庶民から遠い存在になったマラカナン=経済格差が生んだブラジルサッカーの現状
ビックマッチがリオで開催されないわけ
モダンなスタジアムに生まれ変わったマラカナン。昔ながらのブラジルサッカーらしさは失われてしまった 【Getty Images】
7月6日のフラメンゴ対クリチーバ、7日のボタフォゴ対フルミネンセを観戦しようと計画していたが、それはかなわなかった。前者はリオから遠くブラジリアで、後者はさらに遠くレシフェで開催されたのである。
ボタフォゴ対フルミネンセはリオのダービーマッチだったが、テレビの実況が“クラシコ・カリオカ”という言葉を使うたびに、「レシフェの試合で何が“クラシコ・カリオカ”だよ」と僕の気持ちはやさぐれていた。前半25分ぐらいで食事をたいらげてしまったので、ハーフタイムになると僕はレストランを出てホテルへ戻った。レセプションの男がかなり暇そうにしていたので、「なぜボタフォゴ対フルミネンセというビッグゲームがリオじゃなく、レシフェで行われるんだ。知ってたら教えてほしい」と尋ねてみた。
「俺はフルミネンセのサポーターなんだ。ほら」とレセプションの男は言って、受付けのデスクの死角に置かれたテレビを指差した。その映像が、後半のキックオフの笛が鳴ったことを告げていた。
「この試合がリオで行われない理由はひとつ。金の問題だ。リオのクラブはマラカナンのオーナーとスタジアムの使用料で揉めてるんだ」
そういえばブラジル全国選手権のスケジュールを調べていると、常にリオのチームのホームマッチだけ開催地とスタジアムが『a definir(未定)』と記されていた。
マラカナンのオーナーとはコンプレッソ・マラカナン・エントレニメント(CME)という企業だ。そのCMEとリオのクラブは入場料の配分、スタジアム内の飲食代や駐車場代の取り分、さらに試合開催の経費の負担で揉め続けていた上、リオサッカー連盟に対する上納金も決着がつかず、(コンフェデ杯)が終わっても激しい交渉を行っていたのだ。
「また、リオにはほかにサッカー場がないんだ。バスコ・ダ・ガマのサン・ジャヌアリオだけは小さな試合ならできるかもしれない。しかし、フラメンゴのガベアはクラブの規模に比べて収容人員が少な過ぎる。ボタフォゴやフルミネンセが借りていたオリンピコ・ジョアン・アベランジェは欠陥が見つかって、今は閉鎖されている」
4万7000人収容のオリンピコ・ジョアン・アベランジェは2007年に開場した新しいスタジアムで、16年のリオ五輪の陸上会場に予定されているが、屋根に不具合が見つかったとのことで使用不可能の状態に陥っている。
80年代に経験した“本当のマラカナン”
「俺は今のマラカナンは好きじゃない。お前は“本当のマラカナン”を見たんだよ」(レセプションの男)
当時のマラカナンはヨーロッパよりも早く電気磁気式の入場券を採用していたが、低所得者のたまり場のようでもあった。観客はトイレに行かなかった。試合を見ながらビニール袋に小便を入れ、彼らはそれを思いっきり遠くへ放り投げるのだ。その被害者にならないためにも、僕は巨大スタジアム、マラカナンのなるべく高い場所に行って座らないといけなかった。
一番、安い席は一階席だった。そこはピッチから一番近い席だったがオバール状の立ち見席になっていて、しかも傾斜がとても緩く、試合が見づらい場所だった。また、ピッチに危険な物を投げ込む危ない連中が集まる場でもあった。けんかも起こった。すると巨大な放水車が現れ、水を巻きながら一階席を一周した。観客が逃げ始めることによって騒ぎは静まった。それを僕は、三階席の中段辺りから笑いながら眺めていた。
日曜のナイトゲームは試合が終わった後、帰る際に泣きたくなった。当時、リオのメトロは日曜日に運休していたため、マラカナンへの足はバスだけだった。しかし、マラカナンの周辺はちょっと危険な地域だったから、夜遅く、暗くなってから、バスを待つのはとても心細かった――そんな近代スタジアムとは程遠いいくつかの体験が僕にとってのマラカナンであり、ホテルのレセプションが言う“本当のマラカナン”だった。