分で買いにいくようになりました。女子ですね。ああ女子ですとも。 友だちだっていましたとも、夏には花火だってしましたとも!

ところが中学生。そりゃ小学生にもそういうのはあったんだろうけど、 もう私は社会性ナッシンだったので逆に問題なかった小学生時。しかし中学。 私は決まった誰かとお弁当食べるとか、そういうコドモ社会性ゼロ。 グループとかつくれない子だった。だからクラスで友だちは作れなくて、 それでずいぶんさみしい思いはしました。 教室の外を出れば、小学校からの持ち上がり連中と、部活の子と、学校内で偶然知り合った友だち (前述のAくんなど)がいたので、花火はできたし、映画もみれたわけです。 ミスドにもマックにもいけました。交換日記だって出来ました。でもクラスでは寝てるか本読んでるかでした。 さむかったなぁ教室内。

      • オタク130点、人100点、女子70点
    • 中学2年

おうちがWOWOW衛星放送をとっていたので、それで放映されていた シティボーイズにくびったけ。 でもチケットが相当とれないので書斎派に甘んじる。

学校の図書館にあったいとうせいこうの「ノーライフキング」を読んで頭がぱかっとわれる。 同図書館には宮沢章夫さんの本なんかもあって、今でもあのへんのおっさんたちは 尊敬しています。

ジャンプを毎週買い始める。しかも捨てない。

稲中卓球部全巻購入。わたしの聖書となる。一時は読みこみすぎて台詞をソラで言えた。

FF7に全力投球。学校をさぼってプレイ、クラス中みんなやってたので一種の競争が生まれる。 男子よりも進むの早くて、総プレイ時間を逆算され、さぼってやってたことがばれた。 エアリス(登場人物)が死ぬシーンで泣かされる。 死ぬことは知っていたので、そのへんから進めたくなくなり、 たらたらしてたらがんがん周りに追い越される。無事3回くらいクリアしたけれど、 エアリスに対する愛は永遠に。

前述のつめきり旗揚げ。すっかりお芝居の虜の私はつめきりや、つめきりと同じく学校の先輩やべめぐみさんが旗揚げしたカブ(残念ながら結成8年目、2002年9月で解散)や富岡晃一郎さんが客演した阿佐ヶ谷スパイダース などの劇団から、目をつけた役者の客演をつたってがんがん芝居をみに行くようになる。 演劇が盛んな早稲田大学の学内に公演を観にいって怖い目にあったりする(なにしろ中坊IN大学一人歩き)。 他にもわたしの入っていた演劇部にはおもろい先輩がたくさんいて、その極みは かのミッチー(及川光博)だったりする。及川さんはほんとにおもろかった。

人生の内で一番洋服なり雑貨なり、つまりは普通の女子的お買い物に興味を持っていたのは この時期で、原宿とかセールとか行ってました。もうセールなんて体力も興味もなくていけませんね。 雑誌読んで服買ったりとかも、まず高いし、店なんて探さないし、って感じです、今は。

ライブは何かしら毎月行っていた。

そしてもちろん、エヴァンゲリオン。わたしは大流行がきてから、 間をおいてはまる再放送タイプの人間なので、ビデオではまりました。 劇場版はリアルタイムに間に合ったのですが、「自分の何かを賭ける」ようなはまり方は してなかったので、別にラストで庵野監督に怒ったりすることはありませんでした。

エヴァンゲリオンなんかよりもっとはまったアニメが 「少女革命ウテナ」です。 コテコテの少女まんが絵と設定が邪魔して、このアニメを楽しめない人を わたしは哀れむくらい、超おもろい。超すき。

      • オタク100点、人70点、女子130点
    • 中学3年-神がついたような当たり年-

発情もここまでゆき実を結ぶ。つまり彼氏ができた。 しかし、中学生。ばかでした。半年ももたず解散。 大したこともせず、エロいことだけややして解散。 彼の誕生日に私があげたトレインスポッティングのサントラは、 中3にはどうだったんでしょうか?聞いてみたい。

その男子とエエかんじになるきっかけにもなったのが、 中3の春、修学旅行だったのですが、なにが「も」かと言うと、 同じクラスで友だちができたことです。
そう、中1からこのかた私はグループというものが作れずに、 女子としては大変困難なお教室生活を送っていました。
でも、私は別に小鼻を膨らませて、「お子ちゃまの相手なんかしてらんないわ」 とかありがちに山田詠美のような女入ってたわけではなく、 ふつーにみんなと仲良くしてーと心で叫びながら、 その3年間(クラス替えなし)みんなをただ「見て」きたわけです。
しかし奇跡は起こりました。
その修学旅行中、わたしは神が憑いたようにぼけていたのです。
もっと具体的にいうと、こけていたのです。
足を、つまずかせる、というあの「こける」です。
ある一晩、クラスでもかなりいい娘さんたち(なにしろ見てたからね!) だった二人と部屋を共にしたときのこと、わたしは信じられないくらい 何をするにもこけました。まあ、二人は笑うよ、そら笑う。そしてなんか、 私は天然ちゃんみたいな、なにやっても皆うけてくれるいい場所、 特等席ゲットですよ。卒業するときの寄せ書きとか見ても 「Eがあの日どんなにこけたか忘れられない」とか書いてあった位こけた。 神様ありがとう。
それからは卒業に向けてのセンチメンタルもあって、みなさんとごんごん仲良くなりまして、 授業中寝たり本読んだりするかわりに、お喋りしたり手紙回したり、トランプやったりしてました。 お弁当ひとつにしても、クラスの誰とでも一緒に食べれるほんとうにええポジションをゲット。 幸せでした。

よのなか的にもいわゆる第四世代(爆笑問題とかネプチューンとか)お笑いブーム。 わたしもがっちり乗らせて頂きました。ボキャ天はクラスの話題の花でした。 そんで知人が出ていた縁で、今は無き渋谷公園通り劇場の吉本若手公演 (1回500円!)に足しげく通いました。ガレッジセール(当時かけだし)や千原兄弟(もう売れてた)もみれたしね。

まんがを全巻持ってきてロッカーに置いて、クラス中に回し読みさせる、 というなんとも素晴らしい流行りが訪れて、「ジョジョの奇妙な冒険」や「ロトの紋章」 「アウターゾーン」「寄生獣」などを一気に全巻読みさせて頂く。

      • オタク50点、人130点、女子140点(充実してたので300点オーバー)

この中3の点数で思いましたが、私の人生はこれより300点を超えていきます。
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このオタク(と女子)クロニクルは、作業としてまとめて自分のこーいうのを見たかったことや、 色んな人に色んな過去を説明するのがめんどいことや、 こんな人間の半生をみて、笑ったり笑えなかったりする誰かがいるのだろう (そしてそれは私にとって笑えることだ)ということ で 立ち上げたものの、別に発表しなくたっていいもの度が高いので、 「いーのかな?」と不安ながらに書きました。 しかし知らない人からは「きっと今もよのなかには、 平気に女子ヅラして歩きながら結構オタクな過去を持ってる人とかいるんじゃないか」 という想像が膨らんでたのしい(しかも多分真実だ)、てな感想とか、 直球で心配する知り合いもいたりして、おもろかったので続きを書くことにしました。