“中共が日本軍と戦っていない”説は右翼のいつもの都市伝説ですが、“盧溝橋事件当時に汪・蒋・毛の三つ巴の内戦があった”というのは新説ですね。

日本右翼機関紙のSAPIOです。

中国で抗日戦争を戦ったのは国民党軍 共産党は成果を横取り

NEWS ポストセブン 8月19日(水)7時6分配信
 今年の9月3日、中国共産党は北京で「戦争勝利70周年記念」の式典と軍事パレードを行う。しかし、そもそも中国共産党が日本に勝利したという話自体が嘘なのだ。1937年7月の盧溝橋事件を発端に始まった日中戦争は、中国国内の内戦に日本が干渉する形で始まった。
 当時、中国では、日本が支援していた汪兆銘の南京国民政府と、蒋介石の国民党、毛沢東の共産党が三つ巴の内戦を繰り広げたが、すでに共産党軍は内戦で疲弊し弱体化していた。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150819-00000006-pseven-cn

どこから突っ込もうか悩むくらい酷い。
「1937年7月の盧溝橋事件を発端に始まった日中戦争は、中国国内の内戦に日本が干渉する形で始まった」というのから間違いです。盧溝橋事件の前年1936年の西安事件を機に国共内戦は事実上停止していましたから、文章が前段とはつながらずおかしな内容になっています。
辛亥革命以後の日本の大陸進出全体を指して、「中国国内の内戦に日本が干渉」したというなら意味は通じるんですが、1937年からの日中戦争を指しての説明としては明らかにおかしいと言えます。
それに続けて「当時、中国では、日本が支援していた汪兆銘の南京国民政府と、蒋介石の国民党、毛沢東の共産党が三つ巴の内戦を繰り広げたが、すでに共産党軍は内戦で疲弊し弱体化していた」とありますが、もう滅茶苦茶です。日中戦争に関する基本的な知識に欠けているとしか言いようがありません。
日本の傀儡政権である汪兆銘の南京国民政府が成立するのは1940年で、盧溝橋事件の3年後です。
1937年頃に中共軍が疲弊していたというのも、長征前の苦境に比べれば相当に改善していましたから、これも説明としておかしい内容です。

 同年9月の国共合作で国民党と共産党は手を結んだが、毛沢東の戦略は「夷をもって夷を制す」。すなわち、敵同士につぶし合いをさせることだった。
 日本軍と国民党軍が戦闘になるよう工作し、共産党は非戦闘地帯で勢力を拡大させた。ゆえに、日本軍と共産党軍が正面きって戦火を交えた記録は残っていない。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150819-00000006-pseven-cn

1937年9月の第二次国共合作以後、中共軍は八路軍などに改編して対日戦争に参加し、山西省戦役後は日本軍後方での遊撃戦を展開しています。国民政府の大後方から離れた日本軍占領地で解放区を築く戦略は、戦闘以上に民衆を味方にするための政治工作が重要であり、農民の支持を得た中共の遊撃隊は地主の支持を得る国民党の遊撃隊よりも勢力を拡大していきました。日本は傀儡政権を地主の支持を背景に作ったため、支持母体としては国民党系遊撃隊と同じくし、時に日本軍と国民党軍が共闘して中共軍を攻撃したこともあったわけです。
「三つ巴」というのはこのあたりのことを指します。中共と国民党と日本傀儡軍は、離合集散を繰り返し、個々の戦場では非常に複雑な状況を示しています。しかし、全体としては中共と国民党は対立しながらも決定的な破局を回避し、協力して日本軍と対峙し侵略を斥けた、と言えます。
遊撃戦は、正規軍同士が正面きって戦う戦闘ではありませんから、「日本軍と共産党軍が正面きって戦火を交えた記録」に限定していること自体が恣意的です。それでも最終局面では中共軍が主に華北でソ連軍と連携するなどして正面きった戦闘になっているんですけどね。また、日本軍と中共軍との戦闘では1940年の百団大戦が良く知られていますが、そういうのを無視するのもどうかと思います。
中共軍が主導した戦闘としては、以下のようなものが知られています。

平型関戦闘(1937年9月25日)、晋察冀軍区反囲攻(1937年11月-12月)、晋西北区反囲攻(1938年3月)、神頭嶺戦闘(1938年3月16日)、晋東南反九路囲攻(1938年4月)、保衛黄河河防作戦(1938年5月-1939年)、馬家園戦闘(1938年10月-11月)、斉会戦闘(1939年4月)、陸房戦闘(1939年5月)、梁山戦闘(1939年8月2日)、陳庄戦闘(1939年9月)、北岳区冬季反掃討(1939年10月-12月)、晋西北区夏季反掃討(1940年6月-7月)、百団大戦(1940年8月-12月)、沂蒙山区反掃討(1941年11月-12月)、晋西北区春季反掃討(1942年2月-3月)、冀中区五一反掃討(1942年5月-6月)、田家会戦闘(1942年5月)、沁源囲困戦(1942年11月-1945年4月)、蘇中反清郷(1943年4月-12月)、甄家庄戦闘(1943年10月)、車橋戦闘(1944年3月)、春季攻勢(1945年1月-3月)、子牙河戦役(1945年6月-7月)、安陽戦役(1945年6月-7月)

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20131014/1381762000

最後まで酷い捏造

 1945年8月に日本が降伏し、蒋介石の中華民国は戦勝国となった。だが、戦争で戦力を消耗した国民党と、勢力を復活させた共産党との間で内戦となり、蒋介石は台湾へ逃げ、共産党は中華人民共和国を樹立した。
 つまり、抗日戦争を戦ったのは国民党軍であり、中国共産党は国民党の“成果”を横取りしたに過ぎない。
※SAPIO2015年9月号

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150819-00000006-pseven-cn

国民党は米英から多くの軍事支援を受けていましたが、戦争後半になると国共内戦再開を見越した戦力の温存を図り、また中共の根拠地である延安を大軍で包囲攻撃するなど、本来対日戦に向けられるべき戦力が多く使われています。こういった無駄遣いの兵力を対日戦に参加させるよう、米国が何度も圧力をかけています。
中共が解放区で勢力を伸ばしたことは確かですが、日本敗戦時の戦力は圧倒的に国民党軍の方が上まわっており、その兵力差を背景にして蒋介石が国共内戦を仕掛けていきます。実際、国共内戦当初は、中共軍は次々を都市を奪われ、延安すら失っています。点と線に延びきった国民党軍を中共軍が叩くことで形勢逆転し、また地主重視で民衆の支持を失った国民党は最終的に大陸を追われることになります。

右翼歴史修正主義者は、そのあたりの事実を都合よく取捨選択し、「抗日戦争を戦ったのは国民党軍であり、中国共産党は国民党の“成果”を横取りした」と捏造するわけですね。