しゅーとめも・わんもあせいっ

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攻殻機動隊は「いい加減」だからこそ名作

草薙素子とはどんな人間だったのか─原作素子とSAC素子の差異 : 戦争だ。90年代に戻してやる。を読んで。


 たぶん、士郎正宗はそこまで考えてない。
 攻殻機動隊はバックボーンとディティールに関しては士郎正宗作品たる相も変わらぬ緻密さ、を持っているのは間違いありません。
 しかし、そこに生きるキャラクターに関してはそれまでの作品とは一線を画す薄っぺらさがあります。
 例えば、公安9課。一番緻密な設定を有するのはトグサです。と言っても、元警察で素子がスカウト、妻帯者くらいしか原作でも触れてませんが。あとは荒巻課長の人脈絡みな過去が何度か出るくらいで、他の9課メンバーは経歴一切不詳。何故に素子が“少佐”と呼ばれてるのか、すらわからないままです。
 「たぶん、考えてない」は素子の言動にも現れています。特殊任務ゆえ超法規的措置な裁量を独断で行ってる部分(犯罪者の殺害・暗殺や企業・組織の電脳への侵入)とごっちゃになって読み飛ばしがちですが、素子自身がどこぞの邪神曰く「バレなきゃ犯罪じゃないんですよ」な存在です。義体は違法なモノやたらと組み込んでるし、私的に法を逸脱することもしばしば。
 ざっくり言ってしまえば、攻殻機動隊はドラマを描きたいものではなく、世界観を描きたい。公安9課や草薙素子などのキャラクターはそのための添え物、と考えるほうが適切なのです。


 このへんの事情は、「単行本になる前」を知らないことには話が進まないでしょう。
 攻殻機動隊の初出は、ヤングマガジン海賊版1989年5月号とあります。この海賊版と銘打った雑誌、これは形式上は不定期発行のヤンマガの別冊で、新人の本誌への登竜門的ポジションのほぼ季刊で発行されてる雑誌でした。
 士郎正宗自身、この頃はアップルシードとドミニオンによってSF系ニューウェーブの筆頭と呼ぶべき座についた存在ではありましたが、事実上新人扱いでこの漫画に挑む事となりました。
 不定期刊行物でしたので、様々な制約がありました。この雑誌は巻末に次号発売予定日が記されていませんでした。○月(上旬・下旬)発売くらいは書いてあったはずですが。細かい発売予定は近々のヤンマガ本誌で発表、というスタイルですね。
 そのため単行本読んでも気づきますが、1話完結の読みきりスタイルです。



なるほど犯罪は蔓延っている。戦災孤児に強制労働が課せられ、洗脳まで施されています。しかし、SAC世界と大きく異なるのは、一部の黒幕の個人的利益のために犯罪が行われているのではなく、広く社会に容認された上で犯罪が行われているということです
つまり、原作世界には犯罪に黒幕が存在しません。


 と言うより、「話が短くて黒幕を用意できる分量ではなかった」に過ぎません。



強いてあげれば社会全体が黒幕であり、人類社会の抱える必然的な歪みとして犯罪が現出するわけです。


 前出の「世界観を描きたい」だけ、というのもここに引っかかってきます。



直感がそう言ってるからです。

また、SACの素子と原作素子の最大の違いもここにあります。

常に理性的に最善の手を採り続けるSAC素子。

基本的には理性的に行動するが、時に「直感」で動く原作素子。


 も根底は同じ。短編で終わらすためには最良ルートを最短で突っ切らないとならない。そのために本来考慮しなきゃならないこと必要とする思慮する場面、これらを全部すっ飛ばし正解をひた走るためのマジックワードが「ゴーストの囁き」なのです。


 そして、このご都合主義を過度なディテールで覆い隠してことこそが、士郎正宗最大の傑作扱いとなり20年続くコンテンツとなった原動力にほかなりません。
 それが狙ったものなのかは今となっては判らない、とするのが正解でしょう。ただ、設定ガチガチにしたため、世界情勢が作者の想像を超えて変わってしまったので続編が書けずに終結宣言してしまったアップルシードという前例を持つことも考えると、意図的な可能性も否定できないのですが。
 いい感じに設定が歯抜けになっていて、時流やトレンドに合わせて追加したり解釈を変えることで変貌できる。それが攻殻機動隊の本質なんです。
 ガンダムや仮面ライダー(特に平成ライダー)プリキュアやエヴァなんて長期コンテンツがあり、○○さえ守ってくれればブランドイメージを崩さない、あとは好きにやってくれ。(そうとう語弊含む)で、やっていけてるのとだいたい同じ構造であると言えます。


 「SACは認めねー、押井版は認めねー」なんていうのは、「Gガンは認めねー、SEED系は認めねー」っていうのと大差ない。
 それがこの論議の結論、だとオイラは思ってます。