5号館を出て

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遺伝子導入によって作られたクローン性万能細胞

 昨日、各紙で大々的に報道されたのでご覧になった方も多いと思いますが、京都大学の研究者がマウスの尾からとった皮膚(繊維芽)細胞に4つの遺伝子を導入して、どんな細胞にでもなれる未分化な細胞へと誘導することに成功したとのことです。

 アイディア自体は大学生でも思いつくようなもので、哺乳類の胚を壊して取り出したどんなものにでも分化できる幹細胞(ES細胞)で働いている遺伝子を、分化した皮膚の細胞に導入したのです。ES細胞で働いている代表的な遺伝子は24あるようなのですが、それを全部入れたのではなく(おそらく、そうした試みをやった研究者はたくさんいるはずです)そのうちから特定の4つを入れたものがそういう性質を持つことがわかったというところがすごい発見です。

 まだ本当にES細胞と同じ細胞になったというところまで詳しく調べていないのかもしれませんが、マウスの皮下に注射するといろいろな種類の細胞を含んだがん(奇形腫というものです:ブラックジャックのピノコの元になったもの)ができたということと、他のマウスの初期胚に入れるとその胚からマウスが作られるときに、からだのいろいろな部分を作るのに参加したというものです。

 このようなエポックメーキングな論文に、たったふたりの研究者の名前しか載っていないというのは非常に素晴らしいと思います。ひとりは教授の山中さんで、もうひとりは特任助手(時限つきの助手)の高橋さんという方ですから、普通に考えるとほとんどの仕事は高橋さんがなさったと思われます。すごいことだと思います。

 しかし、もとの論文を読むと、この細胞を皮下に移植したらがん(tumor)ができたと書いてあるのに、上述の朝日の記事では「消化管のような構造と、神経組織、軟骨組織が生じた」と書いてあります。

 この記事全体を流れる雰囲気が、将来の医療ということにつながることを強調しているので、がんという言葉を避けたのでしょうか。私としてはいらない気遣いだと感じました。

 それはさておき、遺伝子を導入したということから、遺伝子治療と同じ危険性をはらんでいるために、この技術はそのまま医療には使えないことは明らかで、論文でも遺伝子導入ではなく、細胞を遺伝子が作るタンパク質で処理してやることで、未分化な状態に戻すことのできる可能性が示唆されたというふうに結論されています。

 この研究は、基礎生物学的にもとても意義のあるものなので、特に医療に直結させなくても十分に大きく扱って欲しいものです。

 そういう意味で、新聞記者の科学技術リテラシーをもうちょっと磨いていかなければならないことを感じさせられる記事でもありました。
Commented by GORO at 2006-08-12 17:51 x
>新聞記者の科学技術リテラシーを
>もうちょっと磨いていかなければならないことを感じさせられる

このことは我々土木の業界でも良く感じることです。
例えば、土砂崩れと地すべりは機構的に全く違うものなのですが、マスコミで報道される内容を聞く限り、これらの用語が混同されているようです。

両者は対策のしかたも異なるため、現場で、とりわけ地元住民の間で誤解が生じやすく、これは改善しなければいかんなぁ、と思っていたものです。

一方、私は1型糖尿病の患者でインスリンを打っていますが、ES細胞の話は糖尿病治療の新技術としても注目されているようです。1型糖尿病は、インスリンを分泌する膵臓のベータ細胞が破壊されて発症するものですが、この細胞を再生できれば完治も可能となり、実現すれば夢のような話です。ぜひ実用化にこぎ着けて欲しいものですね。
Commented by マルセル at 2006-08-13 00:41 x
> 新聞記者の科学技術リテラシー

つうか単純な国語力の問題かと...
ところで旭川の動物園の評判がいいようですが
実際のところどうなんでしょう?
Commented by ヨシダヒロコ at 2006-08-13 09:54 x
>stochinaiさん、

そのニュースはぼんやりですが聞いていました。生物学的にどう意味があるのかお聞きしたいです。あと、ES細胞の卵子提供について指針が出たようですね。

>マルセルさん、

一般的に、新聞記者で理工系を出ている方にはあまりお目にかかったことがないような気がします。文章読めば分かりますし。科学面も扱い小さいですよね。理工系出身者でこのことに腹を立てている人はかなりいると思います。

わたしには国語力の問題とは思えません。

旭川の話は場違いですので、個人的にはよそでなさったほうがコメントがつくと思われます。いかがでしょうか。

>ここからは誰となく。これはリテラシー以前の問題かも。

よりによって病院の待合室で、はっきり書かせていただくと読売の「医療ルネサンス」をたまたまめくったところ、ひどいフラッシュバックを起こしたことがありました。

ショックを受けた写真とは、精神科患者さんのずたずたに切れた腕に薬をこんもりともらせたものでした。バックナンバーは読売のサイトにありますが、写真は見事になくなっています。

患者さん自身がサイトにこのような写真をアップする場合でも、一言断るのが普通なのですが。
Commented by stochinai at 2006-08-13 22:06
 こういう、医療に革命を起こす可能性を秘めたような研究の場合、新聞記者は科学的正確さを犠牲にしてでもセンセーショナルな記事にしたがるものです。本来ならば、専門的知識を不断に吸収し続けている専門記者がいてくれると良いのですが、専門的正確性を重視するとどうしてもジャーナリズム的インパクトが弱くなりがちなことと、それより新聞社にそんなにいろいろな分野の「専門家」がいないこともあるのでしょう、こんな記事になることが多いと思います。
Commented by stochinai at 2006-08-13 22:06
 問題はGOROさんがおっしゃるように、一般市民の間に誤解を植え付けるところです。今回の記事だと、明日にでも再生医療への応用が可能になるかのような印象を与えかねません。過大な期待は地道で時間のかかる基礎研究に必ずしも良い影響を与えません。それどころか、応用につながらない部分の研究が冷遇される結果、いろいろなことが良くわからないまま治療へ応用するようにという圧力が研究者にかかることすらあります。医療へ応用される可能性がある研究ほどより精密な基礎研究が必要だと思います。拙速な応用をして予期せぬ副作用に見舞われ停滞を余儀なくされた(ている?)遺伝子治療などたくさんの前例があります。
 マスコミができないのなら、やはり科学技術コミュニケーターのような人材がその「穴」を補っていくべきだと思っています。
Commented by stochinai at 2006-08-13 22:07
 今回の発見は、動物の受精卵という1個の細胞が生体のあらゆる細胞を生み出すことができるのに、どうして発生が進むとそういう能力がなくなっていくのか、という発生学の最大の問題の一つに答を与えるという意味で大きな意味があると思っています。そうしたことがわかると、人の手で「逆発生」をコントロールできることになるかもしれず、それが可能になると自分の細胞を使って、どんな細胞でも作り直せるということにつながる可能性があるというわけです。意味は大きいですが、応用まではまだまだ長い道のりがあると思います。
Commented by stochinai at 2006-08-13 22:07
 旭川の旭山動物園については、「ある意味で」事実上日本一になったと言っても良さそうですよ。>マルセルさん
Commented by nanashi at 2006-08-14 01:45 x
自分の経験を踏まえてこのような記事を読むと、こういう記事が書かれて理由が判るような気がします。

記者のリテラシーが足りないということも有るかもしれません。
専門性が足りないというのも有るかもしれません。
けれども、取材前(実験前)の予断(仮説)と実態(実験結果)に乖離があったときの態度がジャーナリストと科学者では全く異なるという印象を持ちます。

つねづね予め用意した結論に合う事実だけを都合良く抜き出して「コラージュ」して記事が作られているのではないかと思っていたところに、私のところに取材にいらっしゃった記者さん方の手法がまさにそうであったために、ジャーナリズムという崇高だと思っていたものに対して幻滅を憶えたことが何度もあります。
単にセンセーショナルに書くために事実の一部に注目しないのであれば、まだ救われます。
Commented by nanashi(つづき) at 2006-08-14 01:46 x
ジャーナリストにとっての事実・現実と、科学者にとっての事実・現実の重みは異なるのではないか。
そこに不遜さはないか。

ジャーナリズムにはピアレビューの機能が実質的に存在していないことも同様の問題が繰り返される理由でしょうか。

勿論自分が取材を受けた数少ない経験を一般論として語ることは科学的態度ではないので、あくまでボヤキや繰り言にすぎないと自らを戒めつつ、かつ、迷いつつこれを書いているというのが正直なところですが。

科学技術コミュニケーターにはとても期待しています。
Commented by stochinai at 2006-08-14 20:38
 nanashiさん、コメントありがとうございました。実際に「報道被害」に会われた方の言葉は重みが違います。早速、今日の夏期集中演習のなかでnanashiさんのコメントも話題にさせていただきました。CoSTEP特任教員のひとりである元NHKディレクターの話によると、ジャーナリズムにはピアレビューというシステムはないものの、会社ごとのあら探しには熾烈なものがあり、誤報はかなりシビアなたたき合いになるので、慎重にはなるということです。ただし、科学に関してはどこも強い人がいないので、お互いになあなあになっているのかもしれないとのことでした。

 最後のひとこと「科学技術コミュニケーターにはとても期待しています」には、受講生一同感動していたようです(涙)。

 これからもよろしくお願いします。
Commented by nanashi at 2006-08-15 00:04 x
こちらこそありがとうございます。
昨日のコメントは舌足らずだったかもしれませんが、
記者さんの中にも素晴らしい方はいらっしゃいますので、
補足しておきたいと思います。
Commented by nanashi at 2006-08-15 05:50 x
細胞を遺伝子が作るタンパク質で処理してやる

Stem cell superpowers exposed
http://www.nature.com/news/2006/060612/full/060612-8.html
Commented by stochinai at 2006-08-15 14:57
 体細胞を幹細胞化させるカクテルができたら大変な騒ぎになりそうですね。私の感触としては、浸けるだけでどんな細胞も幹細胞化するような夢の単一カクテルというのは考えにくく、分化過程を逆戻しして脱分化させるためには、何段階かのステップが必要な気がしているのですが、どうなのでしょう。
 いずれにしても巨大なお金がからむ話でしょうから、どこの研究室でもなかなか手の内は見せてくれないでしょうが、何が出てくるか非常に楽しみです。
by stochinai | 2006-08-12 16:58 | 生物学 | Comments(13)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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