Arteで「カプリコン・1」という映画を視聴。
SFかと思ったらむしろ政治サスペンスで、1977年というまだアナログ時代の実写が主ということで、にもかかわらず評判がいい。アポロの月面着陸の「やらせ」も陰謀論ではよく話題になるが、なるほど、使命感に満ちて訓練をしてきた宇宙飛行士にそんな演技をさせるなどリスキーなことをしたら「消す」以外の回収方法はなくなるかも。
そういう意味で、「アポロ月面着陸やらせ説」が実質不可能だと分かるかも。「画面」の真偽だけの問題ではないのだ。
はじめはNASAも協力したという英米合作映画だというのも興味深いし、しかも英米に先駆けて日本では公開されたというのもいろいろ想像を掻き立てられる。
思えば、半世紀以上前の月面着陸からテクノロジーはあまりにも進歩している。
今ならあらゆる形でのフェイク画像だって可能かもしれない。
この映画は、子供の頃に月面到着を見て憧れた主人公が16年かけて火星到着に挑戦したという設定だ。
でも、1977年の映画では電話もコインを入れる公衆電話や、NASAでさえダイヤル電話。
そして火星への有人飛行はまだ達成されていない、というか、AIがすべて見てくれて更新してくれるのなら有人って意味があるのか、とさえ思ってしまう。
ストーリーの展開はリアリティに欠けるのだけれど、そこはほとんどマンガが原作ですか、とでも思えばいいので、素直に楽しめる。アメリカって広いなあ、というのが単純な感想。ヨーロッパでは成立しない。
そして「政治」と「予算」、「科学」との組み合わせは、「純粋な冒険心をもとに刻苦を重ねる」タイプのヒーローたちとは真逆にあるということの「普遍的?」真実。
主人公とジャーナリストを追う二台のヘリコプターが悪の権化に見えてくるので結末はすかっとする。
この後の顛末を想像したいと思わせる終わり方が秀逸だ。
NASAや砂漠や政治の現場、ヒーローの家庭など、それぞれ乖離した場面がモザイク状なのも気にならなかったし、むしろ飽きなかった。すなおに楽しめた。