ミステリとライトノベルの相性について

 富士見ミステリー文庫が終了してしまったそうです。
・http://www2e.biglobe.ne.jp/~ichise/d/2009/0318.html
・富士見ミステリー文庫追悼の辞・レーベル編 - SSMGの人の日記
 ライトノベルというのは何でもありのジャンル*1とされていますが、実はミステリとの相性はあまり良くないと思っています。そんなミステリとライトノベルの相性について、内在する問題と外在する問題の2つの観点から考えてみました。
(以下、長々と。)

内在的問題について

きみとぼくが壊した世界 (講談社ノベルス)

きみとぼくが壊した世界 (講談社ノベルス)

 ミステリとライトノベルの相性については、『きみとぼくが壊した世界』(西尾維新/講談社ノベルス)においてかなりの紙数を割いて語られています(主にp30〜p37)。あくまで小説内における登場人物同士の掛け合いですし、論点も雑多なまま語られているのですが、その中で私が特に重要だと思ったのがパズル性とキャラクター性についての下りです。

「そもそもミステリーをどう定義するか、という話から始めなければならないのだが、――実際問題、推理小説って、位置づけが特殊だよね。意外な解決は望まれても意外な展開は望まれないところがある。これは、普通、逆だよね」
「逆だな」
「伝統芸能みたいな性格があるということだ。割と雛形が決まってしまっていて、あとはその応用で読者を引きつける――読者の側もそれがわかっているから、読み方がわかっている」
「まあ、これから推理小説を読むってときは、身構えかたが違うよな――クイズやパズルを解くのにも近いものがあるけど。あれか、読者参加型の小説って奴か」
「まあ、そう言うこともできる。――無論、どんな小説でも、読む上での最低限の作法というものはあるが、しかしミステリーはなかんずくその傾向が強い。そして、クイズやパズルは、純粋なほど美しい。だから多くの制約やルールが生まれ、また通常の小説からは大きく乖離していく」
(中略)
「――まあ、あまり不純な要素を取り入れるべきではないというのは一般的かな」
「不純? キャラ萌えとかが?」
「そう。一昔前なら、社会派、とかかな。社会批判のような要素は入れるべきではない――と。批判と言えば聞こえはいいが、要するに他人の悪口だからねえ」
「しかし、社会派はともかく、名探偵のキャラ付けって、誰がどう見ても『萌えてくれ』って言ってるようなもんだと思うけどな」
「そうだけど。あまり過剰になるとね。パズル性が損なわれる」
(『きみとぼくが壊した世界』p32〜35より)

 ミステリとは謎解き小説です。すなわち、謎の中核となるトリックがあって、その謎がどのように解かれていくか、あるいは、どのような意外な結末を迎えるのか、といったようなこと(≒プロット)が興味の中心となります。一方、ライトノベルは不定形なジャンルではありますが、一般的にはキャラクター重視の小説だといわれています。キャラ萌えなる用語・現象はまさにライトノベルならではなわけですが、例えば、”ツンデレ”と呼ばれるキャラ属性があります(参考:ツンデレ - Wikipedia)。厳密な定義となるとこれまた厄介なことになりますが、大雑把に言えばツンツンしてデレデレするキャラクターのことです(笑)。で、そうしたキャラクターの属性とされているものは、単にそのキャラクターの個性というだけではなく、ストーリー展開にまで影響を及ぼします。つまり、ツンツンしてデレデレするというストーリーが、そのキャラクターを活かすためには必要となるのです。
 このとき、ミステリとしての要請とキャラクター小説としての要請がストーリーの問題として衝突することになる――すなわち、ミステリであることとライトノベルであることを両立させようとするときに生じる内在的な問題として考えることができます。
 もっとも、本書にも書かれていますが、これは「『本格』と呼ばれるミステリー周辺の話」(『きみとぼくが壊した世界』p36より)であって、軽く楽しむミステリの場合には話が違ってくるはず――なのですが、富士見ミステリー文庫がこうした結末を迎えてしまったということは、たとえ軽度のミステリであっても、そうした内在的な問題を克服することはなかなかに困難なものであったと推察されます。また、

「ミステリーもライトノベルと同じく、他ジャンルを自陣に取り込める特性を持っているから、その意味では似ている。似ているがゆえに、非なる。そんなところなのだろうが、そこまで微に入り細を穿って論を広げるつもりはないよ」
(『きみとぼくが壊した世界』p36より)

と述べているのですが、とても興味深い見解なので論を広げて欲しかったです(笑)。
 もうひとつ。本書ではミステリーとライトノベルの相性の悪さについてこんなことも言っています。

「ミステリーの定義。それはただひとつ」「評価を得ないことだ、、、、、、、、、」
(中略)
「エンターテインメントに徹するがゆえに数字を重んじるライトノベルと、相性が悪くて当然ということだ――考えてもみたまえ。見ようによっては、評価を得るということは売れるということであり、つまり不純なのだから」
(『きみとぼくが壊した世界』p35より)

 いわゆる純文学との関係でいえば、ミステリだって立派なエンタメであり売れるジャンルのはずなのですが、そんなミステリですら、ことライトノベルとの関係でいえばまるで純文学みたいな位置に立たされてしまうのがとても面白いですね(笑)。
【参考】ライトノベルと本格ミステリ読者達のためのハイブリッドパズルストーリー*2

外在的問題について

 外在的問題とは、ずばりイラスト・挿絵の問題です。ライトノベルにはイラストが付きものですが、これはお世辞にもミステリと相性が良いとはいえません。道尾秀介は自身の創作姿勢について次のようなことを語っています。

道尾 活字でしか出来ないことをやりたいというのが僕の出発点なので、言葉でしか成立しない誤解を書きたいという気持ちがあるんだと思います。例えば『骸の爪』にしても、たぶんこれが映像化されたら「それはないでしょう」といって笑われる。でも活字で書くと、ありえるような気がする。それが活字の強みだと思うんですね。例えば、「鏡というのはどうして左右が逆さまになるのに上下は逆さまにならないんだろう」と言われたら、何か不思議な気分になるじゃないですか。でも実際に目の前に鏡があると不思議でも何でもない。不思議でないものを不思議と思わせる力が、言葉とか文章にはあって、僕はその文章の利点を生かしたい。そのノウハウを一番持っているのはミステリーというジャンルだから、言葉の利点を生かして小説を書こうとするとミステリー小説になるんだと思います。
(『野性時代第64号』所収「Long Interview 活字でしか出来ないこと」p19〜21より)

このように、ミステリ小説というのは程度の差こそあれ、「言葉でしか成立しない誤解」の元に成り立っています。昨今のミステリで話題になってる叙述トリックなどその最たる例です。叙述トリックの場合にイラストなど書いてしまったらすべてが台無しになってしまいます。もちろん、それは極端な例ではありますが、いずれにしてもミステリにイラストを付けるのに通常の場合とは異なる配慮が必要なことは間違いありません。そうした外的要素がライトノベルでミステリ作品を作ることの難しさの一因であるのは確かでしょう。



 ミステリとライトノベルの両立には上記のような問題点があると思いますが、それはあくまでも一般論、もしくは専門レーベルとして確立させるには無理がある、という意味でしかありません。具体的な作品として探す限りにおいては、ライトノベルでありながら面白いミステリというのはあります。
 参考までに私が現在進行形で追っかけているライトノベルなミステリを挙げてみますが、まずは”文学少女”シリーズ(野村美月/ファミ通文庫)です。本作は「ミステリ」というよりは「ミステリ仕立てのプロット」といった方が正しいと思いますが、文学作品を巧みに取り込んだミステリ風の心理劇として人気を博しています。本編は大団円を迎えましたが、短編集と外伝とでまだまだ”文学少女”の世界を堪能することができます。
 ミステリ仕立てといえば”みーくんまーちゃん”(入間人間/電撃文庫)を忘れるわけにはいきません。これなんかは主人公である語り手の”みーくん”を嘘つきにすることで無理やりミステリっぽくしてるのですが(笑)、その代わり、登場する女の子のヤンデレやヤンデレやヤンデレといった記号性を維持したままお話が成り立っています。つまり、女の子を疑うのが嫌なら主人公を疑えってことですが(笑)、これはこれで立派な方法だと思います。
 タイトルからしてミステリであることを堂々と宣言しているのが『ミステリ・クロノ』(久住四季/電撃文庫)です。クロノグラフと呼ばれる時間を操る不思議な道具の回収を目的とするSFミステリです。去年の4月に3巻が刊行されてから止まっているのがかなり不安ですが(笑)、時間ものトリックが楽しめる佳品です。
 ガガガ文庫では過去の名作(=著作権が切れた作品)をライトノベルとして現代化する”跳訳”という企画がありますが、その中の一作で、坂口安吾の『不連続殺人事件』を題材とした『藤井寺さんと平野くん』(樺薫/ガガガ文庫)もかなりミステリしてます。この作品もあとがきで二作目について触れられているのですが、去年の6月に刊行されてから音沙汰がありません(汗)。
 連作短編ミステリだと『ようこそ無目的室へ!』(在原竹広/HJ文庫)が印象に残っています。頭の体操みたいなぬるいミステリ短編集かと思いきや、最後でサラリと大技をかましてくれています。これ1冊できちんと完結していますが、「このラノ2009」によればどうやら続きが出ないこともないみたいなので、こそっと注目しています。
 『嘘つきは姫君のはじまり』(松田志乃ぶ/コバルト文庫)は、平安時代の宮中を舞台にした時代ミステリですが、作者があとがきでぼやいているように、ミステリ度が高めです。その点、最新刊である3巻ではかなりの改善がなされていて、キャラクターの魅力が打ち出される展開になっていますが、しかしながら、ミステリとしての面白さという点でも3巻が一番面白いと思います。
 こんな感じですが、今後もラノベなミステリの発掘は続けていこうと思っています。
ミステリクロノ (電撃文庫)

ミステリクロノ (電撃文庫)

藤井寺さんと平野くん 熱海のこと (ガガガ文庫)

藤井寺さんと平野くん 熱海のこと (ガガガ文庫)

ようこそ無目的室へ! (HJ文庫)

ようこそ無目的室へ! (HJ文庫)

【関連】
・ゼロ年代ライトノベル系ミステリ注目作品リスト
・ラノベとミステリについて - Togetter
・続・ラノベとミステリについて - Togetter

*1:個人的には、ライトノベルとはジャンルではなくカテゴリだと思っています。

*2:ちなみに、SFとラノベの親和性が高いのは、SFとして描かれる世界の設定が個人との関係によってクローズアップされることでキャラクター小説としての要請も満たすことになるからだと思います。