『リリエンタールの末裔』(上田早夕里/ハヤカワ文庫)

リリエンタールの末裔 (ハヤカワ文庫JA)

リリエンタールの末裔 (ハヤカワ文庫JA)

 上田作品の初読みです(汗)。上田早夕里は、『華竜の宮』が『SFが読みたい! 2011年版』ベストSF国内篇に選ばれたりして注目されている作家ですが、本書にはそんな作者のSF短編4作が収録されています。巻末の香月祥宏の解説によれば、”論理的な展開に比重を置き、飛躍した奇想や幻想が抑えめになっている分、ミステリ方面からの読者や初めて上田作品に触れる人にも比較的読みやすい作品が並んでいると思う。”(本書p322より)とのことで、それを信じて読んでみたわけですが、大満足の一冊でした。

リリエンタールの末裔

《差別はどの社会にもある。目に見えないから、言葉にされていないからといって、ないと思い込むのは愚かなことだ》
(本書p22より)

 空を飛ぶことと社会からのしがらみから開放されることのシンクロ感というのは、空を飛ぶことを題材としている作品の多くに描かれている感覚だと思います。鉤腕(こうわん)を持つ高地の民の青年の飛びたいという衝動。そして、鉤腕持ちが差別を受けている現状。個人と社会との対立構図を真っ向から描いた上で、障害となる社会的要因については抽象的に描きつつハングライダーの構造は具体的に描くことで、社会派的要素を交えつつ作品全体のジャンル的な立ち位置はしっかりとSFに置かれているのが面白いです。

マグネフィオ

 同じ会社に勤める二人の男と一人の女性。ありがちな三角関係はそれが顕在化する前にあっさりと決着がついて愛し合う者同士が結ばれます。それから二年。社員旅行のバスの事故によって主人公は高次脳機能障害の一種である相貌失認の障害を負い、そして友人の男性は外部からの呼びかけにまったく反応できない状態となってしまいます。人工神経細胞の脳への移植や次世代型脳波計「マグネフィオ」といった人の心のあり方に影響を及ぼす科学技術の発展がもたらす恩恵と危険性とが、三角関係という微妙で危うい人間関係と相俟って叙情的に語られます。

ナイト・ブルーの記憶

 ヒトと機械の協働というのは様々な分野で行われていると思います。本作では、とある海洋無人探査機のオペレータの人生を通じて、そうした関係が深まることによって生じるであろうヒトのフレームの変容が描かれています。人工知能に人間の判断や行動パターンを教え込ませるのが機械学習(機械学習 - Wikipedia)ですが、それによって得られる反応が人間にフィードバックされることで、今度は人間学習とでもいうべき変化が人間側に生じるのは確かに必然のように思えます。深海で感じた不思議な皮膚感覚というSF的現象からヒトであることの境界線について描かれ、そこからさらに〈物語〉というフレームにまで思索が及んでいます。ヒトとヒトとの関係とヒトと機械との関係を描くものとして、〈物語〉の可能性が繊細ながらも力強く描かれています。

幻のクロノメーター

 ようするに、このおふたりの衝突は――理学と工学の対決だったの。
(本書p246より)

 マリン・クロノメーター(クロノメーター - Wikipedia)を巡る物語。普通であれば「まんがはじめて物語」みたいな歴史物語になりそうなところなのですが、「謎の石」という魔法的アイテムの導入によって既存の工学技術が異化されてSF(しかも工学SF)として描かれているのが面白いです。語り手の運命の輪とクロノメーターの中で動いている輪とがイメージ的にシンクロする構成も巧みです。



 飛躍した奇想や幻想が抑えられているということは、地に足が着いている、ということでもあります。技術の進歩を科学的厳密さに捕らわれることなく描き、かつ、物語性を生じさせる。そんなSF短編集です。科学技術の進歩がヒトと社会にもたらす影響、そんな科学とヒトと社会との微妙な三角関係が絶妙なバランス感覚で描かれています。上田作品の入門書とか関係ナシに多くの方にオススメしたい一冊です。