ライバル→チームメイト→スタッフとして。榎下陽大が語る斎藤佑樹「野球の神様が味方についていた」
現役最後のマウンド──2021年10月17日、斎藤佑樹は札幌ドームで行なわれたオリックス戦にリリーフとして登板、1番の福田周平と対峙した。7球を投じた斎藤は福田をフォアボールで歩かせ、交代。バッターひとりだけと決められていた最後のマウンドを終えた。試合後にはセレモニーが行なわれ、挨拶に立った背番号1は「斎藤は『持っている』と言われたこともありました。でも、本当に持っていたら、いい成績を残して、こんなにケガもしなかったはずです。ファンのみなさんを含めて、僕が持っているのは、最高の仲間です。長い間、本当にありがとうございました」と静かに語りかけた。
斎藤が「持っている仲間」。
そのひとりが、高校時代に甲子園で投げ合い、大学卒業後に同じ年のドラフトで指名され、ファイターズのチームメイトとしてともに過ごした榎下陽大だ。
2006年8月19日、夏の甲子園、準決勝。斎藤は鹿児島工を相手に被安打3、無四球、13奪三振というつけ入るスキを与えないピッチングを披露し、完封した。駒大苫小牧と引き分け再試合を含む2試合にわたった決勝での死闘を演じる直前のことだ。
あの夏、県立として53年ぶりに鹿児島から甲子園へ初出場を果たした鹿児島工は、勢いに乗ってベスト4まで勝ち上がってきた。その原動力が甲子園で調子を上げたエースの榎下だった。榎下はその後、九州産業大学を経て、斎藤と同じ2010年秋のドラフトで、ファイターズから4位で指名され、プロ入りを果たす。榎下は7年間で35試合に登板、通算2勝1敗の数字を残し、2017年限りでユニフォームを脱いだ。現在はファイターズのチーム統轄本部国際グループに所属する榎下が、現役を引退する斎藤について話してくれた。
高校時代は甲子園で戦ったことがある榎下陽大氏(写真左)と斎藤佑樹この記事に関連する写真を見る 僕ら88年世代が"佑ちゃん世代" "ハンカチ世代"と言われて、僕もこんなふうに注目してもらえたのは斎藤のおかげです。僕がプロに行けたのは、斎藤がいたからです。
甲子園で斎藤のボールを間近で見て、こういうボールを投げる人がプロになるんだなと思いました。でも大学時代になんとか食らいついて、斎藤に刺激を受けたおかげで僕もプロに評価してもらえるまでになった。引退を決めた斎藤から「ありがとう」という言葉をもらったので、僕も「お疲れ様。ありがとう」と返しました。握手をして......それだけでしたが、長いつき合いですからそれですべてをわかり合える感じがしました。
1 / 5