それでもボクはやってない(日本映画・2006年) |
<東宝試写室>
2006年11月15日鑑賞
2006年11月18日記
私のケイタイは珍しくカメラ機能なし。それは私にはその機能が必要ないということもあるが、それ以上にあらぬ疑いをかけられるのを防止するため・・・?また、やむをえず乗る満員電車では必ず両手を上に・・・。今ドキ、それぐらいの防衛本能を働かせなければ、この映画の主人公のようになる可能性が・・・。2009年までの裁判員制度の実施を控えた日本において、これぐらい丁寧に刑事裁判の実態を紹介した映画は貴重だから、大学はもちろん国民一般の勉強ネタとして是非ヒットして欲しいもの。私としても講義・講演の教材としてせいぜい活用しなければ・・・。
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監督・脚本:周防正行
金子徹平(フリーター)/加瀬亮
金子豊子(徹平の母)/もたいまさこ
斎藤達雄(徹平の友人)/山本耕史
荒川正義(ベテラン弁護士)/役所広司
須藤莉子(新米弁護士)/瀬戸朝香
浜田明(当番弁護士)/田中哲司
山田好二(岸川署刑事)/大森南朋
宮本孝(徹平事件取調べ副検事)/北見敏之
新崎孝三(公判立会検事)/尾美としのり
古川俊子(被害者)/柳生みゆ
月田一郎(事件の目撃者)/田口浩正
市村美津子(事件の目撃者)/唯野未歩子
大森光明(交代前の裁判官)/正名僕蔵
室山省吾(交代後の裁判官)/小日向文世
佐田満(痴漢冤罪事件当事者)/光石研
佐田清子(佐田の妻)/清水美砂
広安敏夫(佐田事件控訴審裁判官)/大和田伸也
板谷得治(傍聴人)/高橋長英
東宝配給・2006年・日本映画・143分
<周防監督が目指したのは・・・?>
日本版だけではなく、ハリウッドのリメイク版まで大ヒットしたあの『Shall we ダンス?』(96年)から11年。周防正行監督が自ら脚本を書いてまで問題提起しようとしたのは、「痴漢冤罪事件」をテーマとした日本の刑事裁判の問題点!この問題意識の背景には、2009年までに施行されることになっている「裁判員制度」があることは明らかだが、残念ながら日本人は刑事裁判制度に関心がうすく、裁判員制度の実施にも大きな不安がある現状・・・。そこで周防監督は、映画のエンタテインメント性を多少犠牲にしてでも、刑事裁判制度の説明と現状を精一杯紹介しようとしている。
すなわち、この映画は、①痴漢被害者となった15歳の少女古川俊子(柳生みゆ)による現行犯逮捕から、②岸川署刑事山田好二(大森南朋)による警察(司法警察員)の取調べと副検事宮本孝(北見敏之)による検察庁の取調べ(調書の作成)、③検察庁による正式起訴、略式起訴、不起訴の決断、④第1回公判以降、判決に至るまでの流れを観客にわかるように、できる限り解説しながらストーリーを組み立てている。痴漢事件で現行犯逮捕され、容易に自白して罰金ー釈放の道を選ばなかったため起訴され、今は被告人として刑事公判廷に立つ金子徹平(加瀬亮)はなぜ生まれたのか、それがこの映画のテーマだが、周防監督は、徹平を支援するため傍聴席に集まった人物から、「あれはナニ・・・?」という質問をさせ、「司法修習生」の説明までさせているほど・・・。さらに、ブタ箱馴れ(?)しているオカマ風の奇妙な男三井秀男(本田博太郎)を登場させ、警察での取調べの実態の裏側までうまく解説させている。
他方、弁護側についても、①民事専門で儲かる事件しかやっていない東京国際法律事務所の田村精一郎弁護士(益岡徹)に続いて、②今風の当番弁護士、アティカス法律事務所の浜田明弁護士(田中哲司)を登場させたうえ、③本格的に徹平の弁護人となる荒川正義弁護士(役所広司)と須藤莉子弁護士(瀬戸朝香)を登場させているから、ホントに至れり尽くせりの説明となっている。
<あれっ!検察官と弁護人が逆の席・・・?>
さあ、いよいよ第1回公判が始まった。東京地裁の刑事法廷(単独部)の裁判官は大森光明(正名僕蔵)、検察官は新崎孝三(尾美としのり)、そして弁護人は荒川と須藤(荒川が主任弁護人)だ。法廷は、書記官はもちろん検察官と弁護人が席に着いたことを確認した後、裁判官が登場し、傍聴席を含め法廷内の全員が起立し一礼してから開始される。ところが、私の目にはあれっ!これはヘンだぞ、と明らかに違和感が・・・。それは何と検察官と弁護人の座る席が私がこれまでに見てきた実際の法廷と逆になっていたこと。すなわち、私が弁護士として32年間やってきた中では、裁判官から見て右側が検察官、左側が弁護人の席なのだが、それが逆・・・。
この映画のプレスシートを見れば、2009年までの裁判員制度の実施を踏まえて、さまざまな刑事裁判の現実の姿について解説がなされている。そして、その1つとして「裁判の流れ」があり、その中に「金子徹平事件法廷の様子」がイラストとして描かれているが、それを見ても明らかに逆。これは一体どうしたことだろうか・・・?
<いろいろと調べてみると・・・?>
そう思っていろいろ調べてみると、まず最高裁判所事務総局が作成している「法廷ガイド 裁判を傍聴する方々のために」というリーフレット(平成18年7月発行)には、たしかに私の経験どおりの「法廷の様子」が描かれているが、「上の図は刑事合議法廷の例ですが、法廷内の配置は裁判所によって異なります」と書かれていた。
他方、関西テレビのホームページの「月刊カンテレ批評2005年12月号(12月25日放送)」を見ると、「16歳の少年を巡る法廷のニュースで通常の時の法廷位置関係が弁護側と検察側が逆になっていたように思えるのですが?」という質問に対して、「法廷の位置関係についてはどこにも定められていません。よって裁判長が決めることになる訳ですが、『右・左にとりわけ理由はない』ということでした。ちなみに、大阪では刑事事件の場合、傍聴人から見て向かって右側が弁護士、左側が検察官という位置関係が多くあります。ただし、必ずしも決まってはいません。反対の場合もあります。東京では、大阪と逆の形もあり、比率的には半々くらいと思われます。全国では、大阪と同じ形をとっているところが多いように見うけられます」とのこと。
これは、私も32年間弁護士をやってきて、実ははじめて知ったこと・・・。
<判決は裁判官が下すもの!>
判決は裁判官が下すものだから、裁判官がどんな価値観・人生観を持っているかが決定的に重要だが、一般的に裁判官の個性やカラーは表示されないため、容易にそれを知ることはできない。田舎の裁判所であれば、裁判官も弁護士も数が少ないから、それぞれのキャラをお互いに理解しているが、東京地裁の大きさになると、その事件ではじめて顔を合わせる裁判官というケースがほとんどだから、弁護士だって裁判官のキャラを全然知らない人が多いはず。
そんな場合大切なのは、裁判官の訴訟指揮のやり方や証人尋問への介入の仕方そして自らの尋問(補充尋問)における質問内容に注目し、裁判官の考え方を理解すること。一人前の弁護士ならそれに注視していれば、裁判官がどんな心証を形成しているのか、ほぼ正確に予測がつくはず・・・。
<裁判官の交代は致命的・・・?>
そんな弁護士の目で見ると、最初に金子徹平事件を担当した大森裁判官は無罪判決を書く裁判官として有名だというだけあって、「疑わしきは罰せず」を地でいっている実に珍しい裁判官。これは、行政訴訟で住民側勝訴、行政側敗訴の判決をたくさん書いて有名となった、かつての東京地裁の藤山雅行裁判官と同じような異例中の異例。大森裁判官が司法修習生に対して、刑事裁判における原理・原則を心の底から熱く語っている姿を見ると、きわめて感動的。
ところが、徹平や荒川弁護士にとって不運だったのは、審理の途中で裁判官が大森裁判官から室山裁判官(小日向文世)に交代したこと。裁判官に定期的な転勤があるのはやむをえないが、裁判官の交代が致命的な影響を与えるケースは多い。しかして、室山裁判官の訴訟指揮と証人尋問の内容は・・・?彼の訴訟指揮、すなわち、証人尋問への介入や自らの質問そして弁護側申請の証人採否の判断等がかなり偏ったものであることは、一目瞭然。荒川弁護士ほどのベテランになれば、これを見ているだけで、こりゃいくら弁護側が頑張ってもムリ、つまり、結論ありきの判決になることは予測できたはず・・・?
<弁護士費用(報酬)はあえて非公開・・・?>
他方、この映画には決定的に説明不足な点がある。それは弁護士費用(報酬)のこと。3回目の公判期日でやっと逮捕から4カ月ぶりで保釈された際の保釈保証金が200万円ということは説明されているが、①勾留中の再三の面会、②保釈手続、③公判期日12回の出廷と弁護活動、④弁護側立証のためのビデオ製作、これだけの弁護活動を荒川と須藤の2人が担当すれば、その費用(報酬)はHow much・・・?
それは、この映画の観客にとっても、そして何よりも貯えなど全くないと思われるフリーターの徹平と、息子の就職を心配してたまたま上京してこの事件に遭遇した母親の豊子(もたいまさこ)にとって、最大の関心事のはず。ちなみに私の知るところでは、大阪での標準額は着手金30万円、報酬30万円というところだが、これは被告人が罪を認めているケースで、公判が2、3回の場合の標準。当初から無罪を主張する場合、有罪になったのでは弁護士報酬はもらえないのが原則。したがって、着手金をかなり高くするか、もし無罪となった場合の報酬をバカ高くするかのどちらか・・・。本件は結果的に有罪となったが、すると、今後は控訴するかどうかが最大のテーマ。しかし、その決断をする前に立ちはだかる最大の関門が弁護士費用であることをお見逃しなく・・・。
<ここまでやってくれる弁護士は珍しい・・・?>
荒川弁護士は田村弁護士の友人らしいが、事務所の経営形態は全く異質。また、荒川弁護士の下で働いているイソ弁らしい須藤弁護士は、女性でありかつ犯罪被害者の支援活動をやっているため、「痴漢」の弁護活動はやりたくないと荒川弁護士に直訴!それに対する荒川弁護士の「説得」に須藤弁護士がどこまで「納得」したのかはかなり怪しいが、それでも須藤弁護士は自分の職分を精一杯尽くそうと努力していることは映画を観ていると明らか。
他方、荒川弁護士は多忙を理由として友人の弁護士にも応援を頼むが、結局はこの事件に集中することに。刑事事件で公判廷に12回もつき合うのは、かなりの大事件。たかが痴漢(?)の事件に、荒川と須藤という2人の弁護士がここまでやってくれるのは珍しいケースであるということを、観客のみなさんは十分認識してもらいたいもの。逆に言えば、自分が依頼した弁護士が誰でも当然これくらい働いてくれると思ったら大まちがい・・・?
<これだけの支援があっても・・・>
徹平は「なぜ自分がこんな目にあうんだ!」とイライラし怒っているが、映画を観ている限り徹平はいい弁護士にめぐり会えたことはもちろんだが、親友の斎藤達雄(山本耕史)を通じて知り合うことになった徹平と同じく痴漢冤罪事件の被告人である佐田満(光石研)との出会いという実に大きな幸運に恵まれている。佐田は一審で無罪を勝ち取ったが、現在控訴審中の不安定な身分。しかし、徹平の裁判のために、①公判期日の傍聴の組織化、②駅での徹平に有利な目撃者探し、③被告人側の反対立証のためのビデオ製作等、無料でのボランティア活動を献身的に続けている実にいい人。ところが、この佐田に対して、控訴審の裁判官広安敏夫(大和田伸也)が下した判決は・・・?そして、これだけの支援者の支援を受けながら有能な弁護士が全力を傾けて弁護活動を展開した後、徹平に対して室山裁判官が下した判決は・・・?
<過去5件の無罪判決を獲得!私だって一流の刑事弁護士・・・?>
私は1984年以降22年間は都市問題をライフワークとして取り組んでいるが、若い時は刑事事件や少年事件にもバリバリと取り組んでいたもの。そんな中、私の自慢の1つは、少年事件の審理不開始や不処分の決定を含め過去5件の無罪判決を獲得していること。その第1号は、私が弁護士登録後最初に受任した国選の傷害事件。これは被告人の精神鑑定を申請し心神喪失を主張した結果、1年半の審理で無罪となった記念すべき事件。「刑事専門」の弁護士といっても、それは刑事事件の比重が全体の仕事の半分以上の弁護士というのが正確な言い方だろう。そして一生の弁護士稼業の中、刑事事件で無罪を5件もとれば一流の刑事弁護士と言われているから、私だってホントはそれ・・・?
刑事事件で無罪判決を勝ち取る方法、それは何よりもそんな事件とのめぐり会いという人の力を超えた偶然だが、弁護士の能力としては、第1に被告人の言い分をどう理解するか、第2にその言い分を信じた場合、どこまでしつこくその事件に取り組むか、第3に検察側立証に対していかにケチをつける能力を磨くかということ。最初の担当裁判官となった大森判事が解説しているように、本来刑事裁判は検察官が合理的な疑いを入れない程度にまで有罪であることを立証しなければならないのだから、刑事弁護人としては、それに対してさまざまな視点からケチをつけて疑いを入れればいいわけだ。その意味では、民事事件とは全く違う構造となっていることを前提として、弁護方針を組み立てなければならないが、さてそれは言うは易く行うは難しいもの。最近私は刑事事件をほとんどやっていないが、無罪判決獲得5件はホントに立派なものと自画自賛しておきたい。
<試写室では面白い試みを・・・>
今回東宝の試写室では、観客に有罪・無罪を判定させるという面白い試みをやっていた。これはジョン・グリシャム原作の『陪審評決』を映画化した『ニューオーリンズ・トライアル』(03年)でやっていたのと同じ試み。映画を観ている観客には、主人公徹平の「僕は痴漢などしていません」という主張が先にインプットされてしまうから、きっと無罪にマルをつける人が多いと思うのだが、これは裁判への国民の主体的参加という意味で、実に価値のある試み。
試写室や試写会ではそれ以上の議論をしていくことは不可能だが、大学の上映会や討論会をあわせてセットした上映会では、そういう議論をすることが可能。観客に有罪・無罪のアンケートをしてもらった後、なぜそう判断したのかについて議論することができれば、周防正行監督がこの映画にチャレンジした意義がさらに増すこと確実だが・・・。
<講義・講演に活用しなければ・・・>
この映画には当然周防正行監督の価値観や主張が盛り込まれているが、裁判員制度の実施を間近に控えた今の日本において、刑事裁判の実態、そして理念と現実との大きな乖離を理解するためには、この映画は格好の素材。弁護士志望の司法修習生がこの映画を観れば、登場する4人の弁護士を見て自分がどんなタイプを目指そうかと考えるはず・・・。また法科大学院でこんな映画を観せれば、現実の法廷の様子が(多少違っているとしても)よくわかるはず。さらに、誰もが裁判員になる可能性が生まれる2009年以降は、自分がいつそんな立場になってもあわてないため、最低限これくらいの刑事裁判の姿は勉強しておくべき義務がある。したがって、何はともあれ多くの国民にこの映画を観てもらい、勉強してもらいたいもの。そして、弁護士と映画評論家の2足のわらじをはく私としては、この映画を講義や講演で十分活用したいと考えている。2時間23分という長さが問題だが、予告編を上映するだけでも問題提起としては十分。来年の講義・講演の予定には、必ずこれを組み込むことにしよう・・・。
2006(平成18)年11月18日記