『プランク・ダイヴ』(グレッグ・イーガン/ハヤカワ文庫)

プランク・ダイヴ (ハヤカワ文庫SF)

プランク・ダイヴ (ハヤカワ文庫SF)

 グレッグ・イーガンの日本オリジナル短編集です。「クリスタルの夜」「エキストラ」「暗黒整数」「グローリー」「ワンの絨毯」「プランク・ダイヴ」「伝播」の計7編が収録されています。が……
 さっぱりわからんお(´・ω・`)
 まあ全然わからないって言っちゃうと嘘になりますが、特に「グローリー」からの専門用語と物理理論の難解さにポカーンです。解説によれば、本書はこれまでの短編集の中でも特にハードSF度が高い短編集とのことなので、わからなくても無理ないんだなぁと少し安心しました(苦笑)。とりあえず「わからないところはばんばん飛ばす」(by大森望)というスタンスで読み進めていくわけですが、あまりにも考えずに読み飛ばしちゃうと読むところがなくなっちゃうのが困りものです(トホホ)。巻末には編・訳者あとがきと大野万紀の解説という二段構えのフォローもなされてますし、とりあえず読むだけ読んで、解説で疑問点を解消してもう一回読み返すという、再読前提の読み方が読了のためには必要ではないでしょうか。少なくとも私はそうでした(笑)。自分の常識を疑ったり想像力を拡張するためにこうした作品に触れることも大切だと思ってます。
 以下、各作品ごとの雑感。

クリスタルの夜

 人工知能の進化に関する倫理的側面にスポットをあてた作品です。まったく新しい結晶ベースのプロセッサを使ってヴァーチャル世界による生命の超高速進化をシミュレートすることで意識を持つ知的生命体を生み出そうとします。誤まった方向に進化が進んだと思ったら「枝狩り」を行い、自らが望む進化の方向へ誘導し、その進化をさらに加速させ、ある程度の進化が進んだと判断された時点でその生命体を不死にすることで時間を止めます。自らよりも優れた存在を作り出しつつ、そのものに対して神のように振舞う行為は果たして許されるのか。その行為を実行することによって迎える結末は? とはいえ、皮肉にも過程自体が十分に魅力的です。だからこそ物語での仮想実験が必要で、それがイーガンにとってのSFなのでしょうね。

エキストラ

 そこはかとなく星新一のショートショートのような作品。臓器移植などを目的としたエキストラ(クローン)の存在自体に倫理的問題が満載ですが、その辺りはアプリオリな問題としてクリアされ、脳移植の問題にまで一気にアクセルを踏み込む反倫理的疾走感が面白いです。本人確認などの法的問題の処理の仕方が個人的に興味深かったです。

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 『ひとりっ子』所収「ルミナス」の続編です。知る人ぞ知る「消極的秘密結社」による電脳戦ならぬ数学戦です。直接的には役に立たない学問とされる数学がダイレクトに矢面に立たされる着想が面白いです。

グローリー

「ニア人の遺物が埋もれているのに発掘が部分的にしか進んでいない何十という遺跡が、灌漑プロジェクトやほかの開発計画の脅威にさらされている。わたしたちが待てないのは、それが理由です」
(本書p199より)

 冒頭の描写はイミフ(笑)。ハードSFを標榜しながらも一方で社会派的な側面からの切り込みもみられるのがイーガン作品の面白さです。異文化コミュニケーションの難しさを切なく描いた作品です。

ワンの絨毯

 長編『ディアスポラ』と世界観を同じくする作品です。メタへメタへといった思考に対しての皮肉、とでもいえるのでしょうか? ネタバレ大爆発とされている巻末の解説を読んでもサッパリです(苦笑)。

プランク・ダイヴ

 一番のポイントは、どんな素晴らしい発見があってもその情報を持ち帰ることのできないような探求(ブラックホールへの突入)を行うことの意味だ。
(本書「解説」p413より)

 私には無理ですのでこうしてブログ書いてます。とはいえ、仮に誰一人読者がいなくても、おそらく私は書くことはやめないだろうとも思ったり。そうなると……難しい問題ですね。
 事実を伝えられないならせめて物語で、ということで吟遊詩人が登場しますが、これがまたどうしようもないレベルで科学者たちを困らせます。別にSFという〈物語〉に対してイーガンが自虐的になっているとも思えないので読者としても困ってしまうのですが……。っていうか、ここでいわれている〈物語〉というのは、もしかしたらマスコミとかのことかも、とも思わなくもなくて、それは私が日本のマスコミにばかり接しているからそう思ってしまうだけなのかもしれませんが……どうなんでしょうね?(苦笑)
 解説でも指摘されていますが、ブラックホールにまつわる理論が作中に登場する少女の運命のメタファーにもなっています。その着想と構成力に感服です。

伝播

 なんともセンチメンタルなファウンデーション・ジャーニーです。