散歩の変人:鶏肋 鶏肋 http://sabasaba13.exblog.jp 地球を彷徨し、本と音楽の海を漂う ja sabasaba13 2025 Fri, 17 Jan 2025 16:23:07 +0900 2025-01-17T16:23:07+09:00 hourly 1 2013-06-01T12:00:00+00:00 散歩の変人 https://pds.exblog.jp/logo/1/200502/06/20/c005162020080128060644.jpg http://sabasaba13.exblog.jp 80 80 地球を彷徨し、本と音楽の海を漂う 阪神淡路大震災30年 http://sabasaba13.exblog.jp/33662577/ http://sabasaba13.exblog.jp/33662577/ <![CDATA[ 1995年1月17日火曜日の早朝、ニュース映像を見た時の衝撃は鮮烈に覚えています。大きな自然災害を経験したことがない私にとって、日本は災害大国なのだとあらためて思い知るきっかけとなりました。この震災を心に刻もうと、その後、神戸の震災モニュメントや、神戸港震災メモリアルパークや、神戸の慰霊と復興のモニュメントや淡路島の野島断層保存館などを訪れて感想を拙ブログに上梓しました。よろしければご照覧ください。
 そして亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに、被災地の復興を心より祈念いたします。


 さて私たちにできること、すべきことは何か。これほど大きな犠牲と被害があったのは何故か、政治・経済・社会のシステムに瑕疵はなかったのかについてしっかりと調査や分析をすることです。そしてそれを教訓としてシステムを改善して対策をたてること。また被災者や被災地に対する復興の支援等は十全であったのか。以上の諸点を東日本大震災(2011)や熊本地震(2016)や能登半島地震(2024)について検証し、対策や改善にフィードバックしていく。この永遠の繰り返しが、災害大国・日本の宿命だと考えます。
 そういう視点で阪神・淡路大震災をふりかえると、政府や自治体の対応や対策はきわめて不十分であると言わざるを得ません。残念なことにこうしたポイントについてきちんと取り上げるメディアはたいへん少ないのですが、『しんぶん赤旗』(25.1.17)が二つの記事でまとめてくれています。ぜひ紹介します。


【きょうの潮流】
 宝物と呼んで大切にしていたワープロ、大学の課題で制作したパラパラ絵本…。展示された遺品からは、突然「生」を絶たれた無念の思いが伝わってきます▼神戸大学が催している「震災犠牲者の追憶」。阪神・淡路大震災の被災大学として記憶を継承していく責務があると。訪れた学生は「多くの先輩が亡くなられた。あの後に生まれた自分たちにとって震災の教訓を学べれば」▼大都市圏のライフラインを引き裂き、あまたのくらしを破壊した震災から30年。神戸の街を歩けば直接の傷痕は見えませんが、被災者が思い描いた街づくりとはかけ離れた現状が横たわっています▼火災で甚大な被害を受けた長田区の復興もその一例です。昨年10月末に44棟目のビルが完成し再開発事業は終結。震災からわずか2カ月後に住民の反対を押し切って市が推し進めてきた計画ですが、立ち並ぶ商業ビルは人影もまばら。かつての商店街の活気もありません▼「被災者のため、住民の生活のため、とはいえない事業がこの状況を招いた」。地域の変ぼうを見つめてきた共産党の森本真神戸市議は県や市、そして国の大型開発優先の姿勢を批判します▼防災や社会のあり方に数々の教訓を残した30年前の震災。その後も列島では大きな災害が続きますが、避難所の環境から住まいや生業の再建まで、それは生かされてきたのか―。遺族からは命の重さを忘れないでほしいと改めて。森本さんは政治の役割を。「大事なことは明日への希望がみえるとりくみです」

【主張】 阪神大震災30年 教訓生かさない政治を変える
 1995年の阪神・淡路大震災は、住宅の損壊約64万棟、災害関連死を含めた犠牲者6434人という、都市部を襲った未曽有の災害でした。
 この30年間、政府は悲痛な教訓を受けとめ生かしてきたのか。政治の最大の課題である、国民の安心と安全に真剣に取り組んできたのか。答えは「ノー」です。
 能登半島地震では、避難所の雑魚寝、冷たい食事、断熱性のない仮設住宅など、30年前と同じ劣悪な状況が繰り返されています。
 阪神大震災では「創造的復興」の名で、震災後の10年余で、直接被害額10兆円を上回る16兆円超の復興事業費が投入されました。その約6割が高速道路、港湾、海を埋め立てた神戸空港建設、都市再開発などにあてられ、震災前からの開発計画が推し進められました。
 一方、生活や生業(なりわい)再建は「自助自立」にされ、住宅などを再建した人も二重ローンに苦しみました。住民が区画整理で追い出され、「陸の孤島」といわれた郊外の仮設住宅や高層の復興公営住宅ではコミュニティーが壊され孤独死や自殺が続きました。商店街にはビルができましたが、住民が戻れず、消費が回復せずにテナントが撤退しています。
 住民無視の「創造的復興」は、その後の震災でも被災者を苦しめています。
 震災前年、日本共産党神戸市議団は市の消防体制の弱さを指摘していました。当時も経済効率優先で病床削減や自治体リストラが行われていました。いま、それがさらにすすみ、自治体のマンパワー不足が能登の復旧を妨げています。
 南海トラフ、首都圏直下型地震の危険性が指摘されるなか、一極集中、超高層ビルの建設ラッシュ、湾岸開発など防災を無視した都市開発がすすんでいます。
 なぜ教訓が生かされないか。自公政権にとって「安全保障」とは米国の世界戦略にどう従うかが中心であり、「国土強靱化」は"投資しても安心なインフラ"の海外へのアピールだからです。こうした政治を変えなければなりません。
 そのなかで特筆されるのは、阪神大震災被災者の粘り強い運動と世論で被災者生活再建支援法を勝ち取ったことです。当時、政府は「私有財産制の国では個人財産は自己責任」と住宅再建支援を拒みました。
 議員立法を求める被災者・市民と力を合わせ、日本共産党の衆参議員らが国会議員有志に働きかけ97年に法案を提出。政府はこれを拒む一方、世論を恐れ98年に支援法を成立させましたが、阪神・淡路には適用されず、わずか百万円の「見舞金」で住宅再建には使えないというものでした。
 2000年の鳥取西部地震で住宅再建に3百万円を支給する片山善博知事(当時)の英断も受け、支援法改正の世論と運動が高揚。政府も個人の住宅再建は地域再建という公共性があると認め、07年、住宅本体の建設・改修を支援対象とする現行法が実現しました。
 住宅は憲法が掲げる生存権の保障に不可欠です。災害列島・日本。金額を引き上げ真に住宅再建可能な制度にする必要があります。政府が責任を果たしきるよう求める運動を各地で大きなうねりにしましょう。

 「スフィア基準」の"ス"の字もない避難所の劣悪さは、能登半島地震に至るまでほとんど変わっていないようです。ようやく石破首相がこの基準に言及するようになり、防災庁設置構想を打ち出していますが予断は許せません。前者については未知数ですし、後者については初期対応の改善だけで生活再建へのサポートがないとの指摘もあります(「新婦人しんぶん」[25.1.18]・岡田知弘氏)。
 住民の意向を無視しての再開発の強行は、ナオミ・クライン氏言うところの「ショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)」そのものです。そう、「ショック・ドクトリン」とは、戦争やクーデター、テロ攻撃、市場の暴落あるいは自然災害といった大惨事に襲われた後、人々がショック状態に陥ったことにつけ込んで、大企業に有利な過激な経済改革を強行する手法のことです。明け透けに言えば、被災者の生活再建よりも金儲けが大事だということですね。
 その根幹には、「国益やお金や権力のために住民が犠牲になってもかまわない」という棄民政策があると思います。そして少数与党となった自民党政権がその姿勢を改める気配はありません。よって今後予想される南海トラフ地震でも首都直下型地震でも同じことが繰り返されるでしょう。劣悪な避難所と仮設住宅、被災者を犠牲にしての再開発、生活再建に対する無関心。またにわかに可能性が高まった戦争勃発に際しても、同じような棄民政策がとられることでしょう。
 なぜこんなことが続くのか。結局、自然災害や戦争や公害やコロナ禍といった危機的事態をきちんと検証せず、教訓にもせず、それに対する政治家・官僚の責任を多くの方々が見逃してきたからでしょう。
 アメリカのジャーナリスト・アンカーマン、エドワード・R・マローに「羊の国家は狼の政府を生む」という言葉がありますが、多くの方々がこれからも羊のように唯々諾々と自民党政権を支持すれば、狼は何度でも牙を剥きます。


 みんなで狼になりませんか。


 本日の一枚は、神戸東遊園地内にある「阪神淡路大震災1・17希望の灯り」です。
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鶏肋 sabasaba13 Fri, 17 Jan 2025 16:23:07 +0900 2025-01-17T16:23:07+09:00
2025 箱根駅伝 http://sabasaba13.exblog.jp/33655588/ http://sabasaba13.exblog.jp/33655588/ <![CDATA[ 例年、年末年始は、山ノ神とともに箱根大平台にある小さな別宅に長逗留して湯治を楽しみます。本を読んで、テレビやDVDの映画を見て、酒を飲んで、サイレント・チェロを弾いて昼寝をして、温泉に入る(以下繰り返し)という安楽で怠惰な小原庄助さん的暮らしに浸るわけですが、中でも楽しみなのが、すぐ近くの国道1号線を走る箱根駅伝の応援です。ランニングをするわけでもなく、陸上競技に興味があるわけでもないのですが、若人たちが、仲間のために箱根の山を必死で無心に駆け上り駆け下る姿は、言いようもなく逞しく美しく、見ているだけで胸が熱くなります。もちろん今年も見にいってきました。


 1月2日(木)、トップの選手が函嶺洞門近くを駆け抜けたあたりでおもむろに腰を上げてコートを着て丸喜屋さんのあたりまで出かけましたが、沿道は観衆で埋まり良いポジションはとれませんでした。ほぼ快晴、温暖で無風という絶好の条件のもとでしばし待っていると、やがて選手たちが次々と駆け抜けてゆきました。この急峻な坂をよくぞあのスピードで走れるものです。ランナーたちの熱き闘いを楽しませてもらいました。
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 1月3日(金)、復路六区の山下りです。午前8時に芦ノ湖からレースは始まります。昨日のことに懲りて、トップの選手が芦ノ湯を通過したころに出かけました。幸い、箱根登山鉄道の大平台駅近くで良い場所につくことができました。急カーブのところなので長い間ランナーを見ることができるし、カーブ・ミラーで選手の接近を知ることもできるし、すぐ近くで大平台の子どもたちが血沸き肉躍るような太鼓を叩いて応援する姿に接することもできます。無風ですが曇天、かなり寒かったのですが、選手にとっては良い条件なのかもしれません。やがて選手たちがものすごい速さで駆け抜けてゆきました。仲間たちの思いを背負い、タスキとともにそれを次の選手につなごうと疾駆する姿に見惚れました。






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 通過後、家に戻ってテレビ観戦。青山学院大学の総合優勝でレースは終わりましたが、結果についてはあまりこだわりません。さまざまな思いを込めて学生たちが駅伝に集中でき、それをわれわれ観衆が楽しめるという平和な社会に生きていることを喜びましょう。そして暮らしを楽しむ余裕などない困窮した人びと、戦火に怯える人びと、難民としてテントに暮らす人びと、自然災害や環境危機に追いつめられる人々が、日本にも世界にも数多いるということを決して忘れないようにしましょう。パレスチナを代表する詩人マフムード・ダルウィーシュ(2008年死去)の「他者のことを考えて」という作品の一部です。


 朝食を作るとき、他者のことを考えて(鳩の糧を忘れないで)。戦争をするとき、他者のことを考えて(平和を求める人々を忘れないで)。水道料金を払うとき、他者のことを考えて(暗雲を飲んで生きる人々がいる)。家に、あなたの家に帰るとき、他者のことを考えて(テントの民を忘れないで)。]]>
鶏肋 sabasaba13 Tue, 07 Jan 2025 07:37:02 +0900 2025-01-07T07:37:02+09:00
核兵器廃絶とアメリカ http://sabasaba13.exblog.jp/33640437/ http://sabasaba13.exblog.jp/33640437/ <![CDATA[ ノーベル平和賞授賞式における被団協代表委員・田中熙巳氏のスピーチを聞いて、あらためて核兵器の残虐性と非人道性、そしてその廃絶の必要性についての思いを強くしました。どうすれば核兵器を廃絶できるのか。そのひとつの鍵を握るのが、アメリカの態度だと思います。
 広島・長崎への原子爆弾投下によって日本政府は降伏をし、日本本土上陸作戦を避けることができた。結果として多くのアメリカ兵および日本人の犠牲をなくすことができた。よって原爆投下は間違っていなかった。Q.E.D. これが戦後の、そして現在のアメリカ政府の公式見解ですね。ということは、「犠牲を減らすために核兵器を使用してもやむを得ない」という論理が、今でも通用するということです。ロシア政府が「ロシア人・ウクライナ人の犠牲を減らすため」、あるいはイスラエル政府が「イスラエル人・ガザ市民の犠牲を減らすため」に核兵器を使用しても、世界はそれを許容せざるを得ない。
 しかし本当にそうなのでしょうか。管見の限りでは、もう日本の降伏は決定的であり、原爆を投下する必要はなかったと考えられます。それでも原爆を投下した理由として、アメリカの軍事力で日本を降伏させたという印象をつくり戦後の日本を勢力範囲に入れること。すでに始まっていた冷戦下、ソ連に核兵器の威力を見せつけて優位に立つこと。莫大な予算を使ったことに対する議会へのexcuse。核兵器の破壊力や放射能の人体への影響に関するデータが欲しい、つまり人体実験。世界のウラン鉱山を支配している大財閥ロックフェラー(スタンダード石油も支配)とモルガンからの圧力。以上のような理由が考えられます。
 つまり、自国の利益と都合のために、その必要性もないのに、残虐かつ非人道的な原爆を投下したのではないか。自国の利益と都合のために他国の民衆を犠牲にするという政策は、実は原爆だけに限りません。第二次世界大戦後、アメリカが広範に行ってきた外交政策です。そのことを歯に衣着せずに真っ向から批判したのがコロンビアの作家、ガブリエル・ガルシア・マルケス氏(1928‐2014)です。そう、最近彼の傑作『百年の孤独』が文庫化されて話題になりましたね。『しんぶん赤旗』(2003.2.16)によると、アメリカのジョージ・ブッシュ大統領に対して、2003年2月6日に公開書簡を出しています。以下、引用します。


 どのように感じますか。戦慄が隣人の居間でなくて、あなたの庭を走っているのを見たとき、どう感じていますか。
 あなたの胸を締め付ける恐怖、耳をふさぎたくなるような騒音がもたらす大混乱、制御できない炎、倒壊する建物、肺の奥までしみとおる嫌なにおい、血と埃でおおわれて歩く無実の人々の目をどう感じますか。
 ある日あなたの家で何かわからないことが起きるかもしれないときどうしますか。
 どのようにショック状態から立ち上がりますか。そのショック状態の中で、1945年8月6日、広島の生存者たちは歩いたのです。
 アメリカ軍のエノラ・ゲイの砲撃手が爆弾を投下した後、その都市では立っているものは何もなくなりました。
 数秒にして8万人の男女、子どもたちが死にました。さらに25万人が放射能が原因でその後の数年間で死ぬことになりました。
 しかし、それはずっと遠いところの戦争で、その時はテレビもありませんでした。
 忌まわしい9月11日の事件が遠い土地で起きたのではなく、あなたの祖国で起きたことを、恐ろしいテレビの映像があなたに語るとき、今日、あなたは戦慄をどう感じるのでしょうか。
 もうひとつの9月11日、しかし28年前に、サルバドール・アジェンデという名前の大統領があなたの政府が計画したクーデターに抵抗して死にました。
 それもまた、恐怖の時でした。しかし、それは、あなたの国境から大変遠く離れた、南アメリカの無知の共和国もどきで起きたことでした。
 いくつかの共和国もどきが、あなたの裏庭にあり、あなたの海兵隊が血を流し、砲火を交え、自分たちの立場を他国に押し付けたとき、あなたは大して気にもかけませんでした。
 1824年から1994年の間に、ラテンアメリカ諸国を73回も侵略したことをあなたは知っていますか。犠牲者は、プエルトリコ、メキシコ、ニカラグア、パナマ、ハイチ、コロンビア、キューバ、ホンジュラス、ドミニカ共和国、バージン諸島、エルサルバドル、グアテマラ、グレナダでした。
 ほぼ1世紀前から、あなたの政府は戦争状態にあります。20世紀の初頭から、あなたの国防総省の人々が参加しなかった戦争は世界でほとんどありませんでした。
 もちろん、爆弾は常にあなたの国土の外で爆発しました。例外は、1941年日本の飛行機が第七艦隊を爆撃したパールハーバーの時でした。
 しかし、常に恐怖は、遠くにありました。
 ツインタワーが埃の中で倒壊したその朝、あなたはマンハッタンにいましたので、テレビの映像を見て、叫び声を聞きました。その時、あなたは、ベトナムの農民が長年にわたって感じたことを一寸たりとも考えましたか。マンハッタンでは、人々が、摩天楼から悲劇の操り人形のように落下しました。
 ベトナムでは、ナパーム弾が長い時間肉を焼き続けたので、人々は悲鳴をあげました。ちょうど空中に絶望的に身を投じて落下した人々と同じように、その死はすさまじいものでした。あなたの飛行機は、ユーゴスラビアでは工場や橋をひとつ残らず破壊しました。
 イラクでは50万人が死にました。
 50万の魂が、砂漠の嵐作戦で失われました…
 何人が、異国で、遠いところで、血を流したことでしょうか。ベトナム、イラク、イラン、アフガニスタン、リビア、アンゴラ、ソマリア、コンゴ、ニカラグア、ドミニカ共和国、カンボジア、ユーゴスラビア、スーダンで。それは、果てしないリストになります。
 それらのすべての場所で、使用されたミサイルは、あなたの国の工場で製造されたものであり、あなたの若者によって、あなたの国務省によって雇われた人々によって発射されたものです。これらは、あなたがアメリカ式生活様式を引き続き楽しむことができるようにするためだけでした。
 ほぼ1世紀前から、あなたの国は世界中で戦争状態にあります。
 奇妙なことに、あなたの政府は、自由と民主主義の名のもとに黙示録の騎士を投入します。
 しかし、世界の多くの国民にとって(この地球では、毎日2万4千人が飢えと治癒可能な病気で死んでいます)、アメリカ合衆国は自由を代表するものではないこと、そうではなくて、戦争、飢餓、恐怖、破壊をばらまいている遠くて恐ろしい敵であることを、あなたは知らなければなりません。あなたにとっては、戦争は、常に遠いものでしたが、しかし向こうに住んでいる人々にとっては、爆弾によって建物が破壊され、恐ろしい死をまのあたりにする戦争は、身近な痛ましい現実です。そして、犠牲者の90%は、住民、女性、老人、子どもでした(当然の結果ですが)。
 たとえほんの一日であっても、あなたの家の扉を恐怖が叩くとき、どのように感じますか。
 ニューヨークの犠牲者たちが、税金をきちんと納め、一匹のハエも殺せないような秘書や、証券市場のオペレーターや、清掃人であったならばどう考えますか。
 どのように恐怖を感じますか。
 アメリカ人よ、長い戦争が、最終的に9月11日にあなたの家に到着したとわかったならば、どう感じますか。
 ガブリエル・ガルシア・マルケス (新藤通弘氏訳)

 核兵器廃絶のためにも戦争や武力紛争をなくすためにも、まず止めるべきは、ロシアやイスラエルや北朝鮮や中国の暴走ではなく、アメリカの暴走だと考えます。いかがでしょう。
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鶏肋 sabasaba13 Mon, 16 Dec 2024 09:47:08 +0900 2024-12-16T09:47:08+09:00
被団協代表委員・田中熙巳氏のスピーチ http://sabasaba13.exblog.jp/33639610/ http://sabasaba13.exblog.jp/33639610/ <![CDATA[ オスロで行われたノーベル平和賞の授賞式における日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員・田中熙巳(てるみ)氏のスピーチをリアルタイムで見ていました。以下、『東京新聞』(24.12.10)からその一部を引用します。


 私たちは1956年8月に「日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)」を結成しました。生きながらえた原爆被害者は歴史上未曽有の非人道的な被害を再び繰り返すことのないようにと、二つの基本要求を掲げて運動を展開してきました。一つは、日本政府の「戦争の被害は国民が受忍しなければならない」との主張にあらがい、原爆被害は戦争を開始し遂行した国によって償われなければならないという運動。二つは、核兵器は極めて非人道的な殺りく兵器であり人類とは共存させてはならない、速やかに廃絶しなければならない、という運動です。

 これは絶対に忘れてはならない点です。えてしてメディア等は、後者の要求ばかりを大きく取り上げますが、日本政府に原爆被害を償わせることも被団協の掲げるもう一つの大きな要求です。私の理解では、戦争を起こした責任を日本政府に認めさせて償いをさせ、二度と戦争を起こさせないということだと思います。スピーチの中でも、被爆者に対する日本政府の向き合い方について詳しく触れられていました。


 生き残った被爆者たちは被爆後7年間、占領軍に沈黙を強いられ、さらに日本政府からも見放され、被爆後の10年間を孤独と、病苦と生活苦、偏見と差別に耐え続けました。

 こうした政府の無慈悲な態度を改めさせたのが1954年に起きたいわゆる「第五福竜丸事件」とその後に始まった「原水爆反対運動」です。もう一つ忘れていけないのが、東京原爆裁判です。被団協のホームページから引用します。


 1955年4月、広島の下田隆一ら3人が岡本尚一弁護士を代理人として、国を相手に束京地裁に損害賠償とアメリカの原爆投下を国際法違反とすることを求めて訴訟を提起した。
 被爆者に対して国が何らの援護も行なわずに放置していた時期のことである。
 束京地裁は、1963年12月に判決を言い波した。
 判決は、原告の請求を棄却したが、「アメリカ軍による広島・長崎への原爆投下は国際法に違反する」とし、「被爆者個人は損害賠償請求権を持たない」が、「国家は自らの権限と責任において開始した戦争により、多くの人々を死に導き、障害を負わせ、不安な生活に追い込んだのである。しかもその被害の甚大なことは、とうてい一般災害の比ではない。被告がこれに鑑み十分な救済策を執るべきことは、多言を要しないであろう。それは立法府および内閻の責務である。本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられない」と述べている。
 この裁判は、その後、被爆者援護施策や原水爆禁止連動が前進するための大きな役割を担った。訴訟提起後の1957年に原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(※1)が制定され、判決後の世論の高まりもあり、1968年9月には原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(※2)が施行されたのである。

 ちなみにこの判決を下したのは古関敏正裁判長、高桑昭裁判官、そして「虎に翼」の主人公のモデルとなった三淵嘉子裁判官です。"政治の貧困を嘆かずにはおられない"、重い言葉ですね。しかし…


 1994年12月、2法(※1と※2)を合体した「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(被爆者援護法)」が制定されましたが、何十万人という死者に対する補償は一切なく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けてきています。

 戦前・戦中の日本政府が犯した国策の誤りによって亡くなった(殺された)死者に対する償いを、戦後の日本政府は果たすべきだが、それを全くしていないという強い批判だと思います。その憤りの指摘に私は固唾を呑みましたが、それに続く言葉を聞いて固まってしまいました。


 もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい。

 何という激烈な日本政府への糾弾。そして日本政府の無恥と無責任を全世界の人びとに伝えようとする強靭な意思。快哉を叫ぶのも忘れて、田中氏の言葉に聞き入りました。
 このきわめて重要な田中氏のメッセージを、各メディアはどう伝えるか。この後のニュースをいくつか見ましたが、核廃絶の訴えについては大きく取り上げていましたが、もう一つの柱である日本政府への批判と糾弾についてはまったく触れません。嘘でしょ。
 しかしその二日後にこれに関する記事を掲載した『東京新聞』(24.12.12)に、ジャーナリズムの矜持を感じました。


「受忍論」を真っ向非難 戦争被害や等しく我慢 平和賞受賞被団協・田中熙巳さん 「繰り返します。原爆死者への償い 政府はしていない」

 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員の田中熙巳さん(92)は10日のノーベル平和賞受賞演説で、原爆被害への国家補償を拒む日本政府を、草稿にない内容を加えて真っ向から非難した。政府が根拠にするのは戦争被害は国民が等しく我慢すべきだとの「受忍論」。被爆者が求める補償への壁は厚い。専門家は、戦争責任の追及がなければ「また繰り返される」との危機感が演説ににじんだと分析する。

 「日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けている」。歴史的舞台で、田中さんはさらに草稿にない言葉を加えた。「もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは日本政府は全くしていない」。正面を見据え、力強い口調だった。
 演説後も取材に「国が保証することに、どんな意味があるかを感じてほしかった」と強調。「なぜ一貫して拒否するのか。戦争の時に亡くなる命はごみと同じなのか」と怒りを隠さない。
 1945年8月の米国の原爆投下で、広島と長崎を合わせ推計約21万4千人が同年末までに死亡。その後も無数の人が後遺症で亡くなった。病気や差別を苦に自ら命を絶った人もいる。被団協が掲げる「基本要求」で、国家補償は核兵器廃絶と並ぶ重要な柱だ。政府の戦争責任を追及し、原爆死没者の遺族への年金支給なども求めている。
一方、80年に当時の厚生相の私的諮問機関が答申で受忍論を打ち出し、政府は民間の被害者への国家補償を否定した。巨額の償いや、戦争責任が蒸し返されることへの抵抗感があるのではないかと今も指摘される。
政府は被爆者援護法に基づき医療費や葬祭料などは支給している。訴訟に敗れてようやく在外被爆者を対象に加えるといった対応に、場当たり的だとの批判は尽きない。
 林芳正官房長官は11日の記者会見で原爆死没者への国家補償について問われ「戦災により亡くなった一般の方々と同様に、給付などは行っていない」と述べた。
 45年3月10日の東京大空襲で母と弟2人を亡くした河合節子さん(85)は全国空襲被害者連絡協議会(空襲連)の事務局次長として国に補償を求めている。受賞演説を「非常に共感した」と評価し「国の意思による戦争の責任を国が取らないのはおかしい」と話した。
 田中さんは演説の最後に「核兵器も戦争もない世界」の実現を呼びかけた。核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の国際運営委員の川崎哲さんは会場で聞き「国家補償を求めているのは重要な部分。戦争を起こした国が補償をしないとなると、戦争が繰り返されるとの思いがあるのではないか」と推し量った。(オスロ・共同)

【水島朝穂・早稲田大学名誉教授(憲法学)の話】 授賞式の演説で、被団協の代表委員田中熙巳さんは国家補償を拒む日本政府を非難した。国が始めた戦争なのに、被害を受けた民間人への補償を政府が怠り続けてきたことを知らしめた。被爆者ですらそんな粗末な扱いを受けてきたことは、世界に驚きをもって受け止められるのではないか。空襲被害者への補償も実現しておらず、立法を急ぐべきだ。戦争は究極の人災。国民は等しく我慢すべきだとの「受忍論」は克服されねばならない。被団協は全ての戦争被害への国家補償を求めてきた。戦後80年を目前とした今も、「償いがされていない」という田中さんの言葉は重い。

 なお政府が戦争責任を認めず、被害者に対する補償をしていないという問題は、被爆者だけのものではありません。『週刊金曜日』(№1466 24.3.29)から引用します。


黒風白雨 空襲被害者救済法の制定を急げ 宇都宮健児

 1945年3月10日未明の東京大空襲から79年となった。米軍の無差別爆撃で東京の下町は火の海となり、一夜で約10万人が犠牲となった。米軍の空襲は東京だけではなく、大阪、名古屋、神戸など全国200ヵ所以上の都市で敗戦まで行なわれ、多くの犠牲者が出たが、空襲被害の全貌はいまだに明らかになっていない。
 国は軍人・軍属や遺族に対してはこれまでに約60兆円の補償を行なってきているが、空襲などによる民間の戦争被害者に対しては原爆被害者など一部を除き、「戦争被害は等しく受忍すべきだ」(戦争被害受忍論)と主張して、まったく補償を行なってきていない。
 名古屋空襲で左目を失った故杉山千佐子さんが72年、全国戦災傷害者連絡会(全傷連)を設立し、民間の空襲被害者への補償を求める運動を始めた。この運動を受けて70~80年代、旧社会党を中心に民間人への補償をめざす戦時災害援護法案が14回にわたって国会に提案されたが、すべて廃案となった。2000年代には、東京、大阪、沖縄で空襲被害者が国に対し、謝罪と補償を求める集団訴訟を起こしたが、いずれも敗訴した。ただ2009年の東京地裁判決は「立法を通じて解決すべき問題」とし、立法的解決を促した。
 この判決を受けて10年に全国空襲被害者連絡協議会(全国空襲連)が結成され、翌年には超党派の国会議員による空襲議員連盟(空襲議連)が発足した。
 空襲議連は、①空襲などで心身の障害を負った民間被害者への一時金の支給②国による空襲被害の実態調査③追悼施設の設置-を柱とする空襲被害者救済法の要綱案をまとめているが、自民党内の調整が進まず、法案はいまだに国会に提出されていない。
 日本と同じ第2次世界大戦敗戦国であったドイツでは、1950年、西ドイツで「戦争犠牲者の援護法」が制定され、軍人や民間人といった立場に関係なく、またドイツ国籍があるか否かに関係なく、被害に応じた補償が行なわれてきている。同じく第2次世界大戦敗戦国であったイタリアでも、78年、「民間被害者に軍人と同等の年金を支給する関連法」が制定され、民間の戦争被害者にも補償が行なわれている。
 また、第2次世界大戦の戦勝国であったアメリカやイギリス、フランスでも、軍人に限らず、民間の戦争被害者に対する補償が行なわれてきている。
 このような主要国の対応を見てくると、「戦争被害受忍論」を振りかざして民間の戦争被害者に対する補償を拒み続けている日本政府の対応は、異様であるとしか言いようがない。
 日本政府は、軍人・軍属と差別することなく空襲被害者など民間の戦争被害者に対しても、同じ戦争被害者として補償を行なうべきである。
 現在では空襲被害者の多くが高齢化しており、空襲被害者の救済を求める運動を担ってきた被害者の中でも亡くなる人が相次いでいる。高齢の空襲被害者にとって残された時間は少ない。国は空襲被害者救済法の制定を急ぐべきだ。(p.62)

 戦前・戦中の日本政府が犯した国策の誤りを認めず、それによって亡くなった(殺された)死者に対する償いをしない戦後・現在の日本政府。要するに、戦前の日本政府と現在の日本政府には連続性があるということです。ということは、私たちを犠牲にした無謀な国策の強行を、現今の自公政府はこれからも何度でも繰り返すつもりなのでしょう。米軍の下請けとなっての台湾有事への対応しかり、核(原子力)発電への拘泥しかり。あらためて"政治の貧困"を深く深く嘆くとともに、それを許容するあるいは無関心な有権者の意識の貧困をも嘆かざるをえません。
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鶏肋 sabasaba13 Sun, 15 Dec 2024 07:51:30 +0900 2024-12-15T07:51:30+09:00
石橋氏と石破氏 http://sabasaba13.exblog.jp/33632085/ http://sabasaba13.exblog.jp/33632085/ <![CDATA[ 石破茂首相が、所信表明演説で石橋湛山の演説を引用したそうですね。『西日本新聞』(24.11.30)から転記します。


 約2カ月前の所信表明演説とは様変わりした。「真摯に」「謙虚に」-。石破茂首相は「少数与党」で迎える臨時国会の本格論戦を前に、29日の演説で野党への配慮を全開にした。戦後首相を務めた石橋湛山の演説を引用し、与野党で合意形成を図らざるを得ない現状を「民主主義のあるべき姿」と肯定。就任60日を迎えたが、政策面で打ち出せる成果は乏しく「石破カラー」は引き続き控えめとなった。
 冒頭、石橋の言葉から始めた首相は「力を合わせるべきことについては相互に協力を惜しまず、世界の進運に伍(ご)していくようにしなければならない」。
 首相が生まれた1957年2月4日に行われた石橋内閣の施政方針演説を読み上げ強調した。「他党にも丁寧に意見を聞き、可能な限り幅広い合意形成を図る」

 石破政権はこれまでのところ、歴代の自民党政権と大差はないようですが、「スフィア基準」に言及した点と、湛山の演説を引用した点については評価します。
 石橋湛山…日本近現代史において、私が尊敬する政治家・ジャーナリストの一人です。批判や異論を大切にし、合理性を尊重し、不撓不屈の精神を持つ稀有なる人物。現在の政治家やジャーナリストの鑑に値する方です。
 石破首相も彼を尊敬しているとのことですが、できればこの言葉を引用してほしかったなあ。『戦後史の正体 1945‐2012』(孫崎享 創元社)から転記します。


 ではそうした国際政治の現実のなかで、日本はどう生きていけばよいのか。
 本書で紹介した石橋湛山の言葉に大きなヒントがあります。終戦直後、ふくれあがるGHQの駐留経費を削減しようとした石橋大蔵大臣は、すぐに公職追放されてしまいます。そのとき彼はこういっているのです。
 「あとにつづいて出てくる大蔵大臣が、おれと同じような態度をとることだな。そうするとまた追放になるかもしれないが、まあ、それを二、三年つづければ、GHQ当局もいつかは反省するだろう」
 そうです。先にのべたとおり、米国は本気になればいつでも日本の政権をつぶすことができます。しかしその次に成立するのも、基本的には日本の民意を反映した政権です。ですからその次の政権と首相が、そこであきらめたり、おじけづいたり、みずからの権力欲や功名心を優先させたりせず、またがんばればいいのです。自分を選んでくれた国民のために。
 それを現実に実行したのが、カナダの首相たちでした。まずカナダのピアソン首相が米国内で北爆反対の演説をして、翌日ジョンソン大統領に文字どおりつるしあげられました。カナダは自国の10倍以上の国力をもつ米国と隣りあっており、米国からつねに強い圧力をかけられています。しかしカナダはピアソンの退任後も、歴代の首相たちが「米国に対し毅然と物をいう伝統」をもちつづけ、2003年には「国連安全保障理事会の承認がない」というまったくの正論によって、イラク戦争への参加を拒否しました。国民も七割がその決断を支持しました。
 いま、カナダ外務省の建物はピアソン・ビルとよばれています。カナダ最大の国際空港も、トロント・ピアソン国際空港と名づけられています。カナダ人は、ピアソンがジョンソン大統領につるしあげられた事実を知らずに、外務省をピアソン・ビルとよんだり、自国で最大の飛行場をピアソン空港と呼んでいるわけではありません。そこには、
 「米国と対峙していくことはきびしいことだ。しかし、それでもわれわれは毅然として生きていこう。ときには不幸な目にあうかもしれない。でもそれをみんなで乗りこえていこう」
 という強いメッセージがこめられているのです。(p.171~2)

 こちらの言葉でも結構です。『従属の代償 日米軍事一体化の真実』(布施祐仁 講談社現代新書2754)から転記します。


 岸信介首相が1960年1月に署名した新日米安全保障条約の批准をめぐって国会が大紛糾していた頃、湛山はマスコミの取材に応えて次のように語っています。
 「米ソにはさまった日本のような国では平和と安全を守るためには東西間の緊張増大をできるだけ避けるようにする以外生きる道がないのに東西の関係は悪化し、日本は一方の陣営にばかり深入りしていく。もちろん世界のなかで日本にもっとも好意的なのは米国であり、対米協調は必要だが、一番大切なのは日本自体の安全と平和であり、対米一辺倒は危険だ」 (朝日新聞、1960年5月20日夕刊) (p.238~44)

 アメリカとは協調的な関係を保ちながらも、言うべきことについては毅然と言う。石破首相には、この湛山の姿勢を学んでほしいと思います。「中国との緊張を煽るのはやめてほしい」「在日米軍が日本の法律に従うよう、日米地位協定を改定すべきだ」「もうアメリカ製兵器の爆買いはしない」、石橋湛山が首相だったら必ずやこう主張するのではないでしょうか。


 あまり期待はしないで、その行動を見張っていきましょう。もしこれらを実現すれば、成田・石破国際空港に改名してもいいですよ。
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鶏肋 sabasaba13 Wed, 04 Dec 2024 08:09:06 +0900 2024-12-04T08:09:06+09:00
ノルウェイ国王ハーラル5世のスピーチ http://sabasaba13.exblog.jp/33610639/ http://sabasaba13.exblog.jp/33610639/ <![CDATA[ 『なぜ難民を受け入れるのか』(橋本直子 岩波新書2018)を読んでいたら、ノルウェイ国王ハーラル5世が、2016年9月の宮廷庭園パーティでおこなった素晴らしいスピーチの一部が紹介されていました(p.246)。こんな出合いがあるから読書はやめられません。SNS上で300万回以上再生され国際的にも大きな話題となったそうです。これはぜひ全てを読んでみたい。こういう時にインターネットはほんとうに便利ですね、すぐに「ヤフーニュース」で見つかりました。ぜひとも紹介します。


2016年9月1日
宮廷庭園パーティでの、ノルウェイ国王ハーラル5世のスピーチ

 ノルウェーとは、なんでしょう? ノルウェーとは、人でできています。ノルウェー人とは、北部県民、中部県民、南部県民。そして、全ての地域の人々のことです。ノルウェー人とは、アフガニスタン、パキスタン、ポーランド、スウェーデン、ソマリア、シリアからの移民でもあります。私の祖父母は、110年前のデンマークと英国からの移民です。
 私たちが、どこからやってきたのか、それは時に簡単に言い表すことはできません。どこの国籍に、私たちが所属しているかも。私たちが、故郷とよぶものは、私たちの心の中にあり、国境で位置づけすることはできません。
 ノルウェー人とは、若者で、高齢者で、背が高く、背が低く、健康で、車イスを使う者もいます。100歳以上の人も増えてきました。ノルウェー人とは、裕福で、貧乏で、その間にいる人もいます。サッカー、ハンドボール、クライミング、山頂、船が好きな人もいれば、ソファに座っていることを好む人もいます。自分に自信がある人もいます。ありのままの自分が、すでに十分なのだと、信じられずに苦しんでいる人もいます。
 ノルウェー人は、店、病院、石油掘削施設で働きます。私たちが安全でいられるように働き、地球からゴミを掃除して、グリーンな未来のために新しい解決策を探します。ノルウェー人は、熱心な若者、人生経験が豊富な高齢者です。ノルウェー人は、独身で、離婚していて、子どもがいる家族で、年老いた夫婦です。ノルウェー人は、女の子が好きな女の子で、男の子が好きな男の子、そして、お互いを好きな女の子と男の子です。ノルウェー人は、神様を、アッラーフを、全てを信じます。何も信じない人もいます。
 ノルウェー人は、グリーグ(作曲家)、Kygo(今大人気のDJ)、Hellbillies(90年代からのロックグループ)、 Kari Bremnes(フォーク音楽家)が好きです。
 別の言葉で言うと、ノルウェーとは、あなた方です。ノルウェーとは、私たちです。私のノルウェーへの最大の望みは、互いを思い合っていくことです。私たちには違うところもありますが、私たちはひとつです。ノルウェーとは、ひとつなのです。

 高い見識を感じさせる、素晴らしいスピーチです。多様な人びとの存在を認め、公正に包摂する。多様性(Diversity)と公正(Equity)と包摂(Inclusion)、いわゆるDE&Iがノルウェーの国是であると国王が宣言しているのだと思います。
 さてこのスピーチを日本で置き換えたらどうなるでしょう。試しに行なってみました。仮にA案としておきます。


【スピーチA案】
 日本とは、なんでしょう? 日本とは、人でできています。日本人とは、北海道、本州、四国、九州、南西諸島。そして、全ての地域の人々のことです。日本人とは、大陸、半島、北や南の島々、ベトナム、バングラデシュ、スリランカ、アフガニスタン、パキスタン、ブラジルからの移民でもあります。
私たちが、どこからやってきたのか、それは時に簡単に言い表すことはできません。どこの国籍に、私たちが所属しているかも。私たちが、故郷とよぶものは、私たちの心の中にあり、国境で位置づけすることはできません。
 日本人とは、若者で、高齢者で、背が高く、背が低く、健康で、車イスを使う者もいます。100歳以上の人も増えてきました。日本人とは、裕福で、貧乏で、その間にいる人もいます。サッカー、野球、卓球、山登りが好きな人もいれば、ソファに座っていることを好む人もいます。スマートフォンはほとんどの人が大好きです。自分に自信がある人もいます。ありのままの自分が、すでに十分なのだと、信じられずに苦しんでいる人もいます。
 日本人は、会社、店、病院、学校、役所で働きます。私たちが安全でいられるように働き、地球からゴミを掃除して、グリーンな未来のために新しい解決策を探します。日本人は、熱心な若者、人生経験が豊富な高齢者です。日本人は、独身で、離婚していて、子どもがいる家族で、年老いた夫婦です。日本人は、女の子が好きな女の子で、男の子が好きな男の子、そして、お互いを好きな女の子と男の子です。日本人は、神様を、仏様を、アッラーを、全てを信じます。何も信じない人もいます。
 日本人は、YOASOBI、Mrs. GREEN APPLE、スピッツが好きです。
 別の言葉で言うと、日本とは、あなた方です。日本とは、私たちです。私の日本への最大の望みは、互いを思い合っていくことです。私たちには違うところもありますが、私たちはひとつです。日本とは、ひとつなのです。

 いやいやいや、そんな日本は嫌だと思われる方もおられるかもしれません。そこでA案とは対極的なB案も考えてみました。


【スピーチB案】
 日本とは、なんでしょう? 日本とは、人でできています。日本人とは、北海道、本州、四国、九州、南西諸島などで昔から暮らしている人々のことです。大陸、半島、北や南の島々、ベトナム、バングラデシュ、スリランカ、アフガニスタン、パキスタン、ブラジルからの移民は日本人ではありません。
 私たちが、どこからやってきたのか。やってきたのではありません。悠久の昔からこの列島に住んでいます。故郷とよぶものは、国境で位置づけた日本列島です。
 日本人とは、若者で、高齢者で、背が高く、背が低く、健康で、車イスを使う者もいます。100歳以上の人も増えてきました。日本人とは、裕福なほんの一部の人と、貧乏なたくさんの人です。サッカー、野球、卓球、山登りが好きな人もいれば、ソファに座っていることを好む人もいます。スマートフォンはほとんどの人が大好きです。自分に自信がある人はあまりいません。ありのままの自分が、すでに十分なのだと、信じられずに苦しんでいる人がたくさんいます。
 日本人は、会社、店、病院、学校、役所で働きます。自分のための金を稼ぐためです。日本人は、熱心な若者、人生経験が豊富な高齢者です。日本人は、独身で、離婚していて、子どもがいる家族で、年老いた夫婦です。正常な日本人は、お互いを好きな女の子と男の子です。女の子が好きな女の子や、男の子が好きな男の子は、異常な日本人です。ほとんどの日本人は、お金以外は何も信じていません。
 日本人は、YOASOBI、Mrs. GREEN APPLE、スピッツが好きです。
 別の言葉で言うと、日本とは、日本人であるあなた方です。日本とは、日本人である私たちです。移民や外国人労働者や在日コリアンは日本人ではなく、日本には含まれません。私の日本人への最大の望みは、日本という国を愛してほしいということです。私たち日本人はひとつです。

 もちろんこの両案の間にはグラデーションのあるいろいろな案があるでしょうが、あえて二者択一にしましょう。どちらの案を選びますか?
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鶏肋 sabasaba13 Tue, 05 Nov 2024 08:11:31 +0900 2024-11-05T08:11:31+09:00
鬼畜のような国 http://sabasaba13.exblog.jp/33609885/ http://sabasaba13.exblog.jp/33609885/ <![CDATA[ フォルダの片隅で上梓し忘れた記事を見つけました。今でも通用する重要な内容だと思うので、埃をはたいて掲載します。ご海容ください。


 『週刊金曜日』(№1393 22.9.16/23)の記事を読んでいて目が点になりました。いま、日本において高齢者がどういう状況にあるのか、高齢者の方も、やがて高齢者になる方も、ぜひ読んでほしいと思います。なお図表は割愛します。


職場で安全が脅かされる高齢者 井上伸

 【図表1】は労働災害によって死亡した労働者に占める60歳以上の割合を見たもの。1992年の19・7%から2021年の42・4%へ2倍以上となり初めて4割を超えた高齢者の労災死亡は過去最悪の事態だ。実数は368人で60歳以上の労働者が毎日1人命を落としていることになる。就業者数(総務省「労働力調査」)に占める60歳以上の割合を見ると、1992年の12・3%(実数は793万人)から2021年の21・4%(実数は1438万人)へ1・7倍になり、就業者の5人に1人が60歳以上である。この就業者に占める割合より労災死亡の割合が2倍近く高いことが、高齢者の労災死亡のリスクの高さを示している。
 【図表2】は60代の労働者に「現在仕事をしている理由」を聞いたもの。「経済上の理由」が81・7%(19年調査)と突出して多く、14年調査からさらに5・7ポイント増え、高齢者が生活のために働かざるを得ない状況が広がっている。
 【図表3】はOECD(経済協力開発機構)加盟国において平均賃金に対する公的年金給付額の比率を見たもの。日本の年金給付額はわずか38・7%でイタリアの半分以下、OECD加盟国38カ国平均の6割しかない。
 【図表4】は65歳以上の対する就業者の割合を国際比較したもの。日本は25・3%と65歳以上の4人に1人が働いている。これはOECD加盟38カ国平均の2倍以上である。これらの統計から日本の高齢者は低年金のため死ぬまで働かざるを得ず、労災死亡のリスクにさらされているといえる。
 最近、国政選挙のたびごとに「シルバー民主主義」などと揶揄され、有権者全体のなかで高い割合を占める高齢者向けの施策が優先される政治がまかり通っているかのような言説が流布される。しかし日本の高齢者の実態はどの世代よりも貧困率が高く(18年のOECD統計で65歳以上の貧困率は20%に対し18~65歳の貧困率は13%)、国際比較においても日本の65歳以上の貧困率20%はG7(主要7カ国)で2番目の高さで高齢者優遇とはほど遠い水準だ。自己責任で高齢者の貧困を放置する高齢者冷遇が日本社会のリアルである。(p.26)

 年金給付額があまりに低いので死ぬまで働かざるを得ず、対策が甘いためか労働災害にあう危険性が高い高齢者。これは「冷遇」どころではなく「虐待」です。高齢者の一人として強い憤りを覚えます。
 さらに同誌同号で、藤田和恵氏が、高齢者の働く現場についてのルポを報告しています。


 東京都内で一人暮らしをする大谷絢子さん(仮名、68歳)も低年金ゆえに、定年退職後の一時期はダブルワークをしていた。長年、飲食店のアルバイトとして働いてきた。フルタイム勤務で、新入社員の教育係を任されたこともあったが、やはりアルバイトという理由で厚生年金に入ることができなかった。周囲から「国民年金はいずれ破綻する。入っても無駄」といわれ、民間の個人年金保険に加入したという。50代で転職したものの、今度は契約社員という理由で退職金がゼロだった。
 退職したときはコロナ禍の真っただ中。家賃を払うためにすぐにも働く必要があったが、仕事探しは難航した。何とかありついたのはチラシ配りの仕事。ただし契約は雇用ではなく、業務委託である。労働者ではないので、万が一けがをしても労災は適用されない。
 「戸建て住宅の外階段を2、3段踏み外すなんてことも、(接近してくる)車に気が付かなかったなんてこともしょっちゅう。いつ大けがをしてもおかしくない毎日でした」
 そうでなくてもチラシ配りの仕事はハードだ。まずは「チラシお断り」の家をすべて頭に叩き込まなければならない。A4版のチラシの束は重さ4キロを超え、携帯の歩数計アプリが3万5000歩に上った日もあった。にもかかわらず、働き始めたころの報酬は時給に換算するとたったの400円だったという。
 数カ月後に清掃のアルバイトを見つけ、1年ほどダブルワークをした後、チラシ配りの仕事をやめた。とはいえ清掃の仕事も楽ではない。高層マンションを含め計3棟の共用部分と中庭の掃除を3人でこなさなくてはならない。経口補水液は欠かせないという。
 現在の収入は月15万円ほど。ただ個人年金が受給できるのは70代なかばまでだという。今一番不安なのは、将来家賃を払えなくなるのではということだ。現役時代に散々"非正規差別"を受けてきた大谷さんは「(国には)せめて家賃補助の制度をつくってほしい」と訴える。(p.30)

 まるでチャールズ・ディケンズの小説を読んでいるようです。いまは本当に21世紀なのでしょうか、頬をつねりたくなりました。非正規雇用、低賃金、低年金、適用されない労災。労働者を追い込み苦しめている諸制度が特に苛烈なダメージを与えるのが、社会的弱者である高齢者なのですね。よくわかりました。
 そして『東京新聞』(2022.9.18)は、高齢者に対するシルバー人材センターの安全管理の不備について報じています。


 シルバー人材センターから紹介された草刈り中に片目を失明した高齢男性が安全管理上の不備があるとして提訴、今年1月にセンターが和解金を支払っていたことが分かった。センターは会員と雇用関係がないため安全配慮義務がなく、提訴自体が異例。会員の高齢化で全国的に事故率が上がり重篤化の傾向もみられる中、長年あいまいにしてきた安全確保策の強化が課題に浮上している。(池尾伸一)

 失明したのは元タイル職人の野口光芳さん(80)。2016年10月、74歳の時にセンターから紹介を受け、大阪府の私大構内を刈り払い機で作業した。現場は30度の急斜面。湿気で保護眼鏡が曇って足元が見えず、滑落の危険から外して作業していると、泥が左目に入った。数日すると激痛を感じ、病院でカビ菌が入ったと判明。手術を受けたが視力は失われた。
 センターの傷害保険で支払われたのは治療費程度で後遺症の補償もない。「危険な現場を紹介すべきでなかった」と大阪地裁にセンターを訴えたが、センターは「安全対策は本人の責任」と主張していた。和解を受け、自らも建設会社の安全衛生責任者を務める長男(49)は「急斜面の草刈りはプロの仕事。高齢者に任せきりなんてあまりにずさん。裁判しなかったら泣き寝入りだった」と振り返る。
 労働問題に詳しい龍谷大の脇田滋名誉教授は「法律上は安全配慮義務がないセンターが和解金を支払い、会員の安全確保の強化を確約した意味は重い。政府は高齢者を守る体制の整備を急ぐべきだ」と指摘した。
 センターは高齢者の生きがい増進を目的に「軽易な仕事」などのあっせんが建前だ。しかし会員1000人中の就業中事故は11年度の4.9件が21年度は5.7件と増加傾向。死亡と6カ月以上の入院を合わせた重篤事故も21年度までの5年間で143件(死亡94件)起き、その前の5年の127件(同89件)を上回る。埼玉県上里町では昨年9月、73歳の男性が、自走式草刈り機とともに斜面を転げ落ち、刃に巻き込まれ死亡した。
 会員の平均年齢は07年度まで60代だったが、21年度には74歳に上昇し、全国シルバー人材センター事業協会は「高齢化が事故発生率上昇の原因」と説明。労働安全衛生総合研究所の高木元也特任研究員は「高齢化で事故が起きやすくなる中、安全対策が追いついていない」とみる。
 企業の場合、安全管理責任者の配備や安全教育徹底など労働者保護が義務付けられる。センター会員は個人事業主のため安全対策も働き手自身の責任で行う原則で、構造的に弱さがある。高木氏は「会員任せでは限界がある。センターは安全教育や保護具着用の徹底が必要だ」と強調した。

 先述の記事にあった「労働災害によって死亡した労働者に占める60歳以上の割合が42・4%と4割を超え、過去最悪の事態」という指摘を想起すると、かなりの職場で安全管理に不備がありそうですね。


 そして朝日新聞デジタル(2022.9.18)は、働く高齢者18年連続して増え、65~69歳は「2人に1人」が働いていると報じてします。


 65歳以上の高齢者の人口は前年より6万人増えて3627万人、総人口に占める割合(高齢化率)は29・1%となり、それぞれ過去最高を更新した。高齢人口に占める就業者の割合は25・1%、65~69歳に限ると、割合は50・3%となり、初めて5割を超えた。政府は、人口減による人手不足対策として、高齢者の就労を後押ししている。
 19日の「敬老の日」に合わせて、総務省が推計した。高齢者の女性は2053万人(女性人口の32・0%)、男性は1574万人(男性人口の26・0%)。年齢別では75歳以上が1937万人で総人口の15・5%を占める。
 理由について同省は「団塊の世代(1947~49年生まれ)が22年に75歳を迎え始めたことが考えられる」としている。80歳以上は1235万人で前年より41万人増えた。

 高齢化率は世界200カ国・地域(人口10万人以上)のうち最高で、2位イタリア(24・1%)、3位フィンランド(23・3%)を大きく上回る。国立社会保障・人口問題研究所の推計では、第2次ベビーブーム世代が65歳以上になる2040年には、総人口の35・3%が高齢者になると見込まれている。

 労働力調査によると、昨年の高齢者の就業者数は過去最多の909万人。18年連続の増加となった。

 「政府は、人口減による人手不足対策として、高齢者の就労を後押ししている」というコメントが累ヶ淵に投げ込まれた小石のように不気味に響きます。低年金のために働かざるを得ない高齢者を、危険な労働環境のもとで低賃金で酷使し死んだら自己責任、と聞こえます。ん? もしかすると自民党・公明党政権は、高齢者を死ぬまで働かせるために、年金給付額を低廉に抑えているのではないでしょうか。だとしたら鬼畜のような国です。「ソイレント・グリーン」の世界まであと一歩ですね。
 高齢者を、女性を、外国人を、使い捨ての安い労働力として追い詰め使い潰す、♪これが日本だ、私の国だ♪ 「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」(教育基本法第2条)、そりゃ無理筋でしょう。ま、人間を人間として扱わないのが、近代日本の伝統と文化であることは認めますが。


 もう一回言っておけばよかったと後悔しないように、何千回も言われ尽くしたようなことでももう一度言いましょう。自民党と公明党に政権を委ねていたら命がいくつあっても足りません。一刻でも早く政権の座から引きずりおろし、ほんの少しでもマシな政党を政権につけましょう。
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鶏肋 sabasaba13 Mon, 04 Nov 2024 08:06:40 +0900 2024-11-04T08:06:40+09:00
最高裁裁判官国民審査 http://sabasaba13.exblog.jp/33606225/ http://sabasaba13.exblog.jp/33606225/ <![CDATA[ 以前に上梓した「最高裁を変えよう」という記事で、「よく調べよく考えて、われらの人権を蔑ろにするような最高裁裁判官に×をつけ、彼ら/彼女らに緊張感を与えようではありませんか」とみなさんに呼びかけました。その結果をNHKのサイトから転記します。なお、その際に紹介した日本民主法律家協会(日民協)作成のリーフレットに掲載された順番に沿って並べ替えました。


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 なおNHKの同サイトに、国民審査に詳しい明治大学政治経済学部の西川伸一教授による分析が載っていましたので併せて転記します。


― 結果について、率直な受け止めは。
西川教授:びっくりしました。4人は罷免すべきとする率が10%を超えましたが、近年にはなかったことです。
― なぜこのような結果になったと思いますか。
西川教授:1人に集中して「×」がついたわけではないので、今回は投票する人が、裁判官一人ひとりを意識して「×」をつけたということだと思います。
― 過去と比べて何か変化があったのでしょうか。
西川教授:これまで国民審査の情報は公報で知るぐらいで、政見放送もなく、情報が非常に限られていました。しかしSNSが発達し、メディアも特設サイトをつくり始めています。投票する側が、それぞれの裁判官について情報をかなりつかみ、それに基づいて国民審査に臨むことができ、投票行動が変わってきたのではないかと思います。
― こうした状況をどのように考えますか。
西川教授:国民審査のあるべき姿に一歩近づいたかなと思います。おざなりの投票ではいけないと考えてくれたのではないでしょうか。
― 長官(※今崎幸彦)の「×」の率がいちばん高いようですが。
西川教授:長官ということで今の最高裁判所のあり方に疑問を持つ人がつけた可能性は考えられます。
― 今回の結果を最高裁判所の裁判官たちはどのように受け止めるべきでしょうか。
西川教授:この結果によって個別意見を書かなくなるなど、裁判官が萎縮することはあってはなりません。ただ独善的にならない材料として「自分はこう見られているんだ」という参考にしてほしいと思います。罷免されなかったからいいではなく、こういった国民の声がある、国民とつながっているんだということを改めて自覚してもらいたいです。
― 私たち有権者が考えることは?
西川教授:これまでは「×」の割合がおおむね6%台で形骸化も指摘されていましたが、多くの有権者にとっても今回は転機になったのではないでしょうか。最高裁判所の判決は、私たちの国民生活に大きな影響を及ぼすこともあります。国民審査は決してセレモニーではなく、自分事として考えるいい機会なので、政治家に投票するのと同じ熱量で今後も臨んでもらいたいです。一つの「×」が積み重なれば裁判官は必ず参考にすると思います。

 罷免すべきとする率が10%を超えた裁判官が4人いたというのは異例なのですね。特設サイトやSNSによって、それぞれの裁判官に関する情報を入手しやすくなり、誰を罷免すべきか熟考する人が増えたのではないかという指摘は説得力があります。
 僭越ながら小生もそのうちの一人に加えていただきたい。今回の国民審査で私がマークした裁判官は3人います。まず「原発避難者訴訟」を上告不受理(門前払い)とした決定に関与した今崎幸彦裁判官。そして「安保法制違憲訴訟」で、安保法制の合憲/違憲の判断を回避した今崎幸彦裁判官・尾島明裁判官・宮川美津子裁判官。以上の三人は、私たちの人権を蔑ろにする許し難い裁判官と判断して思い切り「×」をつけました。さて結果は…僅差ではありますがこの三人がワースト3でした。これは偶然ではないと思いたいものです。信頼できる情報を集めて憲法や人権を貶める裁判官を炙り出して「×」をつけた方々が少なからずいるのだと信じます。同志よ。
 いつの日になるかわかりませんが、憲法や人権を軽視する裁判官を国民審査で片っ端から罷免させたいものです。政治家と同様に裁判官にも緊張感を与えて、司法の劣化を食い止めましょう。己の判決が市民に注視されているのだと。


 余談です。『腐敗する「法の番人」 警察・検察・裁判所の正義を問う』(鮎川潤 平凡社新書1050)に、最高裁に関する面白くかつ呆れ果てるエピソードが紹介されていたので是非紹介します。嘘だと言ってよ、ジョー。


 しかし裁判では、死刑は日本国憲法に違反していないとされる。その根拠として参照される最高裁判所の判例は二つある。
 一つは、1947(昭和22)年、もう一つは1948(昭和23)年の最高裁判所大法廷の判例である。
 このような表現をして申し訳ないが、前者はこれが日本で最高の頭脳レベルにあるはずの、最高裁判所の15人の裁判官が書く文章なのかと疑ってしまう。高学年の小学生のほうが、もっとまともな文章を書くに違いないと思われる。引用するのも恥ずかしくなるような文章である。しかし、紹介せざるをえないので次に示そう。

 ただ死刑といえども、他の刑罰の場合におけると同様に、その執行方法等がその時代と環境とにおいて人道上の見地から一般に残虐性を有すものと認められる場合には、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから、将来若し死刑について火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法を定める法律が制定されたとするならば、その法律こそは、まさに憲法第三十六条(※)に違反するものというべきである。
(※筆者注:公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる) (p.221)]]>
鶏肋 sabasaba13 Wed, 30 Oct 2024 07:23:15 +0900 2024-10-30T07:23:15+09:00
御慶 http://sabasaba13.exblog.jp/33605780/ http://sabasaba13.exblog.jp/33605780/ <![CDATA[ 与党の過半数割れ。 とりあえず溜飲がさがりました。


 御慶
 


  書きたいこと、言いたいことは山のようにあるので、追々掲載していきます。
]]>
鶏肋 sabasaba13 Tue, 29 Oct 2024 15:24:08 +0900 2024-10-29T15:24:08+09:00
最高裁を変えよう http://sabasaba13.exblog.jp/33603257/ http://sabasaba13.exblog.jp/33603257/ <![CDATA[ 幾度か拙ブログで述べましたが、司法の劣化には目を覆いたくなります。権力の乱用や暴走を防ぎ私たちの人権を守るという司法本来の役割を果たすよう、しっかりと監視しなければなりません。その良いきっかけとなるのが、衆議院議員選挙と同時に行われる最高裁裁判官の国民審査です。よく調べよく考えて、われらの人権を蔑ろにするような最高裁裁判官に×をつけ、彼ら/彼女らに緊張感を与えようではありませんか。
 とは言っても、人権を軽視する最高裁裁判官を炙り出すのは容易ではありません。そこでぜひご紹介したいのが、日本民主法律家協会(日民協)が作成するリーフレットです。同リーフレットから引用します。


 日本民主法律家協会は、創立以来63年、司法問題にとりくんできた実務家と研究者の法律家団体として、このリーフレットを通じて最高裁の現状や裁判内容をお伝えし、厳しい目で正しく国民の審判をされるよう訴えます。そうしてこそ、最高裁にその本来の使命を全うさせることができると考えてのことです。

 2024年10月27日、第50回総選挙の投票の際に、最高裁裁判官の国民審査が行なわれます。主権者である国民として、最高裁のありかたの適不適を判断する大切な機会です。菅、岸田政権が任命した裁判官6名が審査対象となります。
 国民審査は、国民1人ひとりが、個別の裁判官を対象に、罷免すべきとして「×」を付けるか、あるいは付けないかの意思を表明する制度です。そのことを通じて、主権者による最高裁のあり方への信任不信任を明示することになります。
 いま最高裁は、
■個人の尊厳・表現の自由・両性の平等・学問の自由・生存の権利、そして民主主義や平和等々の憲法に描かれた理想を実現する役割を果たしているでしょうか。
■裁判所にとっての生命ともいうべき独立を堅持し、政治権力にも、社会的な権力や権威にも揺らぐことなく、法の正義を貫いていると言えるでしょうか。
■すべての裁判官が、自らの良心と法にのみ従った判断ができるよう、全国の裁判官の独立を尊重する十分な配慮をしていると言えるでしょうか。

 そして近年注目される最高裁判決をいくつか挙げて専門家によるコメントがつけられています。例えば沖縄・辺野古新基地建設訴訟、安保法制違憲訴訟、原発避難者訴訟を見てみると、最高裁がいかに国家権力に寄り添っているかがよくわかります。


沖縄・辺野古新基地建設訴訟
 歴代自民党政権は辺野古新基地建設を重要国策とし、地元沖縄県民の明確な反対の意思を無視して強行しています。沖縄県知事は、住民自治の旗を掲げて、抵抗を続けています。基地建設のための海面(大浦湾)埋め立てには、公有水面埋立法に基づく県知事の承認が必要です。県知事の許可なくして基地建設はできません。沖縄防衛局が沖縄県知事に対して公有水面埋立承認申請をし、これに対する沖縄県知事の不承認処分をめぐる争訟がいくつも生じました。双方からの提訴の件数は合計14件。1件だけが係争中で、確定した訴訟は9件。その内の8件で最高裁は判決または不受理決定をしています。また、いくつもの地裁・高裁の判決がありますが、県の勝訴は1件もありません。はて? 沖縄県(知事)は、けっして負けるべくして負けたのではなく、国の意を受けた司法の思惑によって敗訴させられたと言うべきでしょう。司法の極端な国策寄りの姿勢を指摘せざるを得ません。(澤藤統一郎 弁護士)

安保法制違憲訴訟
 集団的自衛権の行使を認めた2014年7月の憲法解釈変更の閣議決定と2015年9月の国会による安保関連法の制定が、憲法前文や9条に明白に違反するとして、日本全国の市民が22の地裁に25件の訴訟を提起し、慰謝料の支払と併せて安保関連法の実施行為の差止を求めましたが、下級審ではいずれも権利侵害もその危険が発生したとも認め難いとして、事実上の門前払い判決が続き、憲法判断に踏み込むものはありませんでした。
 最高裁にはこれまで17件が上告され、うち10件について、3つの小法廷でいずれも市民の訴えが三行半の決定で退けられています。安保法制について多くの憲法学者や複数の内閣法制局長官経験者らが口々に「憲法違反」と明言するなかで、最高裁がその判断を回避することは、政府の「安全保障政策」を追認することに繋がりかねず、「憲法の番人」たる役割を放棄していると言わざるを得ません。事件を担当した今崎裁判官(2件)、尾島裁判官(2件)、宮川裁判官(6件)について、いずれも問題があります。(北澤貞男 弁護士・元裁判官)

原発避難者訴訟
 福島第1原発事故の被害回復を求める集団訴訟は全国各地に32件、原告となった住民の総数1万2千の規模で時代を映す大型訴訟となっています。どの訴訟も、国策として原発を推進した国の責任を問い、違法な国策を裁こうとするもの。その最初の最高裁判決が、2022年6月17日、第二小法廷で言い渡されました。判決対象となった先行4件の高裁判決のうち3件は住民側の勝訴でした。しかし、「6・17判決」は、これを逆転し4件すべての請求を棄却しました。国策擁護の司法の姿勢を露わにしたと言わざるを得ません。この判決の多数意見(3名)は、結果の不当性だけでなく判決理由の貧弱さも指摘され、詳細な理由を述べて国の責任を認めた反対意見(1名)が高く評価されています。それでも、その後の下級審判決はこれに追随し、さらに2024年4月には第3小法廷が、同じ判断で上告不受理(門前払い)としました。その決定には今崎幸彦裁判官が関与しています。(澤藤統一郎 弁護士)

 そして今回、国民審査に付される6人の裁判官のプロフィールについて詳しく紹介しています。どのような経歴か、どういう判決をくだしたか、誰に×をつけるかについての判断材料を得ることができます。


【今崎幸彦】
 2022年6月24日最高裁判所判事、2024年8月16日より最高裁判所長官。裁判実務の経験は、1983年の裁判官任官から約40年のうち8、9年程度。最高裁事務総局などの司法行政畑を主に歩いてきた典型的司法官僚。
 最高裁裁判官任命後の関与判決には、①名張毒ぶどう酒事件第10次再審請求審特別抗告審で、請求棄却の多数意見を支持(最3決2024年1月29日) ②犯罪被害者給付金の支給について、事実上同姓婚の関係にある者への支給が認められるかに関する判決において、「同性パートナーは犯給法の『犯罪被害者の配偶者』に該当しない」との反対意見(最3判2024年3月26日) ③買収で失職した議員は政務活動費と議員報酬を遡って返還すべきかどうかが問題となった事件で、当選無効までの報酬など元大阪市議に全額返還命じる判決をした事件で、当然に全額返還すべきとの多数意見に対し、議員報酬は返還する必要はないという反対意見(最3判2023年12月12日)。
「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律3条1項4号は、憲法13条に違反する」との判断には与したが、優れた人権感覚は感じられません。経歴としても裁判官の統制を促進する側ともいえ、「憲法の番人」にふさわしいとは思われません。(新屋達之 福岡大学教授)

【尾島 明】
 首席調査官から大阪高裁長官を経て最高裁入りしました。最高裁調査官の期間が長く、事務総局には1991年3月から1か月だけ総務局付として勤務したにすぎません。司法行政にほとんど携わっていないため、司法官僚的発想は希薄なのでしょうか。司法記者によれば、人当たりはすこぶるよく、裁判官室に絵画を飾る、コンサートに出かけるなど芸術に造詣が深いとのことです。これが、裁判長を務めた「宮本から君へ」助成金裁判の第2小法廷判決(2023年11月17日)で、「助成金交付は適法」と判断した背景にあったのかもしれません。判決では表現の自由を定めた憲法21条にまで言及しました。今後想定されるLGBTQにかかわる裁判で議論を牽引する可能性があります。(西川伸一 明治大学教授)

【宮川美津子】
 宮川美津子氏は、弁護士出身の女性裁判官です。しかし、そのイメージのとおりに社会的弱者の味方であるか、人権の守り手であるか、まったく未知数です。かつては、最高裁判事に任命される弁護士は、東京の3会と大阪その他の地方会からも選任され、企業法務専門弁護士ばかりではなく、多様な弁護士が選任されていました。ところが、安倍晋三政権以来、第一東京弁護士会出身者が続いています。それも、企業法務弁護士ばかり。宮川氏は、連続6人目の一弁出身弁護士、しかも典型的な大手の企業法務専門法律事務所の代表でした。知的財産法を専門とする弁護士として、パナソニックの監査役や三菱自動車の社外取締役などの経歴を持ち、政府の知的財産関係の審議会にも関わっています。まだ目立った判決への関与はなく、個別意見もありません。従って、決めつけはできませんが、経歴を見る限り、財界や政権に毅然たる姿勢を期待するのは難しいと言わざるを得ません。(澤藤統一郎 弁護士)

【石兼公博】
 務省国際協力局長、アジア大洋州局長、総合政策局長を歴任し、カナダ大使、国連大使で2023年に退官しました。典型的なエリート外交官です。石兼以前の外交官出身の最高裁判事は9人いて、全員が旧条約局・現国際法局の局長を経験しています。うち最も有名な下田武三は最高裁が尊属殺重罰規定を違憲とした際に、ただ一人合憲の少数意見を述べました。一方、福田博は一票の格差をめぐる各違憲訴訟で少数意見の違憲判断を示し続けました。条約局長・国際法局長は安保問題を取り扱うため、それを経ると体制擁護的になりがちですが、福田のような「例外」もいます。そのポスト未経験となればおさら「例外的」になることが期待されます。(西川伸一 明治大学教授)

【平木正洋】
 2024年8月16日最高裁判所判事に任命。1987年の裁判官任官後、実際の裁判実務担当は15年程度。但し、初任の東京地裁時代、数件の無罪判決に左陪席として関与。東京高裁裁判長時代にも、原審の有罪判決を破棄したことがあります。
 司法官僚歴が長い点はマイナス要素。最高裁での関与事例も現段階で不明。但し、過去に数件の無罪判決に関与してきた事実もある点では、全く期待できないとまでは断定できないでしょう。(新屋達之 福岡大学教授)

【中村愼】
 裁判官生活36年5か月のうち、裁判実務を担った期間は、判事補時代を含めても10年弱にすぎません。最高裁調査官、同総務局課長、同秘書課長、同総務局長、水戸地裁所長、最高裁事務総長を経て、最高裁判事になる直前は東京高等裁判所長官を務めるなど、司法行政の中枢を歴任しており、典型的な出世コースを歩んできたと言えます。なお、検事出向中の約3年間は、外務省条約局事務官や国連日本政府代表部の書記官などを担当していました。下級審判事時代は民事事件を担当していますが特に注目すべき判決はありません。その一方で、最高裁総務局課長時代に裁判員制度施行前の準備を担当しています。通常、裁判官出身だと民事畑か刑事畑かで区別されるのですが、いずれに属するか明確ではない点で異例と言えます。典型的な「裁判をしない裁判官」であり、司法行政に染まった裁判官に、行政府や立法府に対して毅然とした判断を示すことを期待することはできません。(大山勇一 弁護士)

 いかがでしょう。司法に対してわれわれの監視の目が光っているのだと知らしめ、緊張感を持たせるためにも、権力者や強者の茶坊主となっている最高裁裁判官に一つでも多くの×をつけませんか。


 追記です。『東京新聞』(24.10.22)に、下記の社説が掲載されていました。参考までに引用します。


<社説> 最高裁国民審査 「憲法の番人」見極めて

 最高裁裁判官の国民審査が衆院選に合わせて行われる。裁判官を罷免=辞めさせることができる制度で、司法を民主的にコントロールする意味がある。
過去に罷免された事例はないものの、各裁判官が「憲法の番人」の役目を果たしているか、主権者としてチェックしたい。
 最高裁には長官を含めて15人の裁判官がおり、今回はうち6人が審査対象となる。憲法79条に基づいて、最高裁裁判官は任命された後、初めて行われる衆院選の際に審査を受け、その後10年を経た衆院選時にも再審査がある。
 今回から海外に住む邦人も投票できるようになった。2022年に最高裁が一、二審に続き、在外邦人の投票を認めないことを「違憲」と判断したためだ。
 有権者は辞めさせたい裁判官の欄に「×」印を付ける。リコール(解職)と同じ性質を持つと考えられ、×印が有効投票の過半数に達した裁判官は罷免される。
 審査制度は形骸化も指摘されるが、国民が司法を直接チェックできる大事な制度。裁判官を罷免できるダイナミックな仕組みでもある。もっと能動的に考えたい。
 今回対象となる尾島明、宮川美津子、今崎幸彦、平木正洋、石兼公博、中村慎の6裁判官がどんな人物で、どんな判断をしたか国民に分かりづらいことも確かだ。
 審査対象の裁判官の略歴や関与した裁判、心構えが書かれた「審査公報」が各世帯に届く。
新聞やネットでも情報を得ることができる。本紙も17日朝刊に各裁判官に関する特集記事を掲載している。
 そうした資料を手掛かりに「憲法の番人」たる仕事を全うしているか、有権者がそれぞれの価値観で自由に判断してほしい。
 ただ、最高裁裁判官の選任過程は国民には不透明のままだ。
 米国の連邦最高裁の裁判官は大統領が候補者を指名し、上院の同意を得て任命する。その過程で候補者は議会の公聴会で質問攻めに遭う。
 日本でも任命前に国会に呼び、質疑を行う仕組みをつくった方がいいのではないか。
 最高裁裁判官は内閣が任命し、天皇が認証する。少なくとも内閣がどんな基準で選任しているか、その過程を透明化した方が、司法に対する国民の信頼はより高まると考える。]]>
鶏肋 sabasaba13 Sat, 26 Oct 2024 07:51:41 +0900 2024-10-26T07:51:41+09:00
選挙の争点:社会的弱者への態度 http://sabasaba13.exblog.jp/33602508/ http://sabasaba13.exblog.jp/33602508/ <![CDATA[ 『しんぶん赤旗』(24.10.22)にこのような記事が掲載されていました。


ホームレスから見える世界③ 里人

 『ビッグイシュー』販売員の「先輩」たちと私との間には、暗黙のルールのようなものがありました。それは、お互いの過去については詮索しないこと。なので、私も販売員になった経緯は話さなかったし、「先輩」たちの事情も知りません。
 ですが、「先輩」の多くはお人よしでおとなしい性格なだけの、どこにでもいるごく普通の人に見えました。それなのに、なぜみんなここにいるのだろう?
 ある時、「先輩」の一人が少しだけ、過去のことを話してくれたことがありました。足を怪我したことが原因で働けなくなり、職を失ったと。その「先輩」は特に面倒見がよく、私もかわいがってもらっていました。販売員としても真面目、付き合いもよい。
 「もし足が治ったら社会復帰できますね」。私が何気なく口にした言葉に、「先輩」は表情を硬くしました。「いや、あそこには二度と戻らない。いまのままのほうが、いい」。社会復帰しようと、やる気に満ちていた私は絶句しました。「社会」に戻らないという強い意志がこもった言葉でした。
 もしかして、ほかの「先輩」たちの中にも、同じように思っている人がいるんじゃないか? みんな何か「社会」で痛い目、恐ろしい目にあって戻りたくないのではないか? 何となくそう感じたのは、私自身が「社会」を恐れていたからでもあります。勝ち組・負け組のレッテルが貼られる社会で落ちこぼれ、罵倒され、自己肯定感がゼロになったうえで私は逃げ出したのです。
 この出来事は、私に強い印象を与えました。"ホームレスのままでいい"と言わしめてしまう「社会」。せっかく適切な支援に辿り着けても、戻りたくないような恐ろしい世の中が待ち受けている限り、弱い立場の人たちが生きるのは難しいと感じました。
 では、どこに行けばよいのか? どんな「社会」だったら、誰もが自分らしく生きられる社会になるのか?

 衆議院議員選挙は、私たち主権者がどのような社会を望むのかを意思表示する大切な機会です。現状維持でいいのなら自民党・公明党の候補者に投票する、違う社会を望むのなら野党の候補者に投票する。
 いまの日本社会への評価にはいろいろな意見があるかと思いますが、上記の記事のように、弱者・貧者を切り捨て強者・富者を優遇する社会であると私は考えます。あるいは弱者・貧者の犠牲のうえに強者・富者が?栄する社会、弱者・貧者であることは自己責任でありそうならぬよう激しい競争を強いられる社会とも言えます。
 強者・富者を優遇する社会のままでいくのか、弱者・貧者を救う社会へと変えていくのか。これも選挙の大切な争点だと思います。ただ各党とも、そうしたはっきりとした物言いはしないので、選挙公約から私たちが判断するべきでしょう。


 二つほど実例を挙げます。まず所得が低い人ほど相対的に負担が重くなる、言い換えれば弱者・貧者を苦しめる消費税の是非を各党がどう考えているか見てみましょう。消費税の減税または廃止について…
【賛成】 維新・国民民主・参政・共産・れいわ・社民
【反対】 自民・公明・立民


 強者・富者の優遇をやめる政策、たとえば富裕層への課税強化については…
【賛成】 国民民主・立民・共産・れいわ・社民
【反対】 自民・公明・維新・参政


 私は、誰もが人間らしく/自分らしく生きられる社会に暮らしたいので、弱者・貧者を救う政策を掲げる野党候補者に一票を投じます。そんな社会の方が、弱肉強食かつ万人の万人に対する闘争的社会よりも、はるかに人間的かつ文明的ではないでしょうか。私は方方[ファンファン]氏の考えに与します。


 一つの国家が文明的かどうかを計る尺度は、高層ビルが多いとか、車が速いとか、強大な武器や軍隊を持つとか、発達した科学技術、優れた芸術、派手な会議や光り輝く花火や、全世界を豪遊し、モノを買いあさる観光客が多いかどうかではない。尺度はたった一つ。それは、その国の弱者に対する態度なのです。(『武漢日記』)]]>
鶏肋 sabasaba13 Fri, 25 Oct 2024 06:40:43 +0900 2024-10-25T06:40:43+09:00
選挙の争点:少子化対策 http://sabasaba13.exblog.jp/33601824/ http://sabasaba13.exblog.jp/33601824/ <![CDATA[ 衆議院議員総選挙の論点で注目したいのが、各政党の少子化対策です。『東京新聞』(24.10.17)の社説が要領よくまとめてくれているので紹介します。


<社説>'24 衆院選 少子化と人口減 希望を持てる政策競え
 深刻化する少子化と人口減少への対策も衆院選の重要争点だ。少子化の要因は若者が将来に希望が持てず、結婚・出産に踏み出せないこと。各党・候補は希望につながる政策を競い合ってほしい。
 子ども・子育て支援策を巡り、自民、公明両党はともに教育費の軽減、保育所の拡充を掲げるほか自民は児童手当の拡充、公明は出産費用の無償化を訴える。
 立憲民主党は18歳までのすべての子どもへの月1万5千円の児童手当支給を主張するなど、野党各党も子育てや教育に必要な負担の軽減策を掲げている。
 与野党ともに、子育てを社会で支えようとの考えには大きな違いはない。選挙後には、子育て世帯が求める支援が着実に実現するよう協力して取り組むべきだ。
 ただ、子育てや教育に対する支援を拡充するだけで、若い世代が将来に希望が持てるようになると考えるのは早計だ。
 若い世代が安心して暮らすには賃上げと雇用の安定に加えて、子育てと両立できる働き方を実現することが欠かせないからだ。
 長く続くデフレ経済で賃金が上がらず、雇用が不安定な非正規を増加させた社会構造を、まずは変えねばならない。与野党が訴える所得拡大策や成長戦略政策が、若者の雇用安定や安心できる社会につながるのか吟味したい。
 地方創生も重要な視点だ。地方に住む若い女性が大都市部に流入していることも、少子化・人口減の要因になっているからだ。
地方は男性に比べて女性が就ける職種が限られる。男性中心の雇用慣行や家族観も根強く残り、女性は地方に残ったり、戻ったりしにくい状況に置かれる。
 各党・候補は、特に地方の経営者に対し、女性の能力を十分発揮できる雇用環境の整備を急がせる政策も打ち出すべきだ。
 自民党は地方交付金倍増を掲げるが、総裁の石破茂首相が地方創生担当相当時に取り組んだ政策は人口流出を止められなかった。実効性ある取り組みには、中央集権的な発想の転換こそが必要だ。
 暮らしやすい地域づくりが少子化や人口減対策にも有効だろう。野党が訴える中小企業支援や自治体の権限強化を含め、選挙戦を通じて議論を深めてほしい。

 こうした対策の中でも、最重要のものが雇用の安定だと考えます。しかし自民党が打ち出しているのは弥縫策のみで、雇用の安定には及び腰であるという印象を受けます。『縁辺労働に分け入る フランシスコ教皇の警告』(浜矩子 雨宮処凛 清水直子 かもがわ出版)の中で、この点について浜矩子氏が鋭く指摘されていたので引用します。


【雨宮】 一つ素朴な疑問なんですが、「異次元の少子化対策」とか言われているじゃないですか。一番の少子化対策は雇用を安定させることだということは誰もが分かっているはずですが、なぜ政府はかたくなにそこに手をつけないのでしょうか。浜さんにぜひお聞きしたくて…。
【浜】 雇用安定化のモチーフは、日本を世界で一番企業が活躍しやすい国にするという政策とは決定的に矛盾するんですね。働く者の使い捨てと切り捨てを容易にすることで、企業が活躍しやすい環境を整えようということですから。そこには、雇用安定につながる要素はありません。安定雇用という変数抜きで少子化対策の方程式に解を出そうとしている。だから、補助金とか施設拡充という方向にばかりいってしまう。少子化という問題には対応せざるを得ない。対応していないと思われるわけにはいかない。政治家たちが大好きな経済成長を確保するためには、人口減は避けなければいけない。だから、少子化対策は打ち出す。だが、労働者は支援したくない。このご都合主義がわけの分からない政策メニューを生み出してしまう。我々が欲しいのはそれじゃないんだよ、という人々の思いはとりあえず完全に無視されるわけです。(p.152~3)

 結局、「裏金問題」もここに帰結すると思うのですが、労働者を使い潰して/使い捨てて利益を上げたいというのが大企業のスタンスだと思います。そのために自民党に政治献金をして、そのシステムを法的に維持してもらう。言うなれば、雇用を不安定にして利益を上げるための賄賂が、大企業による政治献金の本質でしょう。そしてそのシステムを変える気は、自民党にも公明党にもないようです。
 雇用の安定に対して風馬牛の自民党と公明党。それに対して各野党はどう考えているのかな。じっくり見極めたいと思います。
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鶏肋 sabasaba13 Thu, 24 Oct 2024 06:44:03 +0900 2024-10-24T06:44:03+09:00
選挙の争点:人権の擁護と差別の禁止 http://sabasaba13.exblog.jp/33601156/ http://sabasaba13.exblog.jp/33601156/ <![CDATA[ 差別大国・日本。その諸相については、1・2・3・4と四回にわたって拙ブログで掲載しました。
 政治のもっとも重要な責務は、私たちが安心して暮らせる人間らしい社会をつくることだと確信しています。しかし、周知のように、いまの日本はそうした社会だとはお世辞にも言えません。困窮、物価高、低賃金、重い税負担、雇用不安… その根幹にあるのが差別の蔓延と人権の軽視だと考えます。沖縄やアイヌの人々、被差別部落、旧植民地出身者、外国人労働者、障碍者、そして女性。差別の博物館のようなこの国の現状に慄然とします。そして差別の刃は、所謂「普通の日本人」にも向けられつつあります。非正規労働者など資本を儲からせる能力や技術力のない人々への差別、「国益」のために不可欠である核(原子力)発電所を維持するための事故の過小評価と隠蔽、結果としての福島の人々への差別、企業に必要なアメリカの世界戦略への加担と在日米軍基地の優遇、結果として相も変らない沖縄の人々への差別。企業と官僚と政治家の利益、いわゆる「国益」に貢献しない人びとを、片っ端から差別して切り捨てる。末法の世、ここに極まれり。1%の富裕層と企業を儲からせる能力のある人たちを優遇し、金も能力もない99%の人たちを差別して切り捨てる、ということだと思います。差別された人たちのやり場のない不安・不満・ストレスは、スマート・フォンを与え、中国・韓国・北朝鮮への根拠のない優越感を感じさせ、さまざまな差別を政府が容認することで解消させる。世はなべて事もなし。
 そしてこうした現状は決して自然にそうなったわけではなく、自民党と公明党の意図的な政策および無為無策の結果だと考えます。


 さていよいよ衆議院議員総選挙が迫ってきました。まことに残念なことに、人権の尊重と差別の禁止は、選挙戦の大きな争点となっていないようです。こうした状況を改善するためには、『武器としての国際人権』(集英社新書1146)の中で藤田早苗氏が主張されているように、政府から独立した国内人権救済機関の設立と包括的な差別禁止法の制定が不可欠です。これを選挙公約として掲げている政党は、管見の限り見当たりません。仕方がないので、各政党が掲げる選挙公約と代表および候補者の言動から、その政党が人権を尊重し差別を禁止しようとする意思があるかどうかを判断しましょう。


 何といっても、首相にして自由民主党総裁・石破茂氏の人権感覚に注目すべきでしょう。『東京新聞』(24.10.6)から、前川喜平氏のコラムを引用します。


本音のコラム 石破茂氏の国賦人権説 前川喜平

 2013年ごろ、文部科学省の官房長として自民党の石破茂幹事長に何かを説明に行った際、石破氏が日本の憲法では天賦人権説を採るべきでないと語るのを聞いて驚いたのを覚えている。
 天賦人権説とは、人権はすべての人が人であるがゆえに生まれながらに当然に有する権利だという思想だ。これは世界人権宣言や国際人権規約の基本的な思想だ。ところが、それは日本には当てはまらないという。日本において人権とは、国が、国民に与える権利だというのだ。
 確かに、12年4月の自民党「憲法改正草案」の「Q&A」には、国民の権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で生成されたものだから、現行憲法の天賦人権説に基づく規定は改める必要があると書いてある。
 この「国賦人権説」によれば、国民ではない外国人には人権がないことになる。また、国の都合で「公益」や「公の秩序」を理由に人権を制限することも許される。さらに国は国民に人権を与えると同時に義務も課す。国民の人権と義務は表裏一体なので、義務を果たさない国民は人権を主張できない。国民の最大の義務は国を守る義務だ。国が戦争を始めたら、国民は戦場で戦わねばならぬ。それが人権の代償だ。
 石破首相が目指す改憲は、こんな人権観に依拠する、危険極まりないものなのである。(現代教育行政研究会代表)

 驚き桃の木山椒の木錻力に狸に蓄音機ですね。これが現首相・自由民主党総裁の人権観です。ぜひ投票の際に参考にしてください。


 追記です。産経新聞のインターネット・ニュース(24.10.20)で、こんなニュースを読みました。これを読む限りでは、立憲民主党・野田佳彦代表は、「北朝鮮の外交政策に国民が不快感を持っているので、在日朝鮮人の若者の"教育を受ける権利"を蔑ろにしてもかまわない」と考えておられるようです。これも投票の参考になりますね。


立民・野田佳彦代表「無理して変えることはない」 朝鮮学校の無償化

 立憲民主党の野田佳彦代表は20日、政府の高校授業料無償化の対象に朝鮮学校を含めるかを問われ、「北朝鮮が日本にミサイルを乱発している状況の中で、国民感情として国民の税金を使うことに違和感を持つ人はいるだろう。無理して変えるわけにはいかない」と述べた。東京都内で記者団の質問に答えた。]]>
鶏肋 sabasaba13 Wed, 23 Oct 2024 08:00:00 +0900 2024-10-23T08:00:00+09:00
選挙の争点:気候危機 http://sabasaba13.exblog.jp/33600411/ http://sabasaba13.exblog.jp/33600411/ <![CDATA[ 今回の衆議院議員選挙において、各政党は気候危機の解決に向けて本気で取り組むのかを争点にしていただきたいと思います。いま、人類を滅亡の危機に追い込んでいるのは、気候危機、核兵器、そして貧困だと考えます。
 今年の日本の夏は耐え難い酷暑、しかも10月になっても夏日が続きます。そしてこの異常気象は全世界的な現象のようです。2023年の異常気象もひどかったのですが、24年はそれに輪をかけているのではないでしょうか。そして来年以降も、さらに異常気象が激化するのでは… アントニオ・グテレス国連事務総長曰く「地球沸騰化の時代」をどうやって食い止めるのか。ぜひ選挙の争点にしていただきたい。ちなみに自民党はやる気がないようです。『しんぶん赤旗』(24.10.17)から引用します。


きょうの潮流
 ことしの世界の平均気温は、観測史上最も暑かった昨年の14・98度を上回り、過去最高になる。欧州連合(EU)の気象情報機関がこんな見通しを発表しました。とくに9月の平均気温は産業革命前と比べ1・54度も高くなりました▼地球温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」は、上昇幅を1・5度以内に抑えることを目標にしています。すでに気象災害が気候危機によって頻発し、激甚化しています。同機関も「豪雨のリスクが気温の上昇とともに増加し続ける」と述べ、早急な温室効果ガスの排出削減を求めています▼一方、産業革命発祥の地・英国で唯一運転していた石炭火力発電所が先月末に運転を終了しました。世界初の石炭火力は1882年にロンドンに開設され、142年の歴史を閉じた形です▼電源で最も排出量が多い石炭火力の全廃は主要7カ国(G7)で初。各国も廃止期限の目標を表明しており、G7で撤退期限を表明していないのは日本だけ。しかも石炭にアンモニアを混焼するなどして石炭火力を延命する政策を推進しています。排出削減効果が低く実用化もしていない技術で温暖化対策に間に合わないと批判されているものです▼気温は変動しつつも長期的に上昇し、現状では今世紀末までに世界の平均気温が約3度上昇するとの予測もあります。石炭火力をゼロにするなど、気候危機打開への対策は待ったなしです▼このままでは地球の未来が危うい。将来世代のためにも自民党政治を続けさせるわけにはいきません。

 また洪水や干ばつで打撃を受ける途上国の防災強化などに先進国が年一千億ドルを拠出するとの約束を守るべきだとグテレス国連事務総長は訴え、先進七カ国(G7)でドイツとカナダ以外は拠出目標を達成していないと懸念を表明しました。はい日本も目標を達成していません。それなのに自公政権は今後5年間の防衛費を計43兆円にしようとしています。


 気候危機に対して風馬牛の自民党と公明党。各野党はどう考えているのかな。じっくり見極めたいと思います。


 それにしても、気候危機に対する対策があまり選挙の論点になっていないのが気がかりです。物価高対策や不況からの脱出や雇用の安定が重要なのは重々承知していますが、それと同じくらいに気候危機対策に力を入れないと取り返しのつかない事態になると思うのですが。愚考するに、この問題に関する有権者の関心が低く、それを取り上げても得票につながらないと各政党が判断しているためではないでしょうか。だとしたら、私たち一般庶民の見識が問われていることになります。
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鶏肋 sabasaba13 Tue, 22 Oct 2024 06:40:51 +0900 2024-10-22T06:40:51+09:00
選挙の争点:核兵器廃絶 http://sabasaba13.exblog.jp/33599775/ http://sabasaba13.exblog.jp/33599775/ <![CDATA[ 今回の衆議院議員選挙において、各政党は核兵器廃絶に向けて本気で取り組むのかを争点にしていただきたいと思います。いま、人類を滅亡の危機に追い込んでいるのは、気候危機、核兵器、そして貧困だと考えます。
 核兵器は人間の尊厳を踏みにじる究極の非人道的な兵器であることについては拙ブログでも触れました。繰り返しますと、その使用による甚大な被害に加えて、ヒューマン・エラーやメカニック・トラブルによっていつでも核戦争起きる可能性があり、その製造や実験や廃棄によって日常的に命を踏みにじる放射線を排出し、巨額の公的資金が注がれることによって人びとの暮らしを脅かす。核兵器、さらには原子力(核)発電所は人類と共存できません。
 しかし石破首相(自民党)は、「核抑止」や「核共有」が持論です。核兵器廃絶に本気で取り組む姿勢は見られません。これに対してノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が怒るのも当然です。『東京新聞』(24.10.12)から引用します。

 ノーベル平和賞の受賞が決まった日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は、受賞発表から一夜明けた12日、東京都内で記者会見を開いた。代表委員の田中熙巳(てるみ)さん(92)=埼玉県新座市=は、石破茂首相が自民党総裁選で言及した「核共有」に対し、「論外。政治のトップが必要だと言っていること自体が怒り心頭」と厳しく批判した。
 「核抑止」のおぞましさについてC・ダグラス・ラミスがこう指摘されています。『要石:沖縄と憲法9条』(晶文社)から引用します。

 こうした大量破壊兵器は、広大な地域の中にいる生きものすべてを抹消するようにできている。その地域にいる民間人が抹消されても、流れ弾に当った場合とは異なる。こうした爆弾を落とす人たちは、下にいる人間をすべて殺す意図をもって爆弾投下するのだ。全員が死んだと判明しても、事故とは言えない。
 それでもなお、これらの兵器がテロを目的に作られたと納得できない読者がいる場合のために、決定的論拠を取り上げよう。核兵器である。核兵器がどういうものであるか、ここで述べる必要はない。誰でも知っているに違いない。核兵器には民間人と軍事目標を区別する能力がまったくない。核兵器がテロであることは明々白々である。
 たまたまレストランやバスの中にいた人すべてを爆破する代りに、核兵器は一つの市に住む住民すべてを吹き飛ばし、放射能を浴びせ、彼らの子孫を苦しめる。核兵器はテロ爆撃以外、何の利用価値もない。そう、確かに抑止力を持っているかもしれない。しかし、その抑止効果はどうやってうみ出されるのだろうか。
 最近、機密リストからはずされた米戦略司令部の1995年方針書によれば、「抑止力は敵対者に絶滅の恐怖を持たせるべきである…」という。「米国は通常兵器から特別兵器、核兵器にいたるまで、あらゆる状況に対応できる兵器を保有しなければならない。化学兵器や生物兵器とは異なり、核爆発による究極的な破壊は即時的であり、その効果を軽減する一次的緩和剤などはほとんど無きに等しい」。
 もちろんこれは正確さを欠く。今日に至るまでヒロシマとナガサキの原爆で浴びた放射能のために死んでいく人びとがいる。しかし、報告書はさらにこう言う。
 「最大級の国家緊急事態あるいは極限の事態でもない限り、核兵器を使う見込みはないものの、核兵器は常に米国がかかわる危機や紛争に大きな影を落としている。したがって、核兵器の使用という脅しによる抑止力は、今後もわが国の軍事戦略のトップを占めるだろう」。
 「見込みはない」というあいまいな表現は偶然ではない。戦略なのだ。たとえば日本では核の持ち込みが禁じられているが、日本にある基地に核兵器が貯蔵されているかと聞かれると、米軍は決まってこう答える。「わが国の政策として、特定の場所における核兵器の存在を確認したり否定することはしない」。日本政府はこの答えを使って、国民に対し日本には核兵器は持ちこまれていないと保証するが、米国の潜在的な敵国は核兵器が存在すると想定せざるをえない。同様に、「見込みはない」と一般市民に向かって言うのは、「心配するな。使いはしないから」と言っているのであり、潜在的な敵に対しては「使うこともありうる」と言っているのである。
さらに、核兵器を批判する人びとが、米国の核兵器は(「ならず者国家」の場合とは違い)理性的な手に握られていると確信しているのに対し、敵に伝えるべき正しいメッセージはそうではない、と戦略司令部は言う。
 「わが国が容認できない行為ないし損害を明確に定義して伝えることは不可欠である一方、わが方の対応については具体的すぎることがあってはならない。米国が敵に対し何をするかについてあいまいさがもつ価値のゆえに、わが国が抑止しようとする行為が行われた場合、われわれを完全に理性的で冷静沈着な存在として表すのは有害である。
 中には『制しきれなくなる』分子もいるように見えるという事実こそ、敵側で決断を下す者たちに恐れと疑念をもたせ、それをさらに強化するのに役立ちうる。この根本的な恐怖感が、実際の抑止力の働きである。米国にとって重大な利害が攻撃を受けた場合、米国は理性を失い復讐に走る可能性があることこそ、われわれがすべての敵に対して示すべき国家のありようの一部でなければならない」。
 これは(キッシンジャーとニクソンが名づけたように)「マッドマン戦略」というべきものだが、その意味は米国が戦いを挑まれたら、国際法や伝統的な戦争法の制限、さらには「理性的」軍事戦略のルールさえ無視して、復讐に走り無作為の殺戮を開始すると、敵に知らせることである。要するに、これこそ言葉の厳密な意味においてテロの脅威である。(p.50~3)
 究極のテロ兵器(核兵器)によって相手に恐怖を与え、場合によっては使用して無作為の殺戮を行う。これが抑止力の正体です。自民党の憲法改正草案の前文は「我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する」となっておりますが、核抑止や核共有で諸外国との友好関係を増進できるわけがありません。こう改正すべきです。

[現行] 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。[改正案] 日本国民は、恒久の平和を念願するが、現在の世界は弱肉強食的環境にあると認識し、米国の核兵器に依存して、敵対国に恐怖を与え、場合によっては使用することによって、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
 そりゃあ被団協代表委員の田中熙巳氏が「怒り心頭」になるわけです。

 さて恐怖と殺戮によって日本の安全を守る、核兵器廃絶には取り組まないというのが、自民党の方針です。各野党はどう考えているのかな。じっくり見極めたいと思います。



 追記です。今日の『東京新聞』(24.10.21)に、大矢英代氏が下記のコラムを投稿されていました。あわせて読んでいただけると幸甚です。そう、核兵器廃絶のための行動、10月27日の総選挙で核兵器を容認する政党には投票しないという行動に移しましょう。


本音のコラム 世界週末90秒前 大矢英代

 今年のノーベル平和賞が、全国の被爆者らでつくる日本原水爆被害者団体協議会(被団協)に決まった。反核平和運動の最前線に立ってきた被爆者のみなさんに心からの敬意と祝福を表したい。
 いま、私たちがやらねばならないのは、祝福ムードを盛り上げることよりも、会見で委員らが語った「怒り心頭」の思いを受け止め、行動に移すことであると思う。
 石破茂首相が言及した米国の核兵器を共同運用する「核共有及び核持ち込み」について、田中熙巳(てるみ)代表委員は「論外」と切り捨てた。日本政府は「共有だから保持ではない」という卑怯な口実で実質的核保有国になりたがっている。被爆者への冒?であり、犠牲者を二度殺すことと同じではないか。いや、それ以上に、人類の危機を加速させるものである。1945年、広島・長崎への原爆投下への反省から創刊された米国の科学雑誌「原子力科学者会報」は、表紙に世界週末時計を掲載する。毎年更新される時計は、今年、深夜0時の90秒前で止まっている。深夜をまわれば、核戦争によりこの世界は滅びる。その時は着実に迫っている。
 世界週末時計を止める方法は「核共有」などではない。ノーベル平和賞受賞を機に、まずは「核兵器は抑止力」などという愚かな考えを日本政府に捨てさせなければならない。(カリフォルニア州立大助教授)
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鶏肋 sabasaba13 Mon, 21 Oct 2024 08:52:20 +0900 2024-10-21T08:52:20+09:00
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