ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン代表 志村真介氏・季世恵氏インタビュー
(2019/01/17更新)
グループで真っ暗な空間に入り、視覚障がい者の案内のもと行われるユニークな企業研修があるのをご存知でしょうか。ドイツで生まれた「ダイアログ・イン・ザ・ダーク(以下、DID)」という活動の一環で、暗闇の中でチームとなった仲間たちと対話し、ともに様々な体験を楽しむことで、コミュニケーションの大切さや人の温かさを思い出すためのソーシャルエンターテイメントコンテンツを、企業向けにアレンジしたプログラムです。
DIDを日本で立ち上げ、夫婦で運営している志村真介氏と志村季世恵氏に、不定期開催のイベントから始まり、企業として継続して活動できるようになるまでのストーリーを伺いました。
ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン代表。広告代理店やマーケティング・コンサルタントを経て、1999年に日本でDIDを始める。2009年に東京でDIDの常設展を開設、以降普及活動に専念している。著書に『暗闇から世界が変わる ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンの挑戦 』(講談社現代新書)。
ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ代表理事。バースセラピスト。DIDの運営に携わる傍ら、セラピストとしてカウンセリングや末期ガン患者のターミナル・ケアを行う。『さよならの先』(講談社文庫)、『いのちのバトン』(講談社文庫)など著書も多数。
単発のイベントから、常設のエンターテイメントになるまで
季世恵さん:DIDの活動自体は1988年にドイツで生まれ、まずヨーロッパに広がっていきました。日本で始めたきっかけは、代表の真介が、DIDの発案者が主催した「暗闇の中で行う展示会」がヨーロッパで大流行している、という新聞記事を見たことでした。
欧州は目に見えるモノに価値を置く日本の消費社会の先を行っている、しかもそのエンターテイメントをリードするのは弱者であるはずの視覚障害者であるということに驚いたと同時に、日本にもDIDは必ず必要となると思ったそうです。
ただ、当時日本は視覚障がい者が活躍できる社会とは程遠く、障害者と健常者がともに働く環境がほとんどなかったこともあり、セラピストだった私に活動開始の意見を求めてきたんです。それがきっかけとなり、私も立ち上げメンバーの一人となりました。
真介氏:最初に発案者の哲学博士アンドレアス・ハイネッケ氏に連絡を取って開催の許可をもらったのですが、開催には「照度0の漆黒の暗闇を作ること」、「参加者はグループで入ること」、「案内人が視覚障がい者であること」という3つの条件がありました。照度0の闇は、たとえ1週間その空間に入ったとしても、ぼんやりとすら何も見えてこないくらい完全な暗闇で、日本ではまず消防法などの関係から作ることが難しかった。そのほかにも視覚障害者とともに働くという環境作りなど、いろいろとクリアすべき点があり、実現まで5年くらいかかりました。
季世恵さん:第1回は東京ビッグサイトでの開催だったんですが、脳科学者の茂木健一郎さんや当時リクルートに在籍していた藤原和博さんなど著名な方々が興味を持ってくださって、初開催の時点で一気に話題が広がったんです。
しかし、当時私たちはそれぞれ仕事を持っていて、海外でのDIDのように大きなスポンサーもなかったので、この活動が本業となることは考えていませんでした。最初の数年は「こんな活動をやってますよ」という文化祭のようなイベントとしてやってたんです。
その後、多くの方からの力添えもいただき、2日間だけのイベントだったものが2、3か月の期間開催できるようになりました。この時も1・2日でチケットが売り切れるくらい盛況でした。
ところが、イベントが成功すればするほど、開催期間が終わりに近づくにつれ、案内役の視覚障がい者のスタッフがだんだん暗く悲しい顔になっていくんです。なぜかというと、彼らはDIDの開催期間中、スターのような存在になって、多くの参加者から感謝や賞賛を受けますが、イベントが終わると弱者として扱われる毎日に戻るんです。「DIDが終わると活躍できる場がない。馬車がカボチャに、ドレスがボロボロの服に戻ってしまう、シンデレラみたいだ」と言った方もいました。
そんな仲間たちの声を聞いて、「短期開催のままではよくない。目が見えない人たちとともに継続的に働ける場が必要だ」と思い、常設の会場を設けることを決意しました。リーマンショックの影響で決まっていたスポンサーが立ち消えになったりと困難もありましたが、現在ダイアローグ・ジャパン・ソサエティの理事を務めてくださってるVisaの安渕聖司社長をはじめ、支援してくださる方々との出会いも通じて諦めずに挑戦を続け、今の形になったんです。
季世恵さん:安渕さんとは、「社会イノベーター公志園」という、世の中に必要なイノベーティブな活動をしている人と、様々な企業のトップの方々とを繋ぐ場でお会いしました。知り合ってすぐにDIDに参加してくださり、「これは日本に広めるべきだ!!」とおっしゃってくださって。
安渕さんをはじめ、支援してくださる方々は、皆さん一個人として対等にかかわってくださいます。DIDが、体験した方に本当に良いものだと思っていただけるプログラムであるからこそ、こうして輪を広げることができたのではないかと思います。
真介氏:通常は会社の名前や肩書が中心で関わることが多いですよね。それがDIDでは、“安渕さん”という一個人になって参加してくれる。これが、ソーシャルな活動としてのDIDの良いところだと思います。
視覚障がい者にとって、生活の不安のない雇用を
真介氏:私たちは「目が見える人も、目が見えない人も、時給を同じにしよう」と決めています。DIDを福祉イベントにすれば国からの補助は得られるけれど、一方で、視覚障がい者スタッフの給与が下がってしまうかもしれないから別の道を探そう、いつもお客さんで満員と限らない時には、どのような手立てを施すべきだろうか、など、当たり前のことではありますが、ダイアログを支える全員が生活の心配なく働けるよう給与を払い続けられる運営方法を彼らと一緒に考えました。
ドイツ本部にも相談したところ、継続した集客を実現するために「企業研修という形を導入してはどうか」とアドバイスを受けました。本部から人を招き、専門的な知識を身につける厳しい研修を経て企業研修を始めることができました。BtoC(企業が一般消費者向けに提供するサービス)とBtoB(企業が企業に対して提供するサービス)が両方できる暗闇になったんです。
季世恵さん:日本は、ドイツ本部から新しいプログラムを作ることを特別に許可されているため、災害時を想定した暗闇の中で行う「エマージェンシーワークショップ」、対話をメインにした「Relational Edutainment(関係回復)」を日本オリジナルで構築し、提供しています。
特にエマージェンシーワークショップは、緊急・非常事態でのチームビルディングやレジリエンス、あるいは防災意識向上に重きを置いたワークですが、開発の最中に東日本大震災が起きたこともあり、今現在でも高いニーズがあります。
これまでBtoCの体験を通して、「人間っていいな」という人のあたたかさをや五感の豊かさを感じてもらうことが多かったのですが、それを企業研修向けにアレンジすると、チームビルディングやコミュニケーション、多様性の尊重など、経営に必要な要素を短時間で学べるプログラムになると分かったんです。
普段仕事をする中で生まれる立場や上下関係も、暗闇に入ると無くなります。暗闇の中ではお互いが助け合わないと先に進めないので、役割や普段の関係もフェアになるんです。実際にプログラムを受けた後で、参加者の仕事の生産性や職務への適応を示す指標である「情動知能」が向上したという結果も出ています。
真介氏:10年20年前までは一部の人が知る人ぞ知るツールだったパソコンが世界に普及したのは、ビジネスで不可欠なツールになったからですよね。
同じように、DIDのようなプロジェクトを社会のインフラにするためには、ビジネスの領域でもこの活動が役に立つんだ、不可欠なのだという認知を広げることが必要です。ソーシャルなサービスとして継続可能な事業を目指す我々と、ビジネスやイノベーションのためにDIDを活用しようと考えている企業が、両輪となり社会にインパクトを起こすことができるといいですね。
季世恵さん:自分たちが支援されているという一方通行の状態ではやはり上手く行かなくて、お互いが必要としあってこそ両輪だと思うんです。ビジネスワークは、働く方たちに良い効果を生み、実際に企業の業績向上につながっているという結果があって初めてWin-Winの関係になれるんですね。そういった意味では、我々も年々効果を実感しています。
お互いが必要としあってこそ両輪
創業時に大切なことはそんなに多くない
季世恵さん:今はBtoBをメインに活動しているんですが、2019年にBtoCを再開します。2020年にはDIDだけではなく、静寂の環境下で聴覚障害者が案内をして音の無い世界を楽しむ「ダイアログ・イン・サイレンス」、70歳以上の高齢者とともに歳を重ねることの豊かさを感じる「ダイアログ・ウィズ・タイム」の3つを体験できる「対話のミュージアム」をオープンするため準備を進めています。
真介氏:何も心配することなく、その人が、創業時に見えた景色を信じて進めばいいと思います。
創業っていうのは前例のないことだろうし、そんなことをやってどうなるんだと周りから言われると思うんですけど、創業者だけに見えている景色があると思うんですよね。それを信じてやっていればそのうちに仲間が集まってくるだろうから、仲間と同じ景色を見ていけばいいんじゃないかな。
季世恵さん:私はセラピストとして死を前にした方々のケアにも携わってきましたが、死が近づいた人は皆さん「幸せはとてもシンプルなものだ」っておっしゃるんです。
元気なうちは誰かと比較したり、自分の幸不幸を他者が決めていたけど、本当の幸せは好きなものを好きと言ったり、大切にしたい人を大切にするなど、シンプルなことだと気づいたと。同時に、「もし全盛期の自分がこのことに気づいていたら良かったのに」と話す人も多いです。
創業する人たちも、ほかの人と比較する必要はなくて、大切なことはそんなにいっぱいないから、自分がやるべきことを信じて邁進していけばいいと伝えたいです。これが、命をかけて生きた人たちから私が教わったことです。
(取材協力:ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン/志村真介、志村季世恵)
(編集:創業手帳編集部)