「夢スタ」のオープンと山田卓也の復帰 FC今治の今後を占う2つのトピックス
新事務所で感じた「岡田武史以前」へのリスペクト
新しいオフィスについて語るFC今治の岡田武史オーナー。移転の理由は「生産性の改善」とのこと 【宇都宮徹壱】
「前の事務所が手狭だったのと、仕事の生産性を改善したいという思いもあって、引っ越そうと思っていたんです。そうしたら、ある老夫婦から『われわれもトシなので街中に引っ越します。岡田さんがここを使ってくれるのでしたら、固定資産税分だけ払っていただければいいですよ』と。でも、僕1人で住むにはあまりにも広すぎる。そうしたら、ふと『事務所にしたらどうだろう』というアイデアが浮かんでね。それで(建築家の)伊東豊雄さんに若い建築士を派遣してもらって、500万円くらいで改修してもらいました」
玄関の引き戸をガラガラと開けると、額縁に入ったユニホームが客人を迎えてくれる。そのうちのひとつ、黄色地にブルーのラインが入ったユニホームに思わず見入ってしまった。胸に漢字の縦文字で「今越」というネームが入っている。間違いない、FC今治の前身である今越FCのユニフォームだ。ちなみに「いまこし」ではなく「いまお」と読む。こんなことを知っている人は、今の今治のサポーターのなかで、どれだけいるだろう。
FC今治が2014年、元日本代表監督の岡田氏をオーナーに迎えたことで、クラブを巡る状況が激変したことは紛れもない事実だ。しかしそのルーツをたどれば、1976年に設立された大西SCが起点であり、そこから今越FC、愛媛FCしまなみとクラブ名を変更し、FC今治となったのは岡田体制の2年前に当たる12年のこと。どうもFC今治の歴史は、岡田オーナー体制となった14年を起点として語られることが多いが(もちろん無理もない話であるが)、実はクラブの歴史はその38年前から始まっていたのである。
事務所を移転したことで、クラブスタッフの生産性がどれだけ向上したのか。移転から4カ月しか経っていない今、判断するのは難しいだろう。それでも新事務所を初めて訪れてみて、日本家屋の落ち着いたたたずまい、そして「岡田武史以前」の歴史をきちんとリスペクトする姿勢に、私はひそやかな感銘を覚えた次第である。
サッカーファン以外を呼び込むための「フットボールパーク構想」
夢スタこけら落としのテーマは「集客」。「フットボールパーク構想」実現に向けての努力が続く 【宇都宮徹壱】
「チケットの売り上げでなく、集客。単に売り上げなら、会社さんに買ってもらうことはできるけれど、きちっとスタンドを埋めることが大事。それはJ3に上がるためでもあるし、それ以上にスポーツビジネスの原点として、スタジアムを満員にしないとね。大都会なら1%の人口を集めれば、それでOKかもしれない。でも地方でそれは無理ですよ」
四国リーグ時代に利用していた、桜井海浜ふれあい広場サッカー場には、多い時で2000人以上の観客を集めていた。しかし岡田オーナーいわく「その中でサッカーが目当ての人が何人いるか。おそらく半分以下でしょうね」。では、大多数の「サッカーが目当てでない人」にもスタジアムに来てもらうためには何が必要なのか。ここで岡田オーナーが提唱しているのが「フットボールパーク構想」である。
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では、具体的にどんな構想なのだろうか。夢スタのコンセプトは「海賊船」。もともとクラブには、「村上水軍の末裔(まつえい)が大海原(=世界)に打って出る」というコンセプトがあった。そこからイメージを発展させて、スタッフが着る海賊のコスチュームや海賊ダンスの振り付けを、オフィシャルパートナーであるLDHに発注したそうだ。他にもさまざまなアイデアがあると、岡田オーナーは楽しそうに語る。
「キックオフ前にはEXILEのUSAさんが登場し、ハーフタイムにはお笑いタレントの友近さんが登場してくれます。試合終了後のイオンモールのステージでは僕もトークショーに出演します。それ以外にも、子供たちのための小さなプールも作るし、フードコートもある。キックオフの演出も、いろいろ考えていますよ。狼煙(のろし)の中からドローンが現れて、キックオフのボールを運んでくるとかね(笑)。そうしたらウチのスタッフが『岡田さん、調べたら狼煙は高いです』って言うから、『ばか、お前らが発煙筒を炊けばいいんだ』って(笑)」
果たして夢スタのキックオフ直前に、本当に発煙筒が炊かれるのだろうか。それは当日のお楽しみとしておくことにしよう。