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積読を消化する技術

積読を消化する技術

こんにちは、SSTでWeb脆弱性診断用のツール開発をしている坂本です。

弊社塙が先日公開した記事 読まずに読む!?私の読書法 – SSTバックヤード に触発され、IT技術者として「積読」をどう消化するのか、自分なりの心構えと実践例を紹介したいと思います。
積読が心の重荷となっている人たちにとって、本記事を読むことで少しでも心が軽くなれば幸いです。

この記事を一言にまとめると、「本は読んでも、読まれるな」です。

積読の定義と苦しみ

そもそも積読(つんどく)とは何でしょうか?坂本は「読む予定の本がうず高く積もっている状態、および積み上げられた本そのもの」と考えます。
はてなキーワードにも同様の解説が載っています。( 積読とは 読書の人気・最新記事を集めました – はてな より )

 

買っても机の上などに積んでいるだけで読んでいない本・新聞・雑誌等のこと。積ん読とも表記。

 

IT技術者であれば、プログラミング言語の入門書から始まりアーキテクチャ/ライブラリ/フレームワークの解説書、手法/方法論、などなどたくさんの技術書を買い込み、「積読」に積み上げている方もいるでしょう。

SSTでは業務に関連する技術書であれば会社負担で購入することができます。
稟議書や申請書も不要で、社内Slackやメールなどで、上司に気軽に「この本購入したいです。」とリクエストすればOKです。(もちろん、業務に関連する書籍ということが前提)
また「技術書を買おう!」キャンペーンが過去2回ほど行われており、技術者全員が1冊ずつ、金額の上限はありますが自由に技術書を購入できるイベントがあります。
坂本にとっては楽園のような環境ですが、積読が発生するのも必然と言えるでしょう。

積読が心の重荷に

坂本は一時期、そうした「積読」が心の重荷となってしまった時期がありました。
「読みたい/読まなければならない本が沢山あるのに、読む時間が取れない」という現実に対し、
「積読を消化すれば、自分はもっと成長できる、なのに読めない=>成長できない!=>IT技術者としての自分は終わりだ!」という思い込みとのギャップに徐々に心が疲れていったのです。

積読を見てリアルに吐き気を感じるまで追い詰められたころ、ようやく次のことに気が付きました。
積読そのものが悪いわけではなく、積読に対する心の反応が、心身に悪影響を与えているということです。
つまり対症療法的な読書術(速読など)で積読を消化したとしても、また積読が積み上がれば心の重荷が復活します。

よって取り組むべきは、積読に対してネガティブに反応してしまう心の仕組みだと考えました。
そこで坂本の場合、「”本を読んだ”と納得できる心のハードルを下げる」ことにしました。

これにより、流し読みや適当にパラパラめくるだけで「自分はこの本を読んだ」という納得感を引き出し、それにより積読の消化速度が劇的に向上しました。
同時に、読みづらい本や今の自分では理解しづらい本に対して自分なりの距離感を取れるようになり、悩みが少なくなりました。

これから紹介するのは上記のような坂本個人の経験に基づく、「読んだ気になる/読んだことにする」心構えと若干のテクニックです。
良く言えば「ゆるい」、悪く言えば「不真面目な」内容ですので、合う・合わないがあります。
読み進めてみて「ちょっと自分とは合わないな」と感じたらそこで読むのを止めるのをオススメします。無理してこの記事に付き合う必要はありません。
「こうすれば積読の悩みは解決する」と万人に向けた対処法を紹介するものではなく、坂本個人の場合はこういう工夫をした、という体験談になりますのでご注意ください。

ポイント:

  • 心構えその1:どう読むかは、あなたが好きに決めて良い。
  • 心構えその2:あなたは、悪くない。
  • 心構えその3:技術書との出会いは、やり直せる。
  • テクニック1:読み終わったら感想を書こう!
  • テクニック2:時間の確保

なお本記事は、2017年9月頃に社内で発表した「積読を消化する技術」のLT資料を再構成したものです。

心構えその1:どう読むかは、あなたが好きに決めて良い。

積読に苦しんでいた当時、自分は次のような価値観に支配されていました。

  • 「技術書は買った以上はきちんと全部読んで理解しなければならない。」
  • 「技術書を沢山読み、頭のなかに記憶してすぐ取り出せるのが優れたエンジニアだ。」
  • 「だから積ん読はきちんと全部読んで、一冊一冊手を動かして中身を理解していかないといけない。」

これは入門書や手を動かして学べるタイプ(今でいう「写経」可能な技術書)を読むときなら有効です。
しかし、本の幅が広がってくると上記の価値観では対処できない本との出会いも増えていきます。

そもそも、本には想定読者層というものがあります。
初心者を対象として、読むことで学べる・勉強できる本もあれば、ある程度の経験者を前提とした抽象的な方法論を述べた本もあります。
リファレンスとして使うことを想定した本もあります。
全ての本があらゆる読者にわかりやすく書かれているわけではなく、また先頭から最後まで順に読んでいけば理解できるように書かれているわけでも無いのです。
また、本は人間が書いている以上、どうしても著者の「味」が出てきてしまいます。スッキリ明快で簡潔な文章を書く人もいれば、難しい言い回しと聞き慣れない独自用語を多用する人もいます。
そうした現実に対してどう考えればいいでしょうか?

坂本は「どう読むかは、あなたが好きに決めて良い」と考えることにしました。

そもそも個人/会社で購入した以上は、その本をどう扱おうが購入した個人/会社の自由です。
坂本が目指す制約はただ一つ、「”本を読んだ”と納得できる心のハードルを下げる」ことです。
そのためなら、どの順番で読もうと、飛ばし読みしようと行間まで熟読しようと、どんな読み方でもOK、と考えるようにしました。

例えば読みづらい本 = 読んでて眠くなる本というのがあります。
坂本はどうしたか?
寝る前に読んで、寝付きを良くする睡眠導入剤代わりにしました。
数千円で確実に寝られる、しかも運が良ければ頭に何かしら知識として残る、最高ですよね?

あるいは読んでてもどうにも理解しきれない本があったとします。(古典的な名著など)
坂本はどうしたか?
目次に目を通したあとは、ぱらぱらめくって太字のところだけなんとなく目を通し、ざっと流し読みして「読んだ」ことにしました。

「勉強にならないじゃん!」という声が聞こえてきそうです。

しかし、「本を読んだらその内容を理解し、勉強しなければならない」という価値観こそが自分を苦しめていた鎖でした。
その鎖を破壊するために、坂本はこう考えるようにしました。

「勉強する気にさせない本、読むと眠くなる本を書いた著者と編集者が悪い!私は悪くない!」

これが心構えその2です。

心構えその2:あなたは、悪くない。

本の著者と、読者の関係をどう捉えるか?
様々な考え方がありますが、坂本は「本の著者も、生身の人間であり、絶対の正義ではない」と考えました。
優しい人もいるでしょうし、気難しい人もいるでしょう。技術的には優れているのに、差別主義者という人もいるかもしれません。
本の文章の後ろに、そうした生身の人間がいることに坂本は気づきました。
すると、自然と「私は、悪くなかったんだ」と心が軽くなりました。

それまでは、読んでて眠くなる本/古典的な名著と謳われているのにどうにも読みづらい本を読み進める時、眠くなる自分、理解できない自分の無力感に悩んでいました。
技術書を絶対の正義と考え、それを理解できない自分が無能なのだ、何か問題があるのだ、と考えていたのです。

しかし本の後ろに生身の人間がいるという気づきが、「人と人の問題」という視点を提供してくれました。
本は絶対的な正義ではなく、良いところも悪いところもある生身の人間が後ろにいる。
それならば、読者が一方的に悪いということはなく、本にも問題があると考えて当然です。

そもそもお金を払って購入し、眠気をこらえて本を読もうとしたり理解不能な文書と格闘している時点で、読者として相当の努力を払っています。
にも関わらずその努力が実を結ばないとなれば、読者である私やあなたが悪いわけではなく、そのような本を書いた著者や出版社の力量不足が原因でしょう。

読者である我々は、自分を責める必要など一切ありません。
あなたは、悪くない。
読んでて眠くなる文章、どうにも理解しがたい文章を書いた著者と、編集者・出版社を堂々と非難すれば良いのです。
あるいはそのような本はさっさと読み捨ててしまって、同じテーマでより読みやすく理解しやすい別の本を探せば良いのです。
個人/会社できちんとお金を払って購入した本を読んでいるあなたには、その権利があります。

とはいえ、「古典的な名著」と謳われている本や誰もが絶賛している本でも、眠くなったり理解しがたい場合があります。
そこまでの評判であれば、読んでて得るものがあるはずなのに、なぜか内容が頭に入らない・・・。
そのような場合、坂本はこう考えました。
「技術書との出会いは、やり直せる。今はタイミングが合わなかっただけ。」

これが心構えその3です。

心構えその3:技術書との出会いは、やり直せる。

本の想定読者として、一定の経験や前提知識を要求している場合があります。
そのレベルに達していない人が読むと、内容が抽象的過ぎて理解できない結果となります。
坂本は、そのような場合には「今がその時では無かっただけ」と考え、とりあえずざっと流し読みして済ませるようになりました。

「本との出会いは一期一会、今読んで内容を理解せずに、いつ理解するのか!」と考える人もいるでしょう。
そうした考えを否定するわけではありません。
一期一会だからこそ、「自分は今、この本を読んで理解できるステージに達していない」ことを謙虚に認めたいのです。

坂本の経験上、どれほど解説されても頭に入ってこなかった内容が、数年経ってある日突然理解できるようになった瞬間があります。
それまで蓄積された何かが、頭の中で一気に一つの形に定まり、焦点が合うのです。

本との出会いにもそうした側面があります。
若いときに読んでも今ひとつ理解できなかった内容が、ある程度経験を積むと一気に理解できるようになる、そんな経験があります。
あるいはキャリアの変化により、以前は興味を持てなかった内容でも、今は興味を持って眠くならず読み進められる場合もあります。
仕事の必要に迫られて調べ物をしていく内に、以前読んでもさっぱり理解できなかった本に再び辿り着いて、改めて読み直してみたらスラスラ読み解けたこともあります。

「今」読みづらい本を、適当に流し読みして「読んだこと」にしても、いつかきっと本当に必要な時が来れば、読み直して理解できる。
そうした自信があるのです。
技術書との出会いは、やり直せる。
だから、今理解できない本を、無理して時間をかけて理解しようと焦る必要は無い。
「読んだ」と納得できるハードルを下げて「読んだこと」にして、次の一冊に取り掛かる。
本当に必要な時が来たら、その時にまたやり直そう。

このように考えることで、積読の消化がずっと楽になりました。

ここまでが心構えで、続いてテクニックを2つ紹介します。

テクニック1:読み終わったら感想を書こう!

ここまで「読んだ気になる/読んだことにする」ための心構えを紹介してきましたが、「こんないい加減な読み方で良いのかなぁ・・・」と罪悪感を感じるときもあります。
そこで効果的なのが、感想を書くことです。
寝るために読んだという罪悪感も、なにかしら感想を書けば解消されます(坂本の場合)。
ざっと読み流した本でも、気になったキーワードを数個とりあげ、要約でも良いので自分の言葉で書いてみるとなにかしら残るものがあると思います。

感想を書くところは秘密の日記帳でもブログでも何でも良いと思います。
坂本の場合は個人のブログ記事に載せることが多いです。

内容がほとんど頭に入ってこなくても、なにかしら自分の言葉で整理することで得られるものはあります。
また、あくまでも坂本の場合ですが、書くことで内容を忘れて、頭を次の一冊のために空ける効果もあります。

テクニック2:時間の確保

時間の確保ですが、これは個人のライフスタイルによるところが多いです。
坂本の場合、以下の時間を活用しています。

  • 寝る前(読んでて眠くなる本が最適)
  • 通勤途中(最寄り駅から始発電車があるので、最初から座って読書できる)

子育て中・介護中だとどうしても時間が細切れになると思います。
Kindleなどスマホ・タブレットで読めるようにしておくと、細切れ時間でも少しずつ読み進められるかもしれません。

まとめ

積読が心の重荷となり、「~でなければならない」「~べきだ」で自縄自縛で苦しんでいる。
読むと眠くなる、内容が頭に入らない本で、自分を責めてしまう。
そのような時に、心を軽くして苦しみを取り除いた考え方とテクニックを紹介してきました。

少し言い回しを変えて、まとめます。

  • 「どう読むかは、私が好きに決めて良い。」
  • 「私は、悪くない。」
  • 「縁が “合った” ら、また会おう。」
  • 「読んで、書く。」(坂本の場合、「そして忘れる。」が続く)
  • 「好きな時に読む。好きなように読む。」

読書に対する多様な考え方の、あくまでも一つでしかありませんが、参考になれば幸いです。

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この記事の筆者

筆者:坂本昌彦

坂本昌彦

SSTでWeb脆弱性診断用のツール(スキャンツール)開発をしています。
Twitter: https://twitter.com/msakamoto_sf
GitHub: https://github.com/msakamoto-sf/