虚構の対比、あるいは返ってこないブーメラン

どーも、“安重根記念館を正当化できるなら、靖国参拝だって正当化できる”とか思い込んでいる人が多いようですね。こことかここのブクマで類型が観測できますが、そのような対比は成立しません。“ブーメランのつもり”で、ブーメランが刺さっているのは自分の頭だけ、という状況に気づくべきだと思います。

         日本      韓国    
施設       靖国神社     安重根記念館 
対象       A級戦犯      安重根    
背景(施設主体) 大東亜戦争    独立闘争   
背景(施設客体) アジア太平洋戦争 植民地化   
日本の公式見解  日本国策の誤り  日本国策の誤り
韓国の公式見解  軍国主義の象徴  抗日独立闘争 

さて、靖国神社と安重根記念館を比較すると上のようになりますが、施設、対象、背景(主客)だけ見ると、一見対比が成立しそうに思えますが、それぞれの政府の公式見解を見れば成立しないことがわかります。
靖国神社が正当化している大東亜戦争(アジア太平洋戦争)に対して、日本政府は国策の誤り*1であり、侵略*2であるという公式見解を持っていますので、日本政府が公式参拝することは大東亜戦争(アジア太平洋戦争)という侵略を正当化することを意味するわけです。大東亜戦争(アジア太平洋戦争)に対する韓国政府の公式見解は朝鮮人が強制動員され日本の侵略戦争に協力させられた、というものでしょうから、当然ながら日本政府要人の靖国参拝を非難するわけです。
つまり、日本閣僚の靖国参拝が日本政府にとって日本の公式見解と矛盾する行為であるのに対し、韓国政府にとっては日本閣僚の靖国参拝を非難することが公式見解に沿った行為なわけです。

一方、安重根記念館についてはどうかというと。安重根が象徴する韓国独立闘争・反植民地闘争は、韓国政府の公式見解は韓国建国の過程そのものであって肯定されることであり、安重根記念館も当然に正当化されるわけです。では、安重根が象徴する韓国独立闘争・反植民地闘争に対して日本政府はどのように見ているかというと、植民地支配によって多大の損害と苦痛を与えた*3というやはり国策の誤りであったという公式見解なわけです。
つまり、安重根記念館建設は、韓国政府にとって韓国の公式見解に沿った行為なのであるのに対し、日本政府が安重根記念館を非難することは日本の公式見解に矛盾する行為なわけです。

行為     日本政府        韓国政府         
靖国参拝   肯定すれば公式見解に矛盾 非難することが公式見解に沿う
安重根記念館 非難すれば公式見解に矛盾 肯定することが公式見解に沿う

要するに、日本政府は、“アジア太平洋戦争が日本による侵略”であり、“植民地支配は多大の損害と苦痛を与えた”、という公式見解を持っている故に、日本閣僚による靖国参拝は正当化できず、安重根記念館に対し非難することも正当化できないわけです。
これに対して、韓国政府にとっては日本閣僚の靖国参拝を非難することも安重根記念館を建設することも公式見解に沿った正当化できるものです。

これが等価に見えるのであれば、ちょっと認識が歪んでいるといえるでしょう。


もちろん、日本政府が村山談話も小泉談話も破棄して、“大東亜戦争(アジア太平洋戦争)は日本の自衛戦争であり侵略ではない”、“日本による植民地支配は恩恵であり誤りではない”という公式見解に改めるなら、日本閣僚による靖国参拝も安重根記念館に対する非難も公式見解と矛盾しないことにはなります。ただし、その場合、日本の公式見解は、国際社会と決定的に対立するものとなるわけですが。