日本とブラジルサッカーの関係はいつから始まった? 1967年パルメイラスとネルソン吉村の衝撃
連載第28回
サッカー観戦7000試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」
なんと現場観戦7000試合を超えるサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。
今回は日本サッカーに多大な影響を与えている、ブラジルサッカーと日本の関係について。1967年に初来日したパルメイラスの衝撃と、JSLヤンマーでプレーしたネルソン吉村(吉村大志郎)の活躍を伝えます。
1967年に日本へ来たネルソン吉村(右)。ヤンマーで釜本邦茂(左)とともに活躍した photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る
【今季J1得点王はブラジル人のアンデルソン・ロペス】
2024年のJ1リーグ得点王は24ゴールを決めたアンデルソン・ロペス(横浜F・マリノス)に決まった。2季連続の受賞だ。
優勝したヴィッセル神戸ではMVPも獲得した武藤嘉紀がチーム内最多得点者だったが、ゴール数は13でランキング9位にとどまった。神戸では武藤のほか、大迫勇也と宮代大聖がともに11ゴールずつを決めている。つまり、前線の"3本の矢"が万遍なく得点しているのだ。
そして、リーグ最多得点(72)という攻撃力で準優勝したサンフレッチェ広島では、最多得点の加藤陸次樹は得点数が一桁の9ゴールで20位タイだった。広島はひとりの選手に頼ることなく、多くの選手が点を取るチームなのだ。もっとも、大橋祐紀(現・ブラックバーン)は移籍前の22試合で11点を決めているから、そのまま広島にいたら得点王争いに顔を出していたかもしれないが......。
それに対して、横浜FMは攻撃面では前線の3人のブラジル人への依存度が高く、とくにフィニッシュはA・ロペスに委ねられていた。
4位に入ったガンバ大阪と13位の浦和レッズはともに総得点数が49だったが、宇佐美貴史とチアゴ・サンタナはそれぞれ12ゴールずつを決めている。つまり、彼らはチーム得点のほぼ4分の1を決めているわけだ。
さらに、川崎フロンターレの山田新は日本人最高の19ゴールを決めたが、これはチーム総得点66の約3分の1。同じく19ゴールを決めたジャーメイン良に至っては、ジュビロ磐田の総得点数(47)のなんと約40%を決めている。
今シーズンの得点王争いで上位に顔を出したのは低迷したチームの選手ばかりということになる。ただし、昨年は優勝した神戸の大迫が得点王(A・ロペスと同時受賞)だったから、これは今シーズンだけの現象なのかもしれないが......。
さて、1993年に開幕したJリーグは2024年で開幕から32年となった。その間、昨年のように2選手が同時受賞した年が6度あるから、これまでJ1リーグ得点王はのべ38人を数えることになる。
1 / 4
著者プロフィール
後藤健生 (ごとう・たけお)
1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2022年12月に生涯観戦試合数は7000試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。