高齢化が進む社会で、対話と言語化から「いい塩梅」の意思決定を探る
「誰もが生前・死後の尊厳を保つための持続可能な身じまい・意思決定とその支援」のプロジェクト代表である沢村香苗研究員に、向き合う社会課題や関心をもったきっかけ、そしてプロジェクトへの思いを聞きました。
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高齢期に誰を頼れるのかが問われる時代に
戦後の日本は、医療の発達や生活保障の充実により、長く生きられる社会を実現しました。また、日本国憲法では幸福追求権、つまり個人が自由に幸せを追求する権利が保障されています。「幸せを追求する」というとなんだか大げさな感じがしますが、行きたい場所に行く、好きな髪形にするなど、私たちが日々の暮らしでやっていることの積み重ねのことだと思っています。少なくとも健康な間は個人の自己決定が尊重され、ある程度自由に生きることができる人も、前の世代に比べると増えました。
一方で、問題も出てきています。高齢期になると、自分自身でやりたいことを実現できず、他人の力を借りなければならない場面がどうしても出てきます。長く生きられる社会だからこそ、他人を頼る期間も長くなります。これまでの日本の高齢者は、家族をはじめとする周囲の人たちに支援してもらいながら生活し、最期を迎えることが一般的でした。ところが近年、家族がいない、もしくはいたとしても頼ることができないいわゆる「おひとりさま」と言われる高齢者が増えています。今の日本では、家族がいない高齢者を支える仕組みがまだ整っていません。家族がいても、家族を支える親族や地域の力が減っているので、負担が重くなりすぎてしまいます。
今後ますます高齢化が進み、おひとりさま高齢者も増えてくるというマクロの変化は社会的に認識されています。しかしその変化の中で、社会が高齢者をどう支えて対応していけばよいのか、具体的に見えていないのが現状です。
誰もが高齢期を安心して過ごせる社会とは
私はこれまで日本総研で、身元保証サービス(高齢者等終身サポートサービス)やおひとりさま高齢者について調査を行ってきました。入院や介護施設への入所にあたり、身元引受人として氏名や緊急連絡先を書いてくれる家族がいないと、医療・介護サービスが受けられない場合があります。こうした場面で、家族を代行する形で身元保証を行うのが身元保証サービスです。おひとりさま高齢者が増加し、身元保証サービスへのニーズが高まっている反面、トラブルも多いと言われています。
実態を調査する中で、家族の有無という、自分ひとりではコントロールできない要素によって人生が大きく左右されるのは不公平ではないかと考えるようになりました。家族がいてもいなくても、高齢期を安心して過ごせる仕組みづくりが必要だと思います。そういった仕組みに基づいて社会や個人が動いていくためには、まずはゴールのイメージを明確にすることが必要です。これまでの活動では、現在発生している課題を把握し、その課題にどう対応していくかを考えることが中心でした。しかし、より長期的な視点で社会や価値観の変化を捉え、将来の社会のあり方を考えたいと思い、倫理学を専門とされている児玉先生とのプロジェクトを立ち上げることになりました。
小さな幸せを全うして、最期を迎えるための対話と言語化
私自身、高齢になっても、できれば好きなように暮らしたいです。一方で、何から何まで自分で決めるのは今でも大変で、誰かがうまく決めてくれたらなと感じることも多くあります。あと、自分だけでなく、周りの人が幸せであることも大事です。誰もが「いい塩梅」で意思決定をしながら、小さな幸せを全うして最期を迎えられたらいいなと思っています。
そのためには、これまで実態調査などで高齢者の方々とお話してきた経験から、言語化がポイントになると考えています。医療行為を受ける際の意向や普段の生活を送るうえでの希望など、「どうしたいですか?」と聞いてすぐに答えられる方は多くありません。特に死については、考えようとしない方もいらっしゃいます。死を考え、また受け入れるきっかけとして、話すというプロセスはとても大事です。SMBC京大スタジオのプロジェクトでは、いろいろな立場の方との対話を重ねることで、高齢期の意思決定支援に関して、社会としての「いい塩梅」をみんなで見つけていきたいと思います。