「ジェンダーフリー」バッシングとメディアリテラシー(笑)

上記事で加筆キャンペーンを終え、これでしばらくジェンダーフリー問題は扱わないですむぞーとか思っていたら、本日「12%の中学校が男女同室着替え ジェンダーフリー教育調査」なる記事が発表されました。そろそろお腹いっぱいですが、せっかくなので取り扱っておきます。

12%の中学校が男女同室着替え ジェンダーフリー教育調査

 花も恥じらう中学生が同じ部屋で着替え! 県教委が実施した調査によると、「体育の授業や身体測定の際の男女同室での着替え」を行っている中学校は12・7%に上ることが七日、分かった。施設面の問題によるもので、性差を否定するジェンダーフリー教育に基づくものではないとの見解だが、改善を求めてゆく方針だという。

 ジェンダーフリーの蔓延(まんえん)度を調べるため文部科学省が行っている初の実態調査で明らかになった。横浜、川崎の両政令市以外の県立校を調査、小学校低学年では76・7%が同室で着替えをしていた。

 同室で着替えが行われている理由は「空き教室がない」「更衣室があっても教室から遠い」などだった。より問題の度合いが大きいとされるキャンプや修学旅行での男女同室の宿泊を行っている学校はなかった。

 県教委では「男女が同室で着替えるのは好ましいことではない。口に出して言わなくても嫌だと感じている児童・生徒は少なくないはず。更衣室がない場合でも工夫をすれば同じ教室で着替えをしなくて済むので、指導していく」としている。

さて、この記事が出る前日、chikiは次のように書きました。


しかし気になるのは、各質問項目に「理由」を書く欄がないこと。これで男女同室着替えが行われているという実態が明らかになるとして(実際結構そうなるでしょう)、理由が明示されないと、それらがあたかも「ジェンダーフリーの名の下に」行われた「ジェンダーフリー蔓延度」であるかのように恣意的に意味づける力が働きそう。混合着替えなんて、chikiが子どものころからあったわけで。実際に「ジェンダーフリー」のせいで「蔓延」しているならそれを明らかにしてほしいのですが、どうも一連の「手続き」が気になる。

調査票を確認すると、理由を記述させるような欄はありません。それでも自由記述をしたのか、確認調査をしたのかは分かりませんが、記事によると「同室で着替えが行われている理由は「空き教室がない」「更衣室があっても教室から遠い」などの理由が明らかにされているようです。そして、「より問題の度合いが大きいとされるキャンプや修学旅行での男女同室の宿泊を行っている学校はなかった」とのこと。「施設面の問題によるもので、性差を否定するジェンダーフリー教育に基づくものではないとの見解だが」と書かれていますので、理由が明らかになったのはなによりってなもんです。とりあえず、今回明らかになったのは神奈川の例だけで、他の県の結果も待ちたいところ。と同時に、こういう調査がどのような経緯でつくられたものかを忘れず、どういう形で使われていくのかは注視したいところ。



それにしても、やはり産経新聞は引き下がりません。「12%の中学校が男女同室着替え ジェンダーフリー教育調査」という見出しにしたり、「ジェンダーフリーの蔓延(まんえん)度を調べるため文部科学省が行っている初の実態調査」とわざわざ但し書きをしたり。「記識の外」さんが既にお書きになっているように、「ちょっとこの記事での誤魔化しはあまりにも強引で、その必死さに微笑みすら浮かべたくなってしまう」ほど。chikiも「その程度で効果あるの? むしろおとなしい方では」と思ったりしますが、それでも2ちゃんのこのスレやこのスレとかを見ると、バッチリ効果あるみたいです。いや、大半はネタなんだろうけれど、中にはガチでジェンダーフリーのしわざとかいうコメントもある。



この手の話で考えさせられるのは、やはりメディアリテラシーのこと。webに限らず、例えば「朝日はクズで産経はOK」と思うのがリテラシーだと信じている人がいたり、「つくる会の教科書を読んでサヨク教科書の洗脳が解けました」とか「嫌韓流を読んでメディアのウソを知りました」とか書いている人を結構見ます。今まで信じていたものを疑える自分は今までより成長しているという発想なんでしょうが、無防備な信仰の対象をAからBに転移しただけでは本末転倒。人は見たいものを見るから、自分好みの情報を与えてくれるメディアには賞賛を送り、自分に不都合だと偏向だと非難するわけで、むしろそのメディア戦略や意見の分水点を見極めた上で使いこなす力がリテラシーだと思うのだけれども。



それは「ジェンダーフリー」の問題でも同じ。この本に限らず、反ジェンダーフリー言説には「えー、そんなの信じるのっ?」というものが少なくない。いくつかは既に紹介しましたが、今日はせっかくなのでchikiが一番驚いた例を紹介します。みなさん、「な、なんだってー!?」と叫ぶ準備をしてください。



女性専用車両を運行する意味とはなにかといふと「男性敵対思想の宣伝」。これである。
電鉄会社は「女性を痴漢から守るために女性専用車両を導入しました」なんて言ってるが、あれはウソ。
あまり知られてゐない事実だが、女性専用車両のドデッパラには、人間に見えるか見えないやうな薄いペイントで「男=ワル」と大書してあるのだ。そして電車がホームに入ってくるたびに、利用客の脳裏にはテレビのサブリミナル効果のやうに「男=ワル」のイメージが刷り込まれる仕掛けになってゐる。
(…)「女性専用車両」による男=ワルといふ観念の刷り込みが効いてゐるから、痴漢デッチあげによるユスリ・タカリは成功する。
男性敵対思想に冒されてゐるのは女ばかりではない。「痴漢」と聞いただけで条件反射的に「犯人」を取り押さえてしまふ男たちも同じ。彼らは男同士の車内暴力には見て見ぬふりをするくせに、不思議に「痴漢」だけは取り押さえる。女性専用車両のサブリミナル効果は男にも及んでゐるのだ。
千葉展正『男と女の戦争』(p.37〜38、展転社、2004)より

さん、はい。「な、なんだってー!?」



もはや突っ込みません。さすがにここまでくると最低レベルのリテラシーがなくても笑い飛ばせると思うのですが、この本はジェンダーフリーをたたく人に結構人気があるのであなどれない。月並みな感想ですが、やっぱりリテラシーって大切のようです。性教育に関しても、「性に関するリテラシーを身に着ける教育」が大事だと思ってしまうのだけど、それはまた別のお話。



※難しいのは、リテラシーがない人、あるいはそれに付け込む人が重要な決定権をもっていたりすることが少なくないという笑えない状況。