わかりやすい/わかりにくいの反応


http://d.hatena.ne.jp/yas-toro/20060716/p6
「まだわからない」の魅力をうまく表現しているなあ、と強く頷きました。自分にとって「まだわからない」ものは、ひょっとしたらすごく面白くて素晴らしいものかもしれない…という期待を抱かせてくれます。とはいえ、それは宝くじのようなものなので、期待感よりも(わかるようになる)コストが高すぎるように見えたら魅力が失われる、ということで、その点も忘れないようにしたいですね。


ブクマコメント
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20060716%23p1

2006年07月17日 hashigotan 心理, 哲学, 考! 解ったつもりで「わかりにくい」難解な文章を綴る人も居る。それを「まだわからない」と騙された人々が、永遠に自分の「解らない」部分に迂闊に触れられない状況を築いて安全を確保していたりして。

前回の文章を書いていたときに、「迂闊に触れない」という表現にネガティブな要素が含まれているな、とは思っていましたが、そこに突っ込まれたなあ、という感じです。ただ、そのような「安全」が欲しい人は「安全」を得ていても別に構わない、と自分は思いました。そして、もしそういった人(の語ること)に「触れたい」と思う人がいたとしたなら、その時のリアクションは「評価や優劣の判断や指摘」ではなくて、「わかるためのコストを下げて欲しい」「触れさせて欲しい」という要求、要望ではないのかな、と思います。

2006年07月16日 mind 1sWittgenstein(存在-言語), _InDexing(識別認知), こころざし, てつづき, maturing, モノサシ 「まだわからない」ものというのは評価したり優劣を判断できるものではない ――万人に分り易い簡単な基準で分類を始めていくと、いろいろなケースで不都合が露見する。目的に応じて基準を複雑化。cf.オッカムの剣

よりシンプルな方が優れている、という話ですね(オッカムの剃刀?)。前回自分が書いた「よくわからない」という部分は、互いの目的が食い違っていたり、よく見えなかったりすることが原因なのかな、と思います。そこがズレているとシンプルにしようがない、というか。


http://d.hatena.ne.jp/ittuan/20060717/p1
追加。
これは一番痛いところを付かれたと思いました。多分自分がずっと抱えているこの問題に繋がりそうな。あとこのエントリであるとか。「わかる」というのはとても曖昧なものだというのは常々思っているんだけれども、そのせいで「知る」というところで留まっていることが多い、という感覚とでも言うか。
それでもやはり、曖昧で偏見があるという意識は残しつつも、「わかる」ようになろうという意志と行動は必要だよなあ、と強く思います。ここらへんのバランスがまだまだ足りないな、と日々感じていますがなんとかしていきたいですホント。