2009年 11月 25日
飢えた子の前で科学研究は有効か
「飢えた子の前で文学は有効か」
この言葉に初めて接した時に、人が単なる動物としてのヒトではなく、知性を持った人間であることの意味を考えてみろと言われた気がして、「大学生」になったことを実感した記憶があります。
最近ずっと考えているのが、「飢えた子の前で科学研究は有効か」ということです。
事業仕分け人たちがやろうとしていること、あるいは少なくとも建前として言っていることは、貧困国家である日本でその貧困を解決するために、とりあえず税金を使って行う事業のうち、優先順位の低いものを仕分けていくということだと思います。
仕分けられる側が予算を主張するためには、その「論理」に対抗できるだけの「説得力のある理由」が述べられなければなりません。しかも、それがあらかじめ作文されたものではない証拠として、仕分け人と行う真剣勝負のディベートに勝たなければなりません。
全国あるいは全世界にリアルタイムで流されている以上、勝敗の判定を下す審判は視聴者(国民、納税者)ですから、その場で言い負かされたら仕分け人と言えども、引き下がらざるを得ないでしょう。
私が何日か前に書いたエントリー「公開でプレゼン・ディスカッションできる場で敗退した文科省」で、言いたかったのは、そんな願ってもないチャンスをもらっていながら、仕分け人を言い負かすことのできなかった事業予算申請をする文科省側のプレゼンターの問題点でした。
今日の仕分けでは、大学の運営費交付金のところでは、文科省の大学政策(運営費交付金が毎年1%削減されていることとか、COE・GCOEのこととか)に対するつっこみはかなり的確だったと感じられました。大学という教育の場で、選択と集中が本当に良いことなのか、なぜGCOEはCOEの半分の採択数しかないのか、どうして5年で終了するのか、大学教育には連続性が大事ではないのか、なぜ法人化した全国の大学に文科省から天下りがどっと入っていると同人、文科省から出向職員がたくさんいるのはなぜか、などなどの質問に対して文科省の方々はほとんど的確なコメントができなかったと思います。
それにもかかわらず、国立大学法人の運営費交付金は「削減」とはならずに「見直し」という結果でした。これは、先の競争的研究費が削減されたことから見ると、研究費は削減しても教育費は削減しないでおきたいという民主党政権の意向を示しているのかもしれません。枝野さんと蓮舫さんも、国立大学の運営交付金の削減や、天下り官僚の存在は強く非難していたものの、大学教育にはお金をかけなければならないというニュアンスの発言を繰り返していたと思います。中村桂子さん(?)の意見もとても良かったと思います。
それを考えると、今の民主党政権には、大型の研究費は多少削減しても仕方がないが、将来へのつなぎとなる基礎研究は教育と同じように振興しなければならないということは受け入れてもらえる議論かもしれないと感じました。
天下り官僚が文科省からぶんどってくる競争的大型予算ではなく、民間人や地元の住民がはいった新しい大学法人の運営組織が、未来の日本を支える人材と基礎科学を保証するために、大学とそこで行われる多様な研究を維持する。そんなことならば、受け入れてもらえるのかもしれません。
飢えた国民の前でスーパーコンピューターを見せても「いらない」と言われるかもしれませんが、将来の日本を支えるために必要な大学と、それを支える最低限のインフラと教育研究を復活させることにならば、多くの国民は多少の飢えはがまんして賛成してくれる、そのくらいの支持を得られないようなら大学は一回つぶれるしかないでしょう。
ノーベル賞などの受賞者や超有名大学の先生達が、仕分け人を非難したり、民主党を非難したり、マスコミを非難したり、東大法学部を非難したりしても、飢えた国民の共感は得られないのではないか。そんなことを感じている今日この頃です。
この言葉に初めて接した時に、人が単なる動物としてのヒトではなく、知性を持った人間であることの意味を考えてみろと言われた気がして、「大学生」になったことを実感した記憶があります。
最近ずっと考えているのが、「飢えた子の前で科学研究は有効か」ということです。
事業仕分け人たちがやろうとしていること、あるいは少なくとも建前として言っていることは、貧困国家である日本でその貧困を解決するために、とりあえず税金を使って行う事業のうち、優先順位の低いものを仕分けていくということだと思います。
仕分けられる側が予算を主張するためには、その「論理」に対抗できるだけの「説得力のある理由」が述べられなければなりません。しかも、それがあらかじめ作文されたものではない証拠として、仕分け人と行う真剣勝負のディベートに勝たなければなりません。
全国あるいは全世界にリアルタイムで流されている以上、勝敗の判定を下す審判は視聴者(国民、納税者)ですから、その場で言い負かされたら仕分け人と言えども、引き下がらざるを得ないでしょう。
今日の仕分けでは、大学の運営費交付金のところでは、文科省の大学政策(運営費交付金が毎年1%削減されていることとか、COE・GCOEのこととか)に対するつっこみはかなり的確だったと感じられました。大学という教育の場で、選択と集中が本当に良いことなのか、なぜGCOEはCOEの半分の採択数しかないのか、どうして5年で終了するのか、大学教育には連続性が大事ではないのか、なぜ法人化した全国の大学に文科省から天下りがどっと入っていると同人、文科省から出向職員がたくさんいるのはなぜか、などなどの質問に対して文科省の方々はほとんど的確なコメントができなかったと思います。
それにもかかわらず、国立大学法人の運営費交付金は「削減」とはならずに「見直し」という結果でした。これは、先の競争的研究費が削減されたことから見ると、研究費は削減しても教育費は削減しないでおきたいという民主党政権の意向を示しているのかもしれません。枝野さんと蓮舫さんも、国立大学の運営交付金の削減や、天下り官僚の存在は強く非難していたものの、大学教育にはお金をかけなければならないというニュアンスの発言を繰り返していたと思います。中村桂子さん(?)の意見もとても良かったと思います。
それを考えると、今の民主党政権には、大型の研究費は多少削減しても仕方がないが、将来へのつなぎとなる基礎研究は教育と同じように振興しなければならないということは受け入れてもらえる議論かもしれないと感じました。
天下り官僚が文科省からぶんどってくる競争的大型予算ではなく、民間人や地元の住民がはいった新しい大学法人の運営組織が、未来の日本を支える人材と基礎科学を保証するために、大学とそこで行われる多様な研究を維持する。そんなことならば、受け入れてもらえるのかもしれません。
飢えた国民の前でスーパーコンピューターを見せても「いらない」と言われるかもしれませんが、将来の日本を支えるために必要な大学と、それを支える最低限のインフラと教育研究を復活させることにならば、多くの国民は多少の飢えはがまんして賛成してくれる、そのくらいの支持を得られないようなら大学は一回つぶれるしかないでしょう。
ノーベル賞などの受賞者や超有名大学の先生達が、仕分け人を非難したり、民主党を非難したり、マスコミを非難したり、東大法学部を非難したりしても、飢えた国民の共感は得られないのではないか。そんなことを感じている今日この頃です。
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甘すぎ
at 2009-11-26 02:13
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基本的なことですがブログ主の認識の「文科省は政策として運営費交付金を年1%削減している」というのは誤りで、文科省も運営費交付金は増やしたいんじゃないの?そして運営費交付金を増やせないからGCOEとか競争的資金を措置してるんじゃないの?「経済財政運営と構造改革に関する基本方針」を調べてみましょう。
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takezawa_takuma
at 2009-11-26 03:19
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なぜ飢えることと科学研究がバーターになるのか分かりません。本来、天秤に載せられないものを天秤に載せるには必ず政治的な判断が必要です。とりあえず以前書いたものをURLにおいておきます。
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ある
at 2009-11-26 03:43
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>なぜ法人化した全国の大学に文科省から天下りがどっと入っていると>同人、文科省から出向職員がたくさんいるのはなぜか
大学の独立法人化を機に天下り先が他省庁より少ない文部
科学省のもくろみで、無理やり理事とか外部委員とかよくわか
らない役職を大学の独立法人化のどさくさにまぎれて
作らせて、天下りが増えたというのが正確な【事実】でしょう。
独立法人化して自由に改革できるというキャッチコピーだった
はずが、
実際はcoe,gcoeなどの大学格差計画で国に依存しないと
大学がつぶされるということで文科省役人を引き受けざるを得な
かったというのもうわさレベルであります。某大学は天下り
学長まで選んじゃいましたし。そういう意味で大学は"被害者”
じゃないでしょうか?天下りが多い、けしからんから大学補助金
削除はちょっと筋違いな気がします。
大学の独立法人化を機に天下り先が他省庁より少ない文部
科学省のもくろみで、無理やり理事とか外部委員とかよくわか
らない役職を大学の独立法人化のどさくさにまぎれて
作らせて、天下りが増えたというのが正確な【事実】でしょう。
独立法人化して自由に改革できるというキャッチコピーだった
はずが、
実際はcoe,gcoeなどの大学格差計画で国に依存しないと
大学がつぶされるということで文科省役人を引き受けざるを得な
かったというのもうわさレベルであります。某大学は天下り
学長まで選んじゃいましたし。そういう意味で大学は"被害者”
じゃないでしょうか?天下りが多い、けしからんから大学補助金
削除はちょっと筋違いな気がします。
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だーさん
at 2009-11-26 06:50
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>takezawa_takuma
国庫からの出資という観点では同じ天秤に乗せざるをえませんし、
時節の状況で優先度が変わることもやむを得ません。
「研究」は特別で神聖なるものだというその驕りが、この事態を招いてることに気がつかない研究者がいること。それが私そを暗澹たる思いにします。
国庫からの出資という観点では同じ天秤に乗せざるをえませんし、
時節の状況で優先度が変わることもやむを得ません。
「研究」は特別で神聖なるものだというその驕りが、この事態を招いてることに気がつかない研究者がいること。それが私そを暗澹たる思いにします。
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CJ
at 2009-11-26 08:44
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甘過ぎ
at 2009-11-26 09:27
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CJさん
いや、現実として運営費交付金は削減されてきたが、その原因は文科省でなく「経済財政運営と構造改革に関する基本方針」だったり、行政改革の一環であった大学の法人化であったりしたわけで、これらは文科省が発案したわけでなく(財務省の主導だったわけで)そういう対応を余儀なくされてきたということ。
今回も財務省主導(&文科副大臣)で運営費交付金のありかたが事業仕分けに入っている。民主党は高等教育行政に定見がない。むしろ高校無償化を優先し財務省と結託して高等教育にかける金を減らしかねないと危惧しています。
いや、現実として運営費交付金は削減されてきたが、その原因は文科省でなく「経済財政運営と構造改革に関する基本方針」だったり、行政改革の一環であった大学の法人化であったりしたわけで、これらは文科省が発案したわけでなく(財務省の主導だったわけで)そういう対応を余儀なくされてきたということ。
今回も財務省主導(&文科副大臣)で運営費交付金のありかたが事業仕分けに入っている。民主党は高等教育行政に定見がない。むしろ高校無償化を優先し財務省と結託して高等教育にかける金を減らしかねないと危惧しています。
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40代生命科学研究者
at 2009-11-26 11:02
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事業仕分けがめざすところが数年以内の短期的な成果を上げることである、との認識が研究者側に強すぎるように思います。確かにその面はあるのですが、「何をやっているのか、それをわかるように教えて欲しい」といわれているのは論文数や稼いだ特許料のことだけを指しているのではないことは明白です。研究者の側が3年程度のスパンで厳しく成果(=論文数XIF)を求められることに慣れすぎてしまって、100年の単位で長期的な視野で自分の研究がどのような価値を持つのかを考えられないのです。ですから「国家100年の計」が具体的にどういうことなのか「わかるように」説明することが出来ないのも当然だと思います。科学者の側の発想が貧困状態に陥ってしまっているのではないかと思います。
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40代生命科学研究者
at 2009-11-26 11:03
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続きます。
テニュアを持たない若手に課せられているのは年単位での業績(=論文)です。長期的視野で難しいテーマに取り組むことは許されていません。成果が論文という形で出なければ退場で復活はあり得ません。事業仕分け人が科学研究費について言ったこと(だと科学者側が勝手に思っていること)と同じことを若手にも求めているのはとても象徴的なことだと思っています。生活がかかれば99.99%の科学者は目先の安全なテーマを優先します。大局的な観点で言えばこれほどの無駄はありません。
「企業・科学技術開発の研究機関は短期の成果優先、教育機関・基礎科学研究機関は数十年後の将来を見据えた戦略的な運営」というのは当たり前だと思うのですが、当たり前すぎなのか、あるいは科学技術と基礎研究を切り離すことを恐れる人々がいるのか、あまり強調されていないようです。
テニュアを持たない若手に課せられているのは年単位での業績(=論文)です。長期的視野で難しいテーマに取り組むことは許されていません。成果が論文という形で出なければ退場で復活はあり得ません。事業仕分け人が科学研究費について言ったこと(だと科学者側が勝手に思っていること)と同じことを若手にも求めているのはとても象徴的なことだと思っています。生活がかかれば99.99%の科学者は目先の安全なテーマを優先します。大局的な観点で言えばこれほどの無駄はありません。
「企業・科学技術開発の研究機関は短期の成果優先、教育機関・基礎科学研究機関は数十年後の将来を見据えた戦略的な運営」というのは当たり前だと思うのですが、当たり前すぎなのか、あるいは科学技術と基礎研究を切り離すことを恐れる人々がいるのか、あまり強調されていないようです。
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40代生命科学研究者
at 2009-11-26 11:17
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>「研究」は特別で神聖なるものだというその驕り
現状を見ればその通りといわれて仕方ないでしょうが、本来は
「研究は特別で神聖なるもの」で、その担い手である研究者は人類の将来を背負っているという使命感と責任感を誰よりも強く持つエリート
でなければならないはずです。みなさん、その覚悟がありますでしょうか。
現状を見ればその通りといわれて仕方ないでしょうが、本来は
「研究は特別で神聖なるもの」で、その担い手である研究者は人類の将来を背負っているという使命感と責任感を誰よりも強く持つエリート
でなければならないはずです。みなさん、その覚悟がありますでしょうか。
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通りすがり
at 2009-11-26 13:43
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MUTA
at 2009-11-26 14:01
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>「研究は特別で神聖なるもの」で、
>その担い手である研究者は人類の将来を背負っているという使命感と責任感を誰よりも強く持つエリート
おっしゃることはわかりますが、果たして現状そうなっていますかね?
「大学は単なる就職予備校ではないか」なんていう揶揄も聞こえてまいりますが。
>その担い手である研究者は人類の将来を背負っているという使命感と責任感を誰よりも強く持つエリート
おっしゃることはわかりますが、果たして現状そうなっていますかね?
「大学は単なる就職予備校ではないか」なんていう揶揄も聞こえてまいりますが。
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そうかな
at 2009-11-26 16:38
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経験上、論文さえ出れば人のことなんてどうでもいいって研究者多いんじゃないかな。
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bn2islander
at 2009-11-26 20:06
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同意します。
同時に、文部科学省の官僚を非難しても、国民の共感は得られないと思います。なぜなら、今回の問題は文部科学省にすべてを依存してきた、科学コミュニティーにあるからです。
例えば、文部科学省が科研費を牛耳るのはおかしい、という声がありますが、その批判は明らかに間違っています。科学界に研究費を分配する組織がないからです。科学の事は科学界に任せるべきであり、研究費の分配や優先順位は科学界が決めるべきものだとは思いますが、科学コミュニティーが未成熟な段階で、そのような事を言っても笑いものにされるだけですよね。
科研費が使いにくいという声もありますが、それも間違っています。科研費のルール作りを科学界が主導して行った話や、科学研究費のあるべきルールを科学界が作るという動きは聞いたことがありません。
今回の事業仕分けで明らかになったのは、文部科学省の無知無能ではなく、科学以外の事に関する科学者の無知無能ぶりであると思います。文部科学省を非難する前に、科学者の方々が反省するべきでしょうね。
同時に、文部科学省の官僚を非難しても、国民の共感は得られないと思います。なぜなら、今回の問題は文部科学省にすべてを依存してきた、科学コミュニティーにあるからです。
例えば、文部科学省が科研費を牛耳るのはおかしい、という声がありますが、その批判は明らかに間違っています。科学界に研究費を分配する組織がないからです。科学の事は科学界に任せるべきであり、研究費の分配や優先順位は科学界が決めるべきものだとは思いますが、科学コミュニティーが未成熟な段階で、そのような事を言っても笑いものにされるだけですよね。
科研費が使いにくいという声もありますが、それも間違っています。科研費のルール作りを科学界が主導して行った話や、科学研究費のあるべきルールを科学界が作るという動きは聞いたことがありません。
今回の事業仕分けで明らかになったのは、文部科学省の無知無能ではなく、科学以外の事に関する科学者の無知無能ぶりであると思います。文部科学省を非難する前に、科学者の方々が反省するべきでしょうね。
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bn2islander
at 2009-11-26 20:09
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元文科官僚の岡本薫氏が、文科省在職中に、読売新聞紙上で次のような事を仰っておりました。科研費の不正使用を受けてのコメントですが、今回の事業仕分けで問題になったのも、本質は同じですよね。
「不正への抜本対策は、研究費の使用に関するルール作りを研究者コミュニティーに任せ、責任を持たせることだ。日本では政策誘導でない研究でも役人が予算要求や配分、ルール作りまで主導してきた。このため研究者は血税を使う責任感に欠け、ルールを軽視しがちとなる」
「不正への抜本対策は、研究費の使用に関するルール作りを研究者コミュニティーに任せ、責任を持たせることだ。日本では政策誘導でない研究でも役人が予算要求や配分、ルール作りまで主導してきた。このため研究者は血税を使う責任感に欠け、ルールを軽視しがちとなる」
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stochinai at 2009-11-26 20:20
科学者側の責任に関してはまったくおっしゃるとおりだと思います。
科学者と文科省がお互いにもたれ合いながらこの体制を作り上げ、変えることなく維持し続けて今日に至っているので、連帯で責任を負わなくてはならないと思います。
その上で、どうやって新しいシステムを作っていくかが問われていますね。
さて、どこから手をつけていったらよいのか・・・。
科学者と文科省がお互いにもたれ合いながらこの体制を作り上げ、変えることなく維持し続けて今日に至っているので、連帯で責任を負わなくてはならないと思います。
その上で、どうやって新しいシステムを作っていくかが問われていますね。
さて、どこから手をつけていったらよいのか・・・。
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bn2islander
at 2009-11-26 21:22
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>その上で、どうやって新しいシステムを作っていくかが問われていますね。
例えば、文部科学省がなくなった場合、
どのように科学者は行動するのかを考えてはいかがでしょうか
予算請求、配分システムの再構築という事になるかと思いますが
例えば、文部科学省がなくなった場合、
どのように科学者は行動するのかを考えてはいかがでしょうか
予算請求、配分システムの再構築という事になるかと思いますが
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bn2islander
at 2009-11-26 21:24
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abduluzza
at 2010-09-01 02:30
x
人間は動物です。
それ以上でもそれ以下でもない。
いかにアカデミズムとかわめこうか、飢えた人間の前で科学研究は
無意味、と多くの人は判断するでしょう。
無論、虚学が存在すべきだないなんて思いません。自分もそれが好きな人間です。
でも、それが万人に通用するとは思わないほうがいい。
動物としての人間の性の前に、知性だのアカデミズムだの科学だの何だの泣き叫ぼうが無意味。高圧的に権威を振りかざしても無駄。
あくまで科学やアカデミズムは、動物としての人間が生きるための道具、体ではなく用にすぎない。
そのことをわかった上で、学問の魅力や価値を謙虚に丁寧に主張するしか方法はないと思います。
それ以上でもそれ以下でもない。
いかにアカデミズムとかわめこうか、飢えた人間の前で科学研究は
無意味、と多くの人は判断するでしょう。
無論、虚学が存在すべきだないなんて思いません。自分もそれが好きな人間です。
でも、それが万人に通用するとは思わないほうがいい。
動物としての人間の性の前に、知性だのアカデミズムだの科学だの何だの泣き叫ぼうが無意味。高圧的に権威を振りかざしても無駄。
あくまで科学やアカデミズムは、動物としての人間が生きるための道具、体ではなく用にすぎない。
そのことをわかった上で、学問の魅力や価値を謙虚に丁寧に主張するしか方法はないと思います。
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stochinai at 2010-09-01 07:13
私も同じように考えます。
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簡単な話
at 2010-09-02 00:20
x
どうすれば飢えた人を科学で救えるかプレゼンして、実行すればいいだけの話。それができないならお金は削られる。科学者はこんな簡単なことがわからないんでしょうか。
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stochinai at 2010-09-02 06:56
というか、飢えた人を救うことにすぐには結びつかない科学のほうが圧倒的に多いというのが現実なのだと思います。
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簡単な話
at 2010-09-02 09:46
x
すぐには結びつかないという言い訳はなんにでもいえるので、もう通用しません。すぐに結びつかないなら将来結びつける道筋を示せというだけです。
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ふう
at 2010-09-02 13:07
x
科学者でも専門知識を活かせば、某かの事はできるでしょう。
ブログ主先生の様に本を書き、世界中に売りまくる。
研究費が減ったなら、共同研究をすればいい。本当に独創的なテーマでやってる人なんてほんの一握りなんだから。
ブログ主先生の様に本を書き、世界中に売りまくる。
研究費が減ったなら、共同研究をすればいい。本当に独創的なテーマでやってる人なんてほんの一握りなんだから。
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stochinai at 2010-09-02 18:50
「役に立たない科学」の最大の売り文句は「科学体系の構築」と「教育体系の構築」だと思います。いずれも体系があり、一部が欠けることによって、科学や教育そのものが成立しなくなることは、ちょっと考えれば誰でもわかることだと思います。ただ、そういう議論がすんなり受け入れられるかどうかは、我々科学者・教育者が国民をきちんと説得できるかどうかにかかっていると思います。
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ふう
at 2010-09-02 19:25
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そもそも少子化なのに、こんなに国立大学法人が必要なのですか?専門知識を活かす就職先も少なく、その専門知識だって怪しい卒業生も多い。最近の大学院入試の合格レベルを見ると、暗澹とします。
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stochinai at 2010-09-02 20:15
そうですよね。私も少し減らした方が良いとは思います。その時には、私も喜んで引退させてもらいます。
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簡単な話
at 2010-09-03 00:12
x
職業教育や社会教育を拡大すればいいのだと思います
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甘すぎ
at 2010-09-03 16:44
x
stochinaiさんが国立大学法人を減らしたほうが良いと考えているとはちょっと以外です。ではその場合科学界として国立大学法人廃止の原理を考えるとどうなりますかね?
学生のレベル(教育レベルが低い)が低い大学を廃止?
教員の研究レベルが低い大学を廃止?
近隣の国立大学を統廃合?
国立大学は廃止せず学生定員を減らす?(その分教員も?)
国立大学は廃止させずに私大を廃止させる?
文科省にまかせる?
学生のレベル(教育レベルが低い)が低い大学を廃止?
教員の研究レベルが低い大学を廃止?
近隣の国立大学を統廃合?
国立大学は廃止せず学生定員を減らす?(その分教員も?)
国立大学は廃止させずに私大を廃止させる?
文科省にまかせる?
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stochinai at 2010-09-03 21:30
法人の数というより、大学生を減らすべきだと考えています。大学へ行かなくてもきちんとキャリアが形成できる社会を作ることが前提となりますが、大学へ行くことで逆にキャリアが狭まってしまっている人がいることを危惧しています。
教員は減らさずに学生だけを減らすことができると良いと思っていますが、それが極めて難しいということはわかります。
具体的な方策を求められると、かなり苦しいことは認めざるを得ません。
教員は減らさずに学生だけを減らすことができると良いと思っていますが、それが極めて難しいということはわかります。
具体的な方策を求められると、かなり苦しいことは認めざるを得ません。
by stochinai
| 2009-11-25 22:04
| 科学一般
|
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